【和気清麻呂】
 平安京を造った人たちは、間違いなく、国の将来を想って、宝物(アーク)を四国・剣山から下して、今の兵庫県に移し替えた。・・・中略・・・。
 空海様と最澄様がしっかり二人連携して、平安京の礎を築いたが、その黒幕的存在として、和気清麻呂は指揮をとっていた。(p.94)
 和気清麻呂を祭る京都の護王神社の本殿が向かっている方向を調べたら、
 岡山県美作市の「大聖寺」に向けて設計されていたことが明らかになった。(p.95)
 この「大聖寺」を起点に、様々な図形が示され、伊勢、出雲、高野山、戸隠神社その他に関することなど、驚くべきことが次々とテンコ盛り書かれている。
 で、中間を全部すっ飛ばして、章末付近を書き出すと・・・。
 これらの図形のつながりから、空海様のルーツは秦河勝であり、女王卑弥呼であり、恵比寿神のタダイであると教えている。そう言い切れる。(p.136)

 

 

【中国・千山の九福神と日本の七福神】
 空海様は長安(現在の西安)で恵果阿闍梨に出会ってから、4回ほど千山に渡っていて、建国の礎を築かれた大事な神様たちの特徴を描いて、絵や雁塔に残している。・・・中略・・・。蓋をされてしまった神様たちの存在を、何とか後世の人間に伝えようと工夫されたのである。
 中国では、日本の七福神に2人を加えた九福神として祀られている。(p.140)
 p.144 に九福神と七福神の対応表が掲載されている。3つだけ書き出すと、
  呂洞賓:大黒天:イエス・キリスト=大国主=神武天皇=第3代高句麗・大武神王
  何仙姑:弁財天:卑弥呼
  曹国舅:恵比寿:タダイ(イエスの従兄弟)
 千山は、遼寧省の大連と瀋陽(沈阳)を直線で結んだ中間よりやや瀋陽寄りの鞍山近郊にある。
 鞍山には、日本が八幡製鉄所(後の新日本製鉄所)時代から鉄鋼生産の技術協力を惜しまなかった製鉄所があり、日本との縁は深い地域。

 

 

【イエスの息子たちと「欠史八代」の謎】
 世に「欠史八代」と言われる天皇たちがいる。初代の神武天皇の後、第2代の綏靖天皇から第9代の開化天皇までの8人の天皇のことである。・・・中略・・・。私はこの8人の天皇について、実在したことは疑いないと教えられている。しかも、第9代開化天皇を除く他の天皇は「全て暗殺」と教えられていた。
 しかし、系譜と在位年数については意図的に変えられている。在位年数については、神武天皇の即位年を紀元-前660年としたことから、辻褄をあわせるために伸ばさなければならなくなったと思われる。(p.168-169)
 初代:神武=イエス・キリスト。
 2代:綏靖=イエスの長男=ヤマトタケル。高句麗王としても即位している。(p.171)
 4代:懿徳=イエスの4男。
 イエスが日本に来たのは、どうしたって紀元後(AD)。であれば、建国を紀元前(BC=before Christ)660とする場合、その間を埋める必要がある。なぜ、日本建国をBC660年にしたのかについて、
 北イスラエルの崩壊(紀元前722年)に起因する人たちが先にこの国に来て、国の根幹を作っていた。そのスタートが紀元前660年である。(p.169)
 南ユダ王国の崩壊は北イスラエルの崩壊から136年後なので、南ユダ出身者は、遅れて日本にやってきた。
    《参照》   『空海は古代ユダヤの錬金術師だった』 月海黄樹 (徳間書店) 《前編》
              【日本に渡来した2つのユダヤの系譜】
 イスラエルには、南のユダ族の王が王位に就くという不文律があった。・・・中略・・・。そこで、イエスの即位を紀元前660年にしたのである。(p.169)
 イエスの死後、倭国大乱を経て、崇神天皇が即位する。この国を再スタートさせたのであるが、南の人たちは、あたかもこの天皇が初代であるかのように振る舞いたかった。
 始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)が2人存在するのはそのことを言っているのである。(p.170)

 

 

【岡山市東区の「天神山」⇒「麻賀多神社」⇒「息栖神社」⇒「勾玉山」】
 天神山という山は日本各地にあって珍しくもないのだが、岡山市東区の「天神山」は非常に重要な山である。・・・中略・・・。
 以後、私は次のようなことを警告として、機会あるごとに話している・・・・

「初代大王イエス・キリストの墓は3つありました。
 ひとつは、播磨の人たちが祀る、加古川市志方町の陵墓。
 ひとつは、大々的な世界的な神河町の陵墓。
 そして、・・・もうひとつありました。
 それは、イエス王家の人たちが密かに祀る私的な王家の陵墓。岡山市東区の天神山。
 そこには日蓮の名前もありました。
 天皇家の方々が、もし、このことを知らないとしたら・・・
 天皇家の方々が、もし、このことを知っていても祀っていないとしたら・・・
 これは、大変なことですよ!」    (p.180-181)
 岡山県の天神山と、熊山遺跡、京都御所、東京の御所そして、「日月神示」が降ろされた「麻賀多神社」が、一直線上に並んでいる。で、更にその先に東国三社の一つ息栖神社がある。
 なんと、この息栖神社の参道は、淡路島の「勾玉山」、私が「アブラハムの墓」と特定している山に向かっているのである。コンパスグラスで258度の方向である。その線上には富士山頂もある。元は「まがたま」と言われていた麻賀多神社から連鎖的に見つかった息栖神社の向いている方向が勾玉山なのだ。(p.233-235)
 「勾玉山」のある淡路島については下記リンクを
   《参照》  『淡路ユダヤの「シオンの山」が七度目《地球大立て替え》のメイン舞台になる!』

 

 

【日本におけるイエスの足跡】
 西暦32年2月10日、兵庫県高砂市と加古川市の境界に位置する高御位山で播磨の王として即位したのである。イエスはその時35歳であった。日本名・神武天皇、神話では大国主命と呼ばれる。また、高句麗では大武神王として記録されている。
 
 治世の3年目、西暦35年には、キルギスから母のマリアも呼び寄せた。その時、マリアは56歳。今の児島の港から上陸して、岡山県久米郡美咲町を安住の地として暮らし、西暦43年7月21日に64歳で死亡、その地の山の上に葬られた。

 イエスは、100歳で退位するまで65年間にわたって播磨と備前・備中を拠点にして理想国家の建設に尽力した。イエスの人間としての存在は特別だった。・・・中略・・・。
 イエスが統治した国土は、日本列島にとどまらず、朝鮮半島から今の中国まで広くアジア全域に渡っていた。

 イエスは、退位の2年後の西暦99年11月17日に、今の岡山県備前市穂浪で静かにその偉大な生涯を閉じた。(p.266-267)

 

 

【神霊界の作為】
 金もない私に、「神様が上森に金を持って行け! と言われましたので・・・」と数度、数百万単位で突然に送金してくださり、これもちょうどその費用で、地底探査や発掘の作業員の費用を賄うことができるという不思議もあった。

 肉体を持たない存在の神は、いつも次々にメッセンジャーを私に遣わした。
 メッセンジャーはいつも突然にして現れる。ワンポイントリリーフみたいに勝手に私に話しかけては私の前から消える。何気ない会話の中の一言にそのメッセージは届けられたりする。(p.281)
 上記の記述から、日本の真実を知らせるために、神霊界が著者・上森さんに動いてもらうために、どのように動いていたのかが分る。

 

 

<了>