《中編》 より

 

 

【八咫烏、別名はアジスキタカヒコネ】
 私は当初、八咫烏は太陽信仰やアマテラスと関係のある霊的なカラスのことだと想像していた。ところが、竹内氏は明確に「正統竹内文書では八咫烏はオクニヌシの子で、コトシロヌシの兄である」というのである。別名はアジスキタカヒコネ。アマテラスとスサノオの間に生まれた宗像三女神の一人であるタキリとオオクニヌシの間の子である。あのオオクニヌシの子であるのなら、ユダヤ(古代イスラエル人)の血が流れていたということになる。(p.172)
 八咫烏に関しては、実在して「いる」とか「いない」とか、いろんな人々がいろんなことを言っているけれど、霊的なカラスとしての存在も、アジスキタカヒコネの系譜を継いでいる人々もいるのだろう。
   《参照》  “八咫烏” に関する引用一覧

 

 

【金色のトビ(金鵄)】
 そのキーとなるのが、天香具山だ。私は当初、大和三山の天香具山だけを指していると思ったのだが、先代旧事本紀や正統竹内文書によると、天香具山は人なのである。何と、ニギハヤヒの息子であり、すでにご紹介したタカクラジ(高倉下)の別名であるという。イワレビコ軍側に寝返ったと見られる出雲系の王子だ。ということは、統一王朝側が和睦に応じるよう折衝したのが天香具山ことタカクラジであったと考えることもできるのである。そうであれば、トビのように、相手を傷つけずに(武器を使わずに)欲しいものが手に入るわけだ。
 なるほどこれならば、金色のトビが出てきた後、なぜナガスネヒコ側がイワレビコ側に使者を送って来たかが明白になる。(p.177)
 「神武天皇が持つ弓の上で神々しく描かれている金鵄の実態が、『根回しをした人物』だなんて、絶対にあり得ない!」と思う人は、神話的にであれどうであれ、ご随意な解釈をすればいい。
   《参照》  『伊勢神宮に秘められた謎』 坂本政道 (ハート出版) 《前編》
            【天香山命と高倉下】
 いずれにしても、出雲族、大和族、ユダヤの三部族がそろい踏みした和睦によって大和の地に新しい統一王朝(大和王朝)ができたことは、ほぼ間違いないであろう。(p.182)
 天の香具山といえば、百人一首(万葉集)に納められている持統天皇の歌に詠われているけれど、下記のリンクにあるように、この歌は、和睦の先にある動乱を、あるいは予感していたのかもしれない。
   《参照》  『ここまで解けた!「古代史」残された謎』 関裕二 (PHP研究所)
            【春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣乾したり 天の香具山】

 下記リンクには武内宿禰(蘇我氏の祖)=天日槍=サルタヒコ、という見解が記述されている。
   《参照》  『蘇我氏の正体』 関裕二 東京書籍
            【武内宿禰=天日槍】
            【国譲りと天孫降臨:伊勢の祭神】

 であるとするなら、物部(出雲族)⇒蘇我(ユダヤ)⇒藤原(大和族)と推移した祭祀権において、武内宿禰が果たした国仕掛けが、大きなポイントなのかもしれない。

 

 

【三輪山:三部族による和睦の「証」】
 ところが、この三部族による和睦で非常に重要なことが決められたにもかかわらず、記紀神話には一切書かれていないことがあるのだ。つまり、三部族が1つになって大和王朝を造ったという「証」やそれを象徴するものが残っているはずなのに、一切書かれていないのである。それが三輪山であり、大和三山だったと私は睨んである。
 ヒントをくれたのは、秋山眞人氏であった。秋山氏は「出雲、大和、ユダヤが融合した象徴が三輪山ではないか」と言う。古事記では、三輪山の由来は、三輪山に住む大物主を尾行するために付けた麻糸が糸巻きに三輪(三回り)分残っていたからだとしている。「糸巻きに三回り」とは意味深である。三つの輪が糸巻きに重なって一つの輪のように残っていたので、初めて真実がわかる(和となる)とも読める。つまり三部族が一つになって和(日本)ができたというわけだ。(p.183)
 《前編》 に書き出しておいたように、【ニギハヤヒ・オオトシ・アメノホアカリ】が同一人物であるなら、大物主にまつわる「三輪山」は、「三部族の和睦の象徴」というより「本来一部族の象徴」ということになる。
   《参照》  『アマテラス』 美内すずえ (角川書店)
            【三輪の大物主】
 秋山氏は、この三輪山に三部族の霊宝、つまり三種の神器を祭ったのではないか、との説を採っている。
 このように考えると、多くの事象が簡単に説明できてしまう。のちの第10代天皇・崇神のとき、疫病が大流行し・・・中略・・・、出雲系と見られる大田田根子を神主(祭司王)に指名、平たい土器を使って三輪山で天津神と国津神を祭らせたとある。・・・中略・・・。すなわち崇神は、三輪山が和睦を象徴する山であったことを知っていた可能性が強いわけだ。

 同様に大和三山も、三部族をそれぞれ象徴する聖なる山であったのではないだろうか。(p.184)
 大和三山は、“三部族それぞれの象徴・以上のモノ”だろう。
   《参照》  『大和物語 第1巻 アマテラスのメッセージ』 山内光雲 (たま出版) 《前編》
            【大和三山】

 

 

【和睦史を改竄した大和族】
 最初は大和王朝で厚遇されていた出雲族の人たちも、物部守屋の殺害と共に、やがては多くが迫害され、一部は東北の地へと追いやられることになる。竹内氏が指摘するように、藤原不比等により和睦の歴史は改ざんされ、大和族のみが正統であるとした記紀が「正史」として流布される。イザナギとイザナミの諍いを根の国で仲裁したハクサンククリヒメ(白山菊理姫)が正史から事実上消されたのも、和睦の歴史を葬り去ろうとした意図の現われであるのだろう。(p.186)
 和睦史の中核は、「天の安河の誓約(うけひ)」、すなわち、「アマテラス(大和族)とスサノウ(出雲族)の誓約〈契り〉」なのだけれど、和睦としての誓約の目的は、【「御難賛助」の誓い】だったのだろう。
   《参照》  『「超古代」の黙示録』 後藤まさし (たま出版) 《前編》
            【「御難賛助」の誓い】

 ところが、アマテラスとスサノウの間に生まれたのが、宗像の三女神であった(男が生まれなかった)ことから、スサノウの連れ子であったニギハヤヒが統一王朝の王になった。
   《参照》  『神の仕組み 神界再編と世界変革』 佐田靖治 (光泉堂) 《中編》
            【「天の安河のうけひ」に隠された真実】

 アマテラスの義弟たちは、これに不満を持ち、【「御難賛助」の誓い】を守らず、和睦の目的をぶち壊していったのだろう。
   《参照》  『アーリオーン・メッセージ』 アートライン・プロジェクト (徳間書店)
            【日本に封印をしたアマテラスの義弟たち】
            【それぞれの数霊】
            【封印を解くべき人物】
 桓武の時代には。坂上田村麻呂によって「出雲の残党」である蝦夷は根の国に蓋をして封じられてしまった。それがねぶた祭りの由来であると八切止夫氏は主張する。
 悲しみの歴史もあっただろう。そうした恩讐を超えるためにも、三輪山の本来の意味をもう一度、思い出す必要があると私は信じている。(p.186)

 

 

【神武東征から崇神まで】
 竹内氏によると。欠史八代といわれる第2代から第9代までの天皇は実在したという。ただし、神武後は、各地で縄文系や渡来系の「鬼」と呼ばれた人々らの反乱に遭い、大和王朝の土台は揺らぐ。第三代安寧ぐらいまでは、大和王朝をなんとか保てたそうだが、第六代の考安の時代には九州に逃げなければならない事態もあったそうだ。これが2世紀後半の倭国大乱と呼ばれる大混乱の時代で、瀬戸内海が主要な戦場となった。(p.187)
 竹内氏によると、「桃太郎の鬼退治」は崇神時代の実話が元らしいけれど、この時代を含み紀元前後の千年に渡る長い長い確執の歴史があったのだろう。
   《参照》  『空海は古代ユダヤの錬金術師だった』 月海黄樹 (徳間書店) 《後編》
            【讃岐の古代ユダヤ民族の金属師】
 その大和の地を再統一したのが、第10代の崇神であった。竹内氏によると、崇神のオバの倭迹迹日百襲姫が「卑弥呼」と魏志倭人伝で記された巫女王(祭司王)であろうとのことである。その根拠の一つは、百襲姫の娘が豊鍬入姫という、三輪山裏手の檜原神社に祭られている巫女で、この「豊(とよ)」こそ、魏志倭人伝に卑弥呼の後継者として出てくる「臺與(とよ))」だからであると竹内氏は説明している。正統竹内文書では、百襲姫と豊鍬入姫はあくまでも巫女王であり、統治王は崇神だったのだという。(p.187)
 下記リンクの解釈では、“ヤマトトトヒモモソヒメ = トヨ ≠ 卑弥呼” となっているけれど、三輪山や伊勢の祭祀に関しては、下記リンクに書き尽くされているだろう。
   《参照》  『ベールを脱いだ日本古代史』 坂本政道 (ハート出版) 《前編》  《後編》

 

 

<了>
 

  布施泰和・著の読書記録

     『誰も知らない世界の御親国日本』

     『異次元ワールドとの遭遇』