怒っているときに「怒ってる?」と尋ねられて「う〜ん、まぁ、そう言われると怒っているほうかな」と冷静に返事ができるようになりたいと思ってから数十年が経つ。

 なかなかどうして実現するのは容易ではない。

 自分の心情のことであり、自分の行動のことである。
 自己認識の問題であり、他社との関わり方の問題である。

 なのにたいていの人は(あるいは僕だけか?)語気を荒げて「怒ってない!」などと言ってしまうのである。

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 もちろん僕のように、怒りや激しい憎しみを生きる原動力として使わないと、そもそもの生命力に乏しいせいで死んでしまうタイプというのは存在しているわけで(あるいは僕だけか?)。

 その僕の怒りや憎しみについていうと、特定の個人であるとか現象ではなく、そこから抽出された意味、すなわち抽象の存在であり、特定の概念をその一部であれ全部であれ、体現している(あるいはしようとしている)そのすべての個体とその認識と記憶を構成する現象と因果をすら憎み散らすという潔癖性っぷりである(これは僕だけか?)ものの、多くの人も言語化できないだけで、本来の憎しみは、概念に対する激しい怒りなのではないかと想像する。

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 そうはいっても、殺伐としがちな昨今の世俗の様子を鑑みるに、本能的に僕は、群の多くの個体とは逆方向に進んでしまおうとするわけであり。
(単なる天邪鬼なのかもしれないが)

 数日間の自分の文書を読み返して(ああ、必要以上にイライラしておる様子だね、青猫くんは。よしよし、なでなで)と思った次第。
 もっとも僕の日常は、一年前から変わっていない。
 若干変わったことは、介護対象者が死んだことと、それに伴って、介護および誰かの体調を常に心配する緊張から解放されたこと。

 つまり僕は、昨年の今よりも楽に生きている。
(無職は去年からスタートしたので変化なし)

 人間関係も最低限だし、友人も恋人も増える傾向はない(飼い猫は増加傾向にある)。
 今の僕を物語にすると、登場人物は5本の指で足りそうである。登場人物の家族を含めても両手で足りそうだし、仮に足りなくても両足を含めれば絶対に足りる。
 ……何をムキになっているのか。

 ために、日常は前年同月以上にストレスの少ない状況ではある。
 不便も感じないし、楽しいことはたくさんある。
(作業台がまずは欲しい)

 ゆえ、イライラする必要はどこにもない。
 怪我をして運動ができないのも、ギターの練習ができないのも当面は致し方ないことであるし、身体が弱いのは生まれつきである。

 そもそもIRLでは怒ったり文句を言う対象すらない。
(だいたい24時間ひとりで過ごすのが僕のデフォルトなので)

 たいていは、僕の不思議な発想や、思いもよらない失敗を、面白おかしく観察して過ごしている。(あと、ときどき秀逸なジョークを言い出したり、ひとり掛け合いを始めるのでこれも見逃せない。まぁ、自分のことなので見逃しようがないが)

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 文面がイライラするのは、俗世を批判するからである。

 他人は他人であるし、俗世は俗世である。
 政治と経済に深く関わらないことは、猫として当然の姿勢であり、そんなことは私が思索しなくても誰かが良きに計らうのである。

 ゆえ、私は新しいことに思索の目を向けようとしつつ、眠くなってきたのでお昼寝するにゃー。

 今日も平和だにゃ〜。