// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200609
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ごみ箱問題。
SUBTITLE:
~ Dusk shooter in dust box. ~
Written by 黒猫


// ----- >>* Lead Division *<< //


::やがて、強さは慈しみを取り込み、社会の構造を柔軟化させた。そこに、過去になかった「しなやかな美」を模索しているようだ。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 ごみ箱問題、というタイトルではあるが、それほど問題を感じているわけでもないし、問題を提議したいわけでもない。また問題視するつもりも、してもらいたいわけでもない。
 いつものとおりの、周囲をざっと見回した程度の、いい加減な雑感である。

>>>

 僕は昔からものぐさだったので、自分の部屋を作った(家の中のひと部屋を、徐々に、しかし確実に占有していった)とき、部屋にごみ箱を2つは設置した。
 たしか6畳か、多くても8畳の部屋であったから、ごみ箱2つは大袈裟だと思う人もいるかもしれない。

 その部屋には布団(もしくはベッドのマットレス)があり、簡素なテーブル(もしくは作業台、あるいは手製の質素なカウンタ)が置かれ、猫たちの多くは僕の部屋で暮らし、友人たちのたまり場でもあったから、ごみ箱が2つでは、少ないことこそあっても、多いと感じることはなかった。

 以来、僕はごみ箱が「人が室内に居留する位置から片手で届く範囲にひとつあること」を理想的な状態と考えている。
 工作などをしていると、ごみが出る。新しいものを買ってきたときもそうである。
 料理のときもそう。
 洗濯物のポケットチェックや干す前に見つけた糸くず。
 トイレだって、掃除をするときにすべてがすべて、水に流していいものばかりではないだろうから、汚物入れ(汚物入れという固有名称自体、今ふうに表現すると悪意を感じるが、一般名称でもあるから今回はそこには切り込まない)とは別に(あるいは兼用で)ごみ箱を要する。

 廊下で通りかかりにゴミを拾ったら、廊下の途中で手放したい。
 コタツのある部屋ならコタツの対角線上にひとつずつあっていい。

 また、来客者のユーティリティ性向上のためにもごみ箱は「いちいち尋ねなくてもどこにあって、何を入れるか一目瞭然であること」が相応しい。
 これは、トイレおよび清掃道具、洗面所と石鹸とタオル、ティシューペーパなども同様である。

 ポケットの中で手にしてしまった糸くず(なぜかポケットで定期的に糸くずが発生するのは僕だけでしょうか)を捨てるのに、いちいち「あの、ごみ箱は」なんて質問したくない。
 洟が出そうなのでティシューが欲しいのに持ち合わせがないとき「ティッシュはありますか」ではなくて「ティシュー、いただきます(いただけますか)」と言える方が、ハードルが低く済む。くしゃみが出そうなときなら、とにかくすぐに手にできることがホスピタリティでありユーティリティであろう。
 トイレを来客側から「貸してください」というのではなく、長居すると予測される訪問であれば、最初に「うちのトイレと洗面所はここだからね」と案内しておくことで借りる方は気が楽になる。
 清掃用具も見えるところに置くことで、万が一、設備を汚してしまうようなことがあったとき(なおかつ使用者が、綺麗にしてから使いたい/使い終えて綺麗にしておきたい精神の持ち主であるとき)役に立つ。
 まさか設備を汚してしまったからといって「清掃道具を貸してください」なんて言えないし、言っても掃除をさせてはもらえない(まず間違いない)し、そのわりに僕のような酔狂でもないとトイレ掃除を嫌々する人が多いのではある。

 それがゆえ僕にとってごみ箱などの、比較的パーソナルな、にもかかわらず公共性があり、そのうえセンシティブになりかねないモノは「目についてなんぼ」のものであり、言わなくても目につくことが安心であり、見えない場合はあらかじめ案内しておくことが親切さだと思うのだ。
「貸して」と頼まれてから応えるのではなく、必要のないうちから「ご自由にどうぞ」と言っておくタイプの親切さである。

>>>

 妹と叔母の家が、およそ僕の対極にあたる。
 部屋にごみ箱がひとつあればいい方で、ごみ箱のない部屋もある。
 妹夫婦の家は、1F部分がほぼ仕切りのないLDKなのだが、そのぶん広いし、猫もいる。
 キッチン、リビングエリア(和室部/洋室部それぞれ)、猫ケージ(ネコもの専用)の、最低4つは必要なのではないだろうか。
 そこに、ごみ箱はひとつあるだけである。

 叔母の家は、ごみ箱のある部屋が少ない。
 キッチンにさえロクなごみ箱がなくて難儀した。

 べつに彼女たちがどうこう、という話ではない。問題はごみ箱(あるいは掃除用具やティシュー)である。

 ごみ箱や掃除用具を見せない家に住む人は(僕の経験上)だいたいごみ箱が汚かったり、壊れていたりする。とても見せられるものではないように思える。
 だから見えない場所に置こうとするのかもしれないし、見えない場所に置いているから無神経になるのかもしれない

 ごみ箱が見えないということは、ごみ箱の数が少ないと予測されるが、ごみ箱が少ないことによって、それぞれのごみ箱はいっぱいになっている。
 ゴミの指定日にならないとまとめなかったり、ゴミの指定日でも(あと1/4くらい入るから、詰め込めば次回でいいだろう)なんて考えてゴミ出しを先送りする。
 そして気がつくときにはあふれる。そういう使い方なのだ。

>>>

 さあ改善しよう。
 まず、ごみ箱は「見て何のごみ箱か分かるくらい」のものがいい。旅館やホテルのの客室ではないのだから、花瓶だか照明カバーだか分からないようなものは避けるべきである。
 目立って、綺麗で、清潔で、機能性が一目瞭然で、欲をいえば、ごみを捨てるのが楽しくなる外観や機能があるといい。

 それにゴミの収集日には、内容物が少なくてもゴミに出すべきである。
 どうしてももったいないというなら家じゅうのゴミをまとめろ。それでも足りないなら今から台所掃除をしろ。それでも余裕があるなら隣の家からゴミをもらえ。まだか。まだ余裕なのか。それなら道路の、公園の、ゴミを拾ってこい。

 逆にゴミの収集日(あるいはその前日)でもないのにごみ箱がいっぱいになりそうならどうするか。
 ゴミをまとめろ。ごみ袋に入ったそれを保管する場所を作れ。玄関前だっていい。こら、そうやって裏に隠すな。お前はいつだってそうやって裏に隠そうとするんだ。表に置け。誰だってゴミを出す。恥ずかしいことはない。

 誰だってうんちもするしオナラもする。お前はアイドルじゃないから間違いなくする。セックスしてコンドームを使うこともあるだろう。なに使わない? まあそれはご自由に。「できちゃったかも」と、言ったり聞いたりしたい人なら使わない方がいいだろう。
 ちなみにアイドルは耳と口と鼻にしか穴が開いていないから、うんちもしないしオナラもしない。セックスもしないし笑いすぎておしっこが漏れたりもしない。
 お前はアイドルじゃないから、玄関にゴミを置いても誰かが持ち去ったりはしない。安心していい。
 むしろうんちをしたり、お風呂でオナラをしてそのかほりを自分で楽しんだり、セックスできるのはお前がアイドルじゃないからだ。どれだけ美人であってもアイドルじゃないならそれらができるのだからそれを恥ずかしがる必要はない。
 何でもかんでも汚いと感じたものを隠そうとする、汚いものと綺麗なものを区分けしようとする、その自分の浅ましさ、弱さ、醜さ、汚れた心と価値観を知るがいい。アイドルでもないくせに綺麗なだけの、片面ポリゴンみたいな不気味な自分を演出して見せびらかして褒めそやされようなんていう、薄っぺらな虚像にすがる惨めな自分の欲望を見つめろ。

(※片面ポリゴン
::3DCGモデルの「面」は、基本的に、片側しかレンダリング(表示)されるデータを持たず、反面側からレンダリングしても透過するため、そこに面がないかのように表示される(面があるように表示されない)。こうした特性を持つ面(ポリゴン)を片面ポリゴンという。
 反対面もレンダリングされるポリゴンを「両面ポリゴン」と呼ぶ。通常は2枚の「片面ポリゴン」によって構成されるため、データ量は2倍になる。たしかそんな話を聞いた)

 そして家の各部屋には「ちょっとゴミを入れるのが楽しくなっちゃうから、人に見せちゃおうかな、でも、ごみ箱なんて、ありきたりだから、ちょっとはずかしいかな、きゃ♪」なんて感じの「ちょっといいけどわざとらしくない」程度のごみ箱を増やせ。なんなら同じごみ箱を随所に置いておけ。
 あと、どこでもいいからスーパーのレジ袋をダイレクトに引っ掛けた「実は庶民派ごみ入れ」スペースを用意しろ。本当のあざとさというのは、本当の魅力というのは、完全なる美を超えた先にあるのだ。
「しゃれたごみ箱しか置かないワタシ」なんてSNSの向こうで自己承認欲の餓鬼になって干上がり散らかすしかない魑魅魍魎だ。
 パブリックスペースの均整の取れた美と、パーソナルスペースに垣間見せる庶民的な堅実さ。この二本立てなら、並居る他のSNS大好きガールであっても尊敬せざるを得ず、ボーイたちに至っては家庭的な一面に思わず二人の未来を想像するかもしれない。しないかもしれないがな。

 ああ。
 蛇足を書かせるとこの通りなのだ。

 さて、日本から絶滅したといわれる「アイドル」という存在のことは放っておいて、トイレの掃除用具も同様である。

 そんじょそこいらのホームセンターでも「ちょっとかっけーなぁ」というのが売っている。
 たしかにちょっと高いかもしれない。

 でも待て。
 かっけー道具でトイレ掃除をするのは、汚く朽ちた道具ですることの何倍も楽しくて、何より気持ちがいい。
 かっけー道具で綺麗にしたトイレを想像しろ。そして事実、その清浄なるトイレを具現しろ。己の肉体と頭脳を使えば、それは決して不可能ではない。仮に困難であったとしても、不可能などではない。不可能ではないのだ。
 そのとき幾つかの発見があるだおう。
徹底的に、見せびらかしたくなるほどまで(そして決して見せびらかすことなく)トイレを綺麗にすれば、新しい風景が見えるだろう。
 そして綺麗にしたあと、最初の一服たる魂の清浄剤、禊(みそぎ)としての排泄行為に耽るがいい。
 そこでときに人は「神からの啓示」を受け取ったり、「ユーリカ!」してしまったりするらしい。してみればわかる。僕は無神論者でありエンジニアであるので量子モデル宇宙の絶対神たる猫の神様しか信じないが。

 さあ、綺麗でちょっとかっけー掃除用具を、ゴミ箱と同じように、見やすく配置しよう。
 隠してはいけない。隠す必要なんかない。
 美しいトイレを汚してしまったことを悲しむ迷える仔羊の、贖罪と浄化の機会を奪ってはいけない。

 汚れた掃除道具を綺麗にして、朽ちていたら新しく「ちょっとかっけー」のを買ってこい。
 よし、そうだ。それでいい。








// ----- >>* Escort Division *<< //


::装飾的に飾り立てられたものは美しくない、と感じる感覚も、理由のあるものだと思われる。ヨーロッパのある時期の美は、豪華絢爛な装飾の量を競ったが、それらは、富で美を買おうとした哀れな行為としてしか歴史に残らなかった。革命によって葬り去られたし、そうでなくても醜く朽ち果てたはずである。歴史に残る美とは、ピラミッドの力学的洗練であり、叩き上げられた刃の材料学的達成だ。




// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
 文頭文末の引用は、

「98 美しさを知るほど、人は強くなる。強くなるほど、美しくなるのだろう。」(p.217)
From「つんつんブラザーズ」(著作:森 博嗣 / 発行:講談社文庫)
 によりました。






// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -黒猫-/-BlueCat-

[InterMethod]
  -Algorithm-Ecology-Engineering-Kidding-Maintenance-Mechanics-Style-

[Module]
  -Condencer-Connector-JunctionBox-Transistor-

[Object]
  -Human-Tool-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-おこと教室-:-ひとになったゆめをみる-



//EOF