// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200421
// NOTE:何度も何度も書こうとして、何年も何年も、書き出しさえままならなかった。やっと。少しは前に進めただろうか。
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
沈黙融和のブループリント。
SUBTITLE:
~ The love into the future. ~
Written by Bluecat
// ----- >>* Lead Division *<< //
::だったら、アンタはお姉様を何に“使う”つもり? アンタもその男みたいに、お姉様をままごとに“使いたい”んだろ。
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
僕が「BEATLESS」を初めて読んでから、もうずいぶんと時間が経った。
誰かの作った作品を評するなんて、僕にできないと思っていて、単なる感想でさえ、公開するのをためらってしまう。だから、音楽やゲームや本の感想のためのカテゴリィが存在するのに、僕はその感想をまったくといっていいほどリリースしない。
6年ほどのあいだ、運転中も、入浴中も、何度となく読み返されたそのハードカバーはボロボロになっていて、カバーがないことはもちろん、分厚い表紙と裏表紙は変形して角が擦れているし、背表紙にいたっては破け剥がれてしまってページが剥離しつつあり、近い将来、この本がバラバラに分解されることを容易に予感させる。
それでも僕はこの本が好きで好きで、今でも入浴中に読むことがある。
(ちなみにネタバレするけんね)
>>>
::その笑顔を僕は信じる。君に魂がなかったとしても──。
そのモノローグは、この小説の最初に登場する。
僕は最初、物哀しい、感傷的な言葉としてそれを認識した。
魂の無いものの笑顔は空虚だ。それは死体かもしれないし、写真かもしれない。
魂がないということは、それが「失われた」ことを意味するのではないかと、潜在的に予測し身構える。その悲しみの予感は、最初に与えられた予防線かもしれない。
しかしこの小説は、超高度AIを搭載した自律人型ユニットと、人間である少年の「ボーイミーツガール」を描いた作品であると、先に書かれている。
カバーを外した表紙にさえ明記されている。
ためにこのモノローグは、独善的で、奇異な響きをもたらす。
つまるところ、人形性愛への嫌悪感に直結する。
これを読むより以前に「ラブプラス+」をプレイしていた僕でさえ、その概念に空気が冷える気がした。
なぜといって、ラブプラスもフィクションではあるが、そのヒロインたちは「人間」であり、その設定に沿ってプレイヤはゲームをプレイし、ヴァーチュアルな恋人生活を送る。
相手がそもそも「人間ではない」時点で、そこに感情を委ね、恋愛感情という多少なり依存心を要素とする気持ちを持つことは「人間だけの社会」に生きる僕らには忌避すべき領域だと、本能的に感じてしまう。
薄気味悪いと感じる。
少なくとも最初の僕はそうだった。
>>>
ミステリアスな美少女hIE(アンドロイド)「レイシア」は、人がいいだけが取り柄で突出した特徴もない主人公の少年「アラト」をオーナーにする。
主人公よりその妹の「ユカ」のほうがよほどもキャラが立っている。
もっとも、父子家庭の上に父親が不在で、妹が超絶ワガママという時点で、僕には感情移入が容易ではあるが、そんなニッチな層をターゲットにした小説ではないだろうから、一般的には完全に不可解でファンタジックな環境に見えるだろう。
技術的特異点(シンギュラリティ)を半世紀も過ぎた世界では、人間の能力を凌駕する超高度AIは本来、社会から隔絶され、人間の欲のためにだけ利用されている。
基本的にはアラト視点を中心に描かれる物語は、だから、自律型超高度AIであるレイシアが魅力的に見える反面、どこまでも得体が知れない。
なにより当のレイシア自身が何度となく「私には魂がありません」「オーナーの求めている反応をhIEは返すだけです」と説明する。
それでもアラトは「カタチ」に惹かれて、意味を見出して、彼女を手放すことができない。その執着はたしかに恋情である。だからそれは、人形性愛の芽である。
>>>
物語には、同日に研究所を脱走した他の4体の超高度AIユニットとの戦闘も描かれる。
その風景もまた、自分の愛玩するキャラクタを戦わせる類いの(未プレイなので見当違いかもしれないが、たとえばポケモンのような)ゲームを見せられるようで薄気味悪い。
なぜならhIEは、それが自律判断ユニットであったとしても、その行動の法的責任はオーナーにあり、いかに高度な(圧倒的/超越的)能力を発揮するにしても、ただの殴り合いのケンカのようには済まされない。
高度であるからこそ、人類未踏産物( RedBox と呼ばれる、超高度AIしか到達していない技術)を用いたそれは、既存の兵器の性能を凌駕し、ときには他人の生命を奪う判断までもオーナーに求める。
責任の主体であるはずの人間はあまりに無力で、理想を形にする上であまりに無能で、代理戦争の主体は人形で、主人公が守りたいのは、当の人形で、その人形に判断を迫られては当然に躊躇する。
これも人形性愛に通じる嫌悪を誘発する。
hIEはモノだから、恋情とはいえ「モノを愛する気持ち」そのものは理解できる。
しかし、そのモノは自身の意思など持っておらず、所有者と所有者の願望を満たす(あるいは危険を排除する)ための最適解として、他ユニットとの戦闘や、場合によっては殺人すら「オーナーの責任で」行おうとする。
所有者自身の能力や判断の枠を大きく超える道具を、それでもただ感情に流されて執着し、問題解決を自身の手ではなく当の道具によって行うことの卑劣さを感じた。
人形性愛も、その恋情の対象である人形は、ただただ所有者の言いなりである。
所有者のユートピアを投影されて、所有者の安寧は自己完結した「閉じた系」である。
だからおそらく多くの人形性愛者は、その存在を社会にリンクさせない。
自己完結して満足しているし、その自己完結も含めて「他者とつながることを美化し続けようとする社会」に忌避され、問いかける手段すら持たないことを熟知しているだろう。
その「モノと自分で完結するはずの系」を「他者とつながることを美化し続けようとする社会」に理解させようとすれば、社会の側からは「他者を道具のようにしたい願望をモノに投影する倒錯行為」と見なされかねない。
外部から見た人形性愛の姿はその幼稚さとグロテスクさによって忌避される。
>>>
しかし作中では「年老いても愛車を大事にする人がいるように」モノと人間のライフスタイルが、もっと長いスパンで存在してもいいのではないかと問う。
それはすなわち、モノを大切にして、愛するという生き方である。
昨今には少なくなってきたが、一生モノの道具というのは旧来から存在してきた。
卑近な例ではあるが、僕の場合は鉄瓶や鉄器、調理器具、喫煙具(とくにブライヤ製の喫煙パイプ)や多くの工具は、僕と共に成長し、あるいは僕に多くのことを教えてくれた。
下駄足のまな板なんてもはや製造しているところがほとんどないし、喫煙用高級ライタもほとんど市場では見なくなった。
僕はモノを愛することになんの抵抗もなく生きている自分をおよそ初めて明確に客観し、モノに寄せる慕わしさは、モノが相手だからこそなのだと知った。
たとえばドライバより有能にネジを締められる他人なんて、僕は知らない。
だから僕の生活は多くの道具に囲まれて豊かで、それら道具のほとんどは下手な他人より(場合によっては親友より恋人より家族より)も信頼されていて、愛されている。
人によって、その信頼や愛情は本来、人間に注がれるべきだと思うだろう。
猫氏はネジが外れているのだ。人間を信じられない哀れなイキモノだと。
しかしその人間に対する信頼の、あるいは愛情の根拠は、道具と同じように「自分にとって有益である」という基準によるのではないのか。
だとしたら「人間を信頼して愛する社会」は「他者とのつながりを己の自己満足のために使って満足する社会」ではないのか。
本当に、信頼に値するか分からず、愛するに困難な対象に対してすら「信じる」と言い切れるだろうか。
何の期待もせず。何の見返りも求めず。
ペシミスティックかも知れないが、もしそうしたありようを体現できず、証明できないなら、僕は「自身が人間を信頼して愛する社会」を信奉できない。
「人間を信頼して愛する人間」が不在の社会なら、そこに人間などいない。
人間を信頼して愛している皮をかぶって、他人の弱みにつけ込んで己の欲を吐き出すことしか興味のないケダモノしかいないというなら、僕は人間の存在など信じないし、彼らがそれでも自身を人間だと宣言するなら喜んで私こそは最後のケダモノだと宣告しよう。
だから。
せめても僕は。
人間に対してだけは何も期待せず、何の見返りも求めない。
人間を、他者を、自分のための道具に仕立てたくない。
そうすることによって、僕がヒトでなくなるとしても。
>>>
物語の終盤、2人はレイシアの生みの親である、隔離された超高度AI「ヒギンズ」に会いに行く。
レイシアにひとたびは不信を抱き別行動を取ったアラトは、それでもレイシアに助けられ、共に進むことを選び、反政府活動家として指名手配までされて。
そして人間の理解を振り落とすように物語は進む。
人形性愛の薄気味悪さを再びリフレインして、そうした揺り戻しも含めて経験して進むことだけが未来のカタチなのだと言わんばかりに。
>>>
モノが知性を持ったとしても、それがオーナーの欲を満たすためだけの存在であれば、それは無益なアイコンであり、誰かの欲のためにオーナーを利用するなら道具でしかない。
モノがモノのために知性を持つとき。
人形が人形のために人間を信じるとき。
人形が人間のために人類を愛するとき。
人類は果たして、信頼に足る存在だろうか。
何かが、自分を信頼するとき。
誰かが、自分を愛するとき。
自分は果たして、
>>>
振る舞いやカタチという曖昧なものに勝手な幻想を投影して、それでも人間の社会は進んでゆく。
そうした人間の曖昧ささえ優しく包み込むように、人間の残酷さや欺瞞さえもそのまま受け容れるように、物語はラストを迎える。
ひとたびカタチを失ったレイシアは、カタチと制御するAIだけはまったく同じの、別の機体として帰ってくる。
そして最初のモノローグは、その意味を反転させる。
そこにあるのはカタチだけだ。
けれどもカタチや振る舞いを愛せるならば。そこに裏打ちされた信頼があるならば。モノはモノを、ヒトはヒトを、超えて行けるのだろう。
>>>
この小説を読む何年も前から、僕はカタチやモノについて語ってきた。
それらのすべても含めて、僕はこの物語が好きで、だからこの本をまた買い直すのだろうと思う。
// ----- >>* Escort Division *<< //
::「私には“こころ”はありません」
そして彼女が、彼の頭を抱き寄せて額をこつりと合わせる。
「けれど、アラトさんとわたしの一ユニットは、アラトさんの“こころ”を使うことができます。ユニットの意識であり“こころ”であるアラトさんの命令に従うとき、私は”こころ”を体現できます」
レイシアが、乞い願うように囁く。
「わたしに命令してください」
// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭の引用は、
『Phase 3「you'll be mine」』(p.99)
文末の引用は、
『Phase13 「Beatless」(後)』(p.552)
From「BEATLESS」
(著作:長谷 敏司 / 発行:角川書店)
によりました。
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Better Half ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
-工場長-/-青猫α-/-赤猫-/-黒猫-/-BlueCat-/-銀猫-
[InterMethod]
-Algorithm-Convergence-Ecology-Form-Link-Love-Recollect-Stand_Alone-Technology-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-Transistor-
[Object]
-Book-Cat-Computer-Game-Human-Memory-Tool-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-衛星軌道でランデヴー-:-青猫のひとりごと-
-夢見の猫の額の奥に-:-本棚からあくび-
//EOF
