私があえて申し上げるまでもなく、ウラディーミル・ホロヴィッツはロシアピアニズムが誇る20世紀の大巨匠です。



私は、今までこのブログ上で、彼のことに言及しなかったのですが、そのことを不思議に思われていた方もいらっしゃるのではないかと思います。なぜ、ホロヴィッツについて触れなかったのか?なぜならば、私は、つい最近まで、彼の演奏を意図的に遠ざけていたからです。



日本での学生時代、ホロヴィッツのレコードでスクリャービンやラフマニノフを知ったと言っても過言ではなく、「ひびの入った骨董」と吉田秀和氏が発言した初来日のリサイタルにも、大学1年生だったと思いますが、実際に聴きに行き、今でも私の耳にはホロヴィッツの生の響きが残っています。その演奏は不調であり残念ではありましたが、3階席まで届いた響きの美しさは記憶にあります。



それ以降、約30年近くも!私はホロヴィッツから遠ざかり、約30年経った今、解禁しました!!!



今の私だからわかる、ホロヴィッツの真の素晴らしさ!というものを感じることが出来るようになったのは、心の底から嬉しいことです。



当時、学生時代のホロヴィッツを聴く時の感覚と、実際の日々のレッスンにおいてのピアノとの関係とでも申しましょうか、そこには大きな隔たりがあり、レッスンや試験、コンクールではやっていけないことばかりのホロヴィッツの演奏は、私にとっては危険な演奏だったと言えます。



その後、紆余曲折を経て、長い年月、約30年近くの時を経て、やっとです。私にとって最も近しい、何の抵抗もなく触れることが出来るピアニストの存在になりました。



なぜ?そのような変化が起きたのかと申しますと、1つには「響きで音楽を作る」ということが、どういうことなのかということが、最近になって、やっとわかってきたことを挙げることが出来ます。



以前の章でも申し上げましたが、東京文化会館においての私の弟子、佐々木崇の演奏から、響きで弾くという事の真の意味を、感じることが出来たのがきっかけだったのかもしれません。その時は、私はプレトニョフのことを思い浮かべたのですが、その後時間が経って、長らく封印していたホロヴィッツの響きがよみがえってきたのです。



その演奏は、佐々木崇にしてもプレトニョフにしてもホロヴィッツにしても、いずれにせよ、その特徴は、空中に浮かび上がる響きの混ぜ方をアメーバのように変幻自在に操ることであり、私の生徒も含めるなど、大変おこがましいのですが、私にとっては大きなきっかけとなったのです。



以来、私の中では、アカデミックな世界においてやってはいけないことだらけの、プレトニョフやホロヴィッツの演奏が、響きで音楽を作る、創造する世界においては、やってはいけないどころか、その正反対の考え、感覚を持つことに至り、ホロヴィッツの演奏の真の魅力、真の姿に気がついたわけです。また、その音楽の本質、底流にあるロマンティシズムも挙げることが出来ます。残念ながら、昨今では主流ではなくなってしまったロマンティシズムです。



今、私の耳で聴くことが出来るホロヴィッツの演奏、その情報量は、当時の学生時代の私の感覚をはるかに超える、ものすごい世界です!!!今まで、封印していたからこそわかる世界なのかもしれません。



ともかく、聴く側の耳や感覚がどうであれ、ホロヴィッツが20世紀を代表する大ピアニストであること、世界中の人々に愛され、支持されていることは、私にとって大きな喜びです!!!


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