「トレードオフ」という言葉があるように、何事においても、1つのことを極めたいと思うならば、他のことを犠牲にしなければならないという事実があると思います。
昨今、先が見えない時代で、ピアノをやっていても、将来の展望が見えず不安感を抱いている人、また同じような思いのご両親も多くいらっしゃるように思います。
それゆえか、何でも欲しがると申し上げては言い過ぎなのかもしれませんが、不安感から1つでも多くのコンクール歴や、少しでも高い学歴など、多くを求めようとしている人が多い傾向があるように思います。
確かに、食べていけなかったらどうしよう?などと思うのも当然のことでしょう。もちろん、お金がなくては生きてはいけません。だからと言って、資本主義の社会ゆえか、お金をたくさん稼ぐことが美徳のように思ってしまう錯覚を持つ人も多いのは残念なことです。お金は、あればあるだけ使ってしまうので、余計に持つ必要もないと私は思います。
それにしても、人間の心は弱いものです。そのような心の焦りに駆られてもおかしくはないのかもしれませんが、先に挙げたコンクール歴や学歴、お金など、多くを求め過ぎているように感じます。
私自身の今までのピアノ人生を振り返った時に、私自身、多くのものを捨てて、犠牲にして、ロシアピアニズムの奏法を追ってきたからこそ、今ある自分がいることを痛感しています。
幸いにも、現在、私は何一つ不自由なく、やりたい事がやれて、不満がないと言える生活を送ることが出来ています。それは、私にとってはですが、お金では買う事が出来ないロシアピアニズムの奏法というものを手に入れることが出来、本当に幸福な毎日を送ることが出来ていること意味します。
何の世界でも1つのことを極めようと思うならば、多くの犠牲が必然であり、もっと言ってしまえば、その犠牲の上に成り立っているのではないでしょうか?
ロシアピアニズムの奏法を手に入れたい!そのピアニズムを通してならではの音楽をする喜びを知りたい!と思うならば、多くの日本人のピアニズムはドイツ系統のピアニズムであり、教育現場で正しいとされている細かなこともまた同じで、それをロシアピアニズムに変えることは、正反対なことと言っても過言ではなく、それは生半可な気持ち、心構えでは手に入るものでもなく、多くの犠牲が伴うのです。
人生は長いようで短いと思います。限られた時間、限られたエネルギー、自分の身体は1つしかありません。
「二兎追うものは一兎も得ず」ということわざもあります。
人生が1回しかないとすれば、後悔しない人生を送りたいと誰でも思うでしょう。そのためには、例え私のようにロシアピアニズムを追わなくとも、他のピアニズムであっても自分のピアノを極めたいと思うのであれば、多くの犠牲が必然であるということを、特にまだ若い、将来、日本のピアノ界を背負っていく若いピアニスト達に声を大にして申し上げたいと思います。
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