つい先日、私の生徒で助手を務めてくれている川村文雄(桐朋学園大学講師)のレッスンを見ていて感じたことです。
受講している生徒の演奏が、外側からではなく、その生徒自身の内側から、みるみる変わっていったのです。
川村文雄の的確な指導、それはショパンの持つ音楽に存在する和声の変化からくる繊細さを取り上げ、それを実際に音の色で変化させていく。要するにショパンの楽譜に書いてあることをきちんと読み取り、どんな些細な変化も見逃さず、なおかつそれを具体化し、音の色の変化で弾いて聴かせる。そこには技術的な指導は殆どなく、生徒は、あくまでも耳でキャッチし、そしてそれを表面的ではなく、その川村文雄の弾く音からインスピレーションを受け、ここが大切なことなのですが、自分自身の言葉として演奏していったのです。
このレッスンは、私が思うに非常に理想的であり、また非常に高い水準のレッスンであり、見ている私にとって、この上ない喜びに満ちた時間でした。
もちろん、このようなレッスンが成立するためには、生徒の側がロシアピアニズムの技術的な基本をある程度マスターしていなくてはならず、その技術、それはあくまでも手段にすぎないということも感じましたし、その生徒の精神的成熟度も必要であるということも改めて感じました。
総じて、レッスンというものの難しさと面白さを同時に思った次第です。
川村文雄に限らず、教師がどんなに水準の高いレッスンをしても、受ける側の生徒の感受性と技術が伴わなければ、そのレッスンは大きな意味を持ちません。
ふと思ったことですが、私の友人である、パーヴェル・ネルセシアンが毎年、東京で公開マスタークラスをしていますが、彼のレッスンに限らず、非常に水準の高いレッスンをするロシア人ピアニストのレッスンというものが日本においても受講できるわけで、そのレッスンを有意義にするための準備というものができていない受講生が多く、その準備の意味も知らずに、受講したがる学生が多いことに、何かが間違っていると思わずにはいられません。
私のレッスン希望者が多いことも非常に喜ばしいことですが、自分自身がどういうところでピアノとかかわっているのか?それはまず、自分自身にとってピアノを弾くということがどういうことなのか?自分は何ができていて何ができないのか?自分は何がしたいのか?などなど、様々なことをよく考えてもいなく、自分ではわかっているつもりの精神的にまだまだ未熟な若い人たちが多いことは残念であり、レッスンの難しさを痛感するこの頃です。
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