278.フォルテからメゾ・フォルテへ
ロシアピアニズムの奏法に変えることにより変化したことの1つに、強弱記号に対する実際の音の大きさの感覚が1つずれたように思います。題名にもあるように、フォルテと書かれている場所においてイメージする音量、響きが、今までのメゾ・フォルテで十分であるということです。なぜならば、音の構成における基音を大きくしないタッチですので、倍音が豊かになると、その響きは膨らみますから、その倍音の響きの広がりで十分満たされるのです。もちろん、このことは個人の趣向により左右されることだと思いますが、実際に倍音豊かに弾いているように聴こえなくもない、フォルテを好んで多く用いる演奏というものも、ロシア人ピアニストの中には大勢います。思うに、ロシア人ピアニストだけを挙げても、フォルテを好むピアニストと弱音を基調に弾いていくピアニストに分かれると思います。私個人としては、フォルテを好む方の演奏を聴いていますと、残念ながら、倍音が少なくなってしまい、音色の変化が少なくなってしまうように感じます。いわゆる力技で楽器をねじ伏せているように感じてしまい、弾かれている楽器が悲鳴を上げているように感じてしまいますし、私の中では残念ながら、そのような演奏に惹かれることはありません。このタイプのロシア人ピアニストの方が、実は多いような気がします。それよりも、弱音を基調として、倍音豊かに響き渡らせ、音色の変化で弾いていく演奏の方が、私自身としては魅力を感じます。ゲンリッヒ・ネイガウスの古い録音を聴いていますと、その演奏は、まさに後者のタイプであるように感じます。ウラディーミル・ホロヴィッツの演奏を聴いていても、確かに立派なフォルテは存在しますが、その場合においても、これは彼の妙技だと思いますが、倍音が失われないフォルテを出しますし、なんだかんだと言っても、やはりその演奏は美しい色とりどりの弱音が多く存在するように感じるのです。果たして、人は大きな爆音と美しい弱音を比較したときに、どちらの方に惹かれる、琴線に触れるのでしょうか?私は、美しい弱音に惹かれます。皆さんはどうでしょうか??? クリックお願いします!にほんブログ村