一日一食の食生活に戻ってから、食事がとても美味しい。
ちなみに最近のお気に入りは以下のメニュー。
玄米
味噌汁
めざし(小)
納豆
まるでひなびた旅館の朝食のようだが、僕の1日の締めくくりの食事(だいたい20時から24時頃に食べる)である。
今回はこのメニューがたいそう気に入って、かれこれ2週間ほど、タイミングが合えばこれを食している。
食後に余地があればお酒も嗜むが、満腹になったときは眠くなることも多いので寝てしまう。
もちろんお酒と肴で事足りてしまう日もあるし、めざしが買えない、納豆が売り切れていたなどということもある。味噌汁を作るのが面倒なときは作らない。臨機応変である。
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老いも若きも「自分はちゃんとしてます」アピールが過剰なのではないかと思うことがある。
みな、
「ちゃんと仕事してます」
「ちゃんと家事してます」
「ちゃんと育児してます」
「ちゃんと納税してます」
「ちゃんと選挙行きます」
「ちゃんと身なりに気を使ってます」
「ちゃんと恋人がいます」
「ちゃんと友達がいます」
「ちゃんと家族がいます」
「ちゃんと愛されてます」
「ちゃんと愛してます」
etc.etc...
いや、いいんですよ、しっかりした社会人生活を謳歌して、しっかりと社会に適合して、しっかりと充実した日々を送っているならワタクシは何も申しません。
が。
本当にちゃんとしてる人は、そんなアピールしないよ?
と思うのである。
もちろんもちろん。
アピールしたり、誰かに知ってもらうことで、自身の充実感がより満たされる、という人もいるかもしれない。
でも、充足感って、誰かの感想とか同意とか共感とか同意が必要なの?
とも思うのである。
ちなみに僕は時々ガスが止まる。
久しぶりに、一方の家に帰ると、高い確率でライフラインのいずれかが止まっている。
(そういう登場人物が出てくる物語を昔、書いたことがある。頓着しないのである)
しかし、水はたいてい汲み置きしてあるし、ガスはカセットコンロを常用しているし、電気がなくても(電灯もなくても)1日2日なら、問題はあまり感じない。
むしろ楽しくなってしまって、それこそいろいろな人にその楽しさを伝えたくなってしまうのだけれど、若い頃にそれをして、友人や恋人の親御さんからの生活物資が届いてしまった経験から、今は誰にも教えないようにしている。
密かな、ひとりだけの楽しみである。
社会不適合者であることは、何かしらの不便を、短期的に、直接的に、誰かに与えるだろうか。
ガスが止まって苦労するのは、ガスの止まった僕とガス会社である。
僕が選挙に行かなくて困るのは、候補者である。
育児や家事は、自分以外に人が関わっているから、それをしないと誰かが困る。
しかし、しっかりそれをしようとしていたら、誰かにアピールしてるヒマなんてないはずだ。
ために僕は、なるべく社会不適合者として、そのダメ人間っぷりをアピールするともなしにしている。
ときどき「選挙に行かない人間は、政治を批判する権利がない」と、言う人がいるが、僕はそうは思わない。
政治など、放っておいて上手くいくように出来ているべきで、誰かが監視したり、制御しないとならない状態であることはそもそも不完全である。
選挙がなくても政府や国家が健全に維持されることが当然のことで、選挙ありきになっている時点で「民意を反映しなくてはならない」不完全さを抱えている。
もちろん国家あるいは政府という組織、さらにいえば人間という種そのものが、いまだある程度以上の達成点に至っていないと考えれば致し方ないことかもしれない。
しかし、選挙こそが民主主義だというのはずいぶん時代遅れに感じるし、選挙に行かない者であっても国民だったら国家や政府を批判して然るべきだし、それを咎められるのはどうかと思う。
(もちろん、誰が選挙で投票してるかなんて、基本的には誰にも分からないわけで)
たとえば家の中で、DVがあったとして、子供が親に「そういうことはしてはいけないよ」と言ったら「食い扶持も納めていないガキが偉そうに」と言うのだろうか。
ために僕は選挙に行かずに、家でゴロゴロとしている。
(と、今までも書いている)
なるべく政治的なことは書かないが、それは僕が政治に詳しくないからで、書きたくないからだ。
勝手に僕に忖度して、よきにはからってほしい(笑)
民主とは、民のために政が行われることを指すのであって、機能が不完全であればこそ、そこに民の手が必要かもしれない。
だからといって人が不完全であることを前提にして、すべての民が参画すべしというのなら、いっそ古代ギリシャのようにすればいい。
ちなみに僕は、性善説派のイキモノである。
僕は、ダメ人間だと言われようとも、選挙なんて誰も行かなくてもいい社会が一番いいと思っている。
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指が腫れて、右手がほとんど機能しない。
もっとも、右鎖骨を折った時も、一人暮らしだったので、問題はない。
苦痛は過ぎ去るものだし、不便は楽しめる。
空腹だって、ご飯が数倍も美味しく感じられるなら、けっして悪いものではない。
