《前編》 より

 

 

【羽根ライン:東経137度11分:「南北ライン」】
 竹内巨麿が公開した竹内文書には、古代の日本では天空浮船という空を飛ぶ乗り物があり、その乗り物が「羽根飛び登り行く所」を羽根と名づけたと書いてあるのだ。私が試しにその羽根という地名を調べたところ、なんと石川県能登半島・能都町(現・能登町)から、富山市、岐阜県萩原町、愛知県岡崎市、愛知県渥美半島・赤羽根町まで羽根という地名がまるで正確に測量したかのように南北一直線に並んでいたのである。しかもそのラインは、奥能登の最高峰である宝立山、岐阜県にある霊峰・位山を測ったように通過していた。それが東経137度11分の羽根ラインである。
 この質問(羽根ラインを作ったのは誰か?)を竹内氏にしたところ、誰が最初に羽根ラインを引いたかはわからないが、ラインを整備した技術集団の長はイエスの弟のイシキリヒコ(石切彦)であったという答えが返ってきた。(p.49-50)
 石切彦という名前から、古代のフリーメーソンであることが分る。
 「羽根」が意味する内容こそが重要なのだけれど、それについては書き出していない。
 表紙に描かれている16菊花紋の中心こそが位山なのだけれど、本書にそういった内容は書かれていないので、下記リンクにリンクされている記事を。
   《参照》  位山(の中腹)

 

 

【「南北ライン」を打ち消す「東西ライン」?】
 超古代において、原日本人は山を使って光通信網を南北方向に張り巡らせた。一方、大和族は、神社や島を使って東西方向にそれを打ち消すラインを作ったのではないかと私は思う。具体的には大和族は隠岐の島を使って出雲―鹿島の国譲りラインを作り、淡路島と神島を結んで三輪山のラインを引いたのではないだろうか。最も北限のラインには、どうやら佐渡を利用したように思われる。(p.55)
 後入りの大和族が「東西ライン」を作ったのは、原日本人が作った「南北ライン」を打ち消し情報通信網・物流網を遮断することで、覇権を確立するためと著者は解釈している。古代の情報(光)通信には、鏡のように磨かれたヒスイが用いられたと書かれている(p.75)けれど、幾何学的な位置取りだけで、天空浮船による物流まで遮断できたとは考えにくい。
 そもそも、直角に交差するラインだからこそ有意なものになるのではないだろうか。下記リンクの著作は、そのような視点でラインを看ている。
  《参照》  『古代大和まほろばプロジェクト』 森嶋直樹 (文芸社) 《前編》
            【「まほろばライン」:北緯34度28分27秒】
            【「熊野ライン」:東経135度45分19秒】

 出雲―鹿島の国譲りライン(東西ライン)については、下記リンクのコメントに。
  《参照》  『知られざる古代日本のユダヤと秘密結社』 飛鳥昭雄×中丸薫 (学研) 《後編》
            【諏訪大社:日本の結節点】
 

 

【ソロモン神殿と諏訪大社】
 紀元前10世紀ごろソロモンは、隣国レバノンの王の協力を得て、レバノンの山から杉の大木を切り出して海へ下らせ、海路イスラエルへ運んで、神殿を建てた(旧約聖書列王記上の5章と6章)。この神殿建設は古代イスラエル人にとって、神との契約の証でもあった。この旧約聖書の記述から、諏訪大社の御柱祭がなぜ7年に1回執り行われるのかがわかるのである。というのも、ソロモンの神殿の建設には7年を要したと記されているからだ。(p.116)
 諏訪大社と古代ユダヤの関連を示す事柄は、他にも御頭祭りなどいくつかあるけれど、諏訪大社の祀神であるタケミナカタは、オオクニヌシと奴奈川姫の子であり、出雲の国譲りを最後まで拒んだ出雲系の人物。父である大国主がイエス・キリストであるとすれば、諏訪大社とソロモン神殿の関連もやや理解しやすい。
 因みに、オオクニヌシと奴奈川姫はヒスイ(翡翠)に関わる縁。
   《参照》  『瀬織津姫愛歌』 山水治夫 (評言社) 《前編》
            【翡翠と丹生】

 

 

【旧約聖書に記されている出雲大社の元】
 オオクニヌシが祭られた出雲大社にも、古代イスラエルと関係する何かがあってもおかしくないはずである。
 探してみたところ、1つだけあった。旧約聖書のヨシュア記22章に、「カナンの地のヨルダンのほとりに1つの大きな祭壇を築いた。それは大きくて遠くから見える祭壇であった」という記述があるのだ。・・・中略・・・。出エジプトに成功したモーゼの後継者であるユシュアが、カナンの地を武力で征服、12支族にそれぞれ領地を割り与える。ところがそのときに、ヨルダン川の東西に分かれてしまう事態が起こる。そこで、ヨルダン川の東を与えられたルベン族、ガド族、マナセ族の人々は、ヨルダン川の西を与えられた他の支族と同一のヤハウェに帰神していることを示すための「証拠」として築いたと記されているのだ。(p.130-131)

 

 

【古代イスラエル12支族の歴史】
 日本史におけるイスラエル・ユダヤの対応関係をわかりやすくするために、世界史の教科書に書いてあるようなことを書き出しておいた。
 起点はアブラハム。アブラハムとサラの間にイサクが生まれ、そのイサクとリベカの間に、エサウとヤコブという双子の兄弟が生まれた。
 兄エサウと和解すために故郷に帰る途中、ヤコブは「神」と「相撲」を取って「勝利」する。そこで神から「神と共に戦うもの」とか「神の勝利」を意味するという「イスラエル」という称号をもらうのである。(p.120)
 日本の国技が「相撲」であることのルーツは、『旧約聖書』にあるこの話が元である。
   《参照》  『誰も語りたがらないタブーの真実2』 中丸薫・三神たける (青志社)
            【相撲のルーツ】
 そして、そのヤコブに12人の息子が生まれ、その息子たちがそれぞれイスラエル12支族の祖になったのだ。・・・中略・・・。ヤコブの時代に12支族はエジプトに移住するが、やがてエジプト国王から迫害されるようになり、奴隷の境遇に甘んじることになる。そこに現れたのが、レビ族のモーゼであった。モーゼはイスラエルの民を連れて、エジプトを脱出(出エジプト)、カナンの地に住みつく。
 紀元前1000年ごろ、それまでバラバラだった12支族が団結する。軍事指導者サウルを初代の王とする統一王国ができたのである。これが古代イスラエル王国とよばれる国だ。
 その後、ダビデ、ソロモンといった王が誕生、イスラエルは強大な王国となるが、ソロモンの死後分裂。10支族はサマリアを都として北イスラエル王国を、ユダ族など残り2支族はエルサレムを都として南ユダ王国を建国する。北の10支族は紀元前722年、アッシリアに征服された後、歴史から消息を絶つ。これが失われた10支族だ。
 一方、南の2支族も紀元前586年、新バビロニア王国によって滅ぼされ、バビロンで囚われの身となる(バビロン捕囚)。彼らは新バビロニア王国崩壊と共に解放され、エルサレムに戻るが、もはや独立国を作るほどの力はなく離散、祭司が指導する神政共同体のような形で生活を続けることになった。これがユダヤ人と呼ばれるようになった人たちであるとされている。(p.120-121)
 書き出しの最後のある「これがユダヤ人と呼ばれるようになった人たちである」の「ユダヤ人」は、厳密には「スファラディー・ユダヤ人」。
 これに対して、「アシュケナジー・ユダヤ人」は、後にユダヤ教に改宗した白人系のユダヤ人であり、現代世界の金融・軍事・医療等などを通じて世界を支配しいる「闇の支配者」の系譜にある人々。

 

 

【古代イスラエル12支族と日本2大支族の対比】
 失われた北イスラエル王国(10支族)と南ユダ王国(2支族)を、日本における2大別の支族に対応させると、
 北イスラエル王国と南ユダ王国は大和族・出雲族に比肩されうる! (p.121)
 と書かれている。
 先に滅亡していた北イスラエルの方が、先に日本に来ていた出雲族に対応すると考えるのが普通であり、その通りのはずである。ところが、著者の「北イスラエル王国:南ユダ王国=大和族:出雲族」という図式は、その逆になっている。この逆転図式は、下記リンクの記述を踏まえれば納得できるだろう。
   《参照》  『空海さまと七福神が隠して伝えた「世界文明の起源」』 上森三郎 (ヒカルランド) 《後編》
            【イエスの息子たちと「欠史八代」の謎】
 古代イスラエル人が、大和族と出雲族(統一王朝)の抗争の行方を決めるキャスティングボードを握っていた。(p.140)

 

 

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