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 “元つ神”の“つ”を漢字で書くなら、「(見えない)世界」を意味する“津”で“元津神”だろう。国常立尊と豊雲之神のことを言っている。2013年5月初版。

 

 

【7度目のラストチャンス】
 実は、いまの文明は、これが最初ではない。もう6度も文明が起こり、滅びていると、古神道では伝えられている。その証拠は、世界各地に残されており、前著『火水伝文と◎九十の理』では、詳しく紹介させていただいた。しかし、もう絶版になってしまったので、浅川嘉富氏の『謎多きこの惑星地球』(徳間書店)等を参考にしていただければ、納得していただけるのではないか。(p.35)
 上記の中の『火水伝文と◎九十の理』の後半には“まことのみち”とルビが降られている。◎の部分はPCのフォントにないから二重丸にしておいたけれど、本来は「○の中に点」。神道系の人々にとってはよく知られた「ス」のマーク。(この本の表紙の左上にあるマーク)
 “◎九十”(マコト)はゼロ(ス)と9と10と理解してもいいけれど、その場合は、間に1から8までを含んで完成に至るというような意味になる。「人(ひと=一十)」は1から10、マコトは、「ス」+「人」だろうか。
  《参照》  『女神と鳳凰にまもられて』暁玲華(アメーバ・ブックス)《後編》

         【一を鍛える】

 過去に何回アセンションに失敗してきたのかは、著作によって異なるけれど、それらは下記のリンクなどで確認できる。
  《参照》  『アマテラス』美内すずえ(角川書店)

         【ムーの過ちをくりかえしてはならぬ】

 

 

【平成】
 火水伝文が降ろされたのが1991年。二年前の1989年は、八九でヤク年といわれ、この年に年号が平成に変わった。ベルリンの壁が崩壊したのもこの年だ。平成の平を分解すると一八十となり、イワトと読める。平成は「イワト成る」すなわち「岩戸なる」だ。
 岩戸というのは、子宮の出口に掛けられていたもので、実は岩戸で子宮を閉じることによって、内部を保護し流産を防いでいたのだ。しかし、そのために、岩戸のそとのことがまったくわからなくなってしまい、岩戸の内部だけが宇宙だと人類は(中つ神も)思い込んでしまったのだ。・・・中略・・・。その岩戸が成るということは、岩戸を閉めることによって成されるべき事柄が成就したということにほかならない。つまり、胎児が充分に成長し、出産を迎えたということだ。そこで今度は岩戸が開かれるのだ。(p.56-57)
 平成はバブル崩壊と共に始まったから、経済的には「平らに成った」という理解がピッタリだったけれど、神仕組み的には、「岩戸成る」である。つまり古神道的な「アセンション」の表現。

 

 

【火水伝文】
 『火水伝文(ひみつつたえふみ)』とは、我空徳生さんという方にかかって、なかば強制的に目の前に浮かんだ文字を筆記させられてできた文章だという。
 「この『火水伝文』自体は一冊で内容は3部構成になるものです。内2部は既に世に出され」とある。・・・中略・・・。我空さんに直接お聞きしたところ、世に出された2部とは、日月神示と聖書のヨハネの黙示録のことだそうだ。(p.43)
 ということで、この著作の前半は、主に日月神示との相関でその内容が説明されている。

 

 

【真先に日本を払い清める】
 「既に世界はウラにて一つになりたぞよ。真中を過ぎし不測の時、世界の悪勢一挙に入り来たり全土を一つと七つに分け占めて修羅の地獄と化さしめん。これ、こたび始めの神仕組みなり。これ日本の事ぞ。マコトぞ。仕組みありて、真先に日本払い清めせなならんからぞ。・・・中略・・・」
 この文からは、外国が日本に攻め入り、日本は、1つと7つの計8つに分割統治されると読める。 (p.59)
  《参照》  『宇宙人がアセンションを語り始めました』田村珠芳(徳間書店)《中編》

          【日本の未来】

 「よいな、三年の間、汝等の心魂、修羅場と化せしその地にて耐え難きを耐え魂磨くのぞ。死して逃れんと欲っせしも、異界にて万倍の地獄飲まなならんのぞ。神、頼むぞ」 (p.60)
 このような苛烈な仕組みが、近未来に本当に起こるかどうか、それはわからない。少なくとも、今までの日本は、何度も最悪の事態を免れてきている。アメリカにおいても暗黒化と光明化が同時進行中である。アメリカの趨勢に関わることなので、日本がどっちに転ぶか、未来は未定である。
 日本には、神仕組みを担う人々がいる。そういった人々が、1991年時点で世に出た『火水伝文』やそれ以前から存在していた『日月神示』の未来予定を変化させてしまえる可能性はあると信じたい。

 

 

【火水伝文の主旨:“真釣り”】
 善と悪の二元論からの脱却。それが、我空さんが行おうとした仕組み(型出し)であり、火水伝文の主旨であった。(p.64)
 これって、エッセネ派の人々や上座部仏教の人々以来の、人類の課題である。
  《参照》  『地球維新 vol.3』白峰由鵬・中山大将(明窓出版)

          【プレアデスの轍:排除と統合】

 たとえば、また、神さまの世界。記紀では、天津神と国津神という2つのグループ分けがされている。歴史では、縄文と弥生、源氏と平氏、南朝と北朝のように、これまた対立するグループによる争いがあった。
 ところが、火水伝文によれば、本当は三元が元だったのだ。男と女がいることだけが重要ではない。両者が合体して子ができることが本質だったのだ。
 太陽と地球と月、火と土と水、霊と力と体、善と悪の場合は、きちんとした言葉が見つからないが、善でも悪でもない至善、あるいは善でも悪でもあるという状態が現実には存在する。
 あるいは、神で言えば、天津神(天孫族/伊勢族または日向族)と国津神(出雲族)を束ねる元つ神が存在する。天津神も国津神も、中つ神なのだ。このことをきちんと明確に説明したのは火水伝文が初めてだろう。(p.65)
 タイトルにある「元つ神」という用語が出てきたけれど、相反する二元を統合する弁証法的な三元目のような理解で「元つ神」を推測し理解することができるけれど、二元性(相対)の世界から、一元性(絶対)の世界へ到達することとも理解できる。
 なお、この善悪二元論からの脱却方法として、「真釣り」という表現が繰り返しで記述されている。日本では神様を“祀る”とか“祭る”と表現されるけれど、本来の意味は“真釣り”だったのだろう。
 『火水伝文(ひみつつたえ)』も読み方を変えれば『カミつたえ』で、“火水=神”の“真釣り”方の伝文と理解できる。そしてその場合の“火水=神”とは、自分自身のことである。“真釣り”に至っていないと“魔釣り(不調和)”になってしまっている。このような内容は本書を読めばよく理解できるけれど、書き出すと長くなるから・・・省略。

 

 

【弓の原理】
 人は何かを得ようとするとき、それまで一途に求めてきたことを最後の瞬間には手放さなければ、最終の一厘は得られない仕組みになっている。悟りを得ることはパラドックスになっているのだ。
 つまり、これまで、善を求めてきたが、最後の瞬間は、善の希求を手放すことが必要なのだ。
 これは弓を引くことと似ている。弦を善の方に思い切り引いたら、最後は悪に向けて矢を放つ。掴んでいた弦を放すのだ。すると弦は一気に悪の方へ振れ、その後、弦は真ん中に戻る。このとき、一瞬で善と悪が合一する。善悪の二元から、善悪を超えた三元へ移行した瞬間だ。私はこれを「弓の原理」と呼んでいる。(p.193)

 

 

【トイレの神様・金勝要神】
 ところで、『トイレの神様』という植村花菜さんの曲をご存知だろう。泣ける歌として一時話題になり、NHK紅白歌合戦に出場すると、人気は一気に全国区となった。・・・中略・・・。
 このトイレの神様は、金勝要神のことだ。霊界物語には、教祖(出口直)のお話としてこう記されている。
 「金勝要神、全身金色であって、大便所に長年のあひだ落とされ、苦労艱難の修行を積んだ大地の金神様である」
 さらに、神の御用をするものは、トイレなど汚いところを楽しんで清掃しなければならないと述べられている。金勝要神も復活し、これからいよいよおはたらきになる。この歌のヒットはその証といえるだろう。(p.79-80)
 金勝要神(きんかつかねのかみ)は、国祖・国常立尊とともに隠遁した神様。
 岩戸成る時代になって、金勝要神は国祖・国常立尊と共に復活している。

 

 

【「君が代」の黙示】
 「君が代は 千代に八千代にさざれ石の いわおとなりて こけのむすまで」は日本国家となった「君が代」の歌詞だが、この後半の「いわおとなりて」は、「いはおとなりて」という、次元転換を黙示していたのだ。
 君が代とは、キヨクとミヨクをあらわす「吾が世」という意味となる。清くも身欲もある今の世界だ。
 私たちの世界は、八の世界の終わりにきたときに、神幽顕の三界(さざれ)と一四(一霊四魂、すなわちあいうえお)の「い」が「お」と入れ替わる。「あおうえい」の世界になる。九気(コケ)がム(無すなわち元つ神のこと)によってスべられるまで、つまり、宇宙が転換されて、ミロク世が完成するまでに、というのが全体の意味となる。
 君が代は、アセンションを黙示していた歌だった。(p.162-163)
 「い」は「お」となると、「あいうえお」が「あおうえい」になる。
 一音が一音がそれぞれの神を表すから、この並び替えによって何かが変わるのだろう。
  《参照》  『「君が代」その言霊は、潜在意識を高次元へと導く《光の種子》となる!』森井啓二《後編》

              【「君が代」の核心部分】

              【「あおうえい」の宇宙摂理】

 

 

【仕組みの終了】
 仕組みとは、宇宙創造神が、宇宙を創り、人類を創生し、成長させる上で仕組まれた、計画の一つをいう。計画全体は「経綸」と呼ばれている。(p.157)
 経綸に「神人合一の道」が初めて降ろされたのは、岡田光玉氏の「真光」においてだ。そして、橘カオル(当時)氏と深見青山(当時)氏のコスモメイトおよび安藤妍雪氏に継承され、我空さんの担った仕組みで完成したのだ。「神人合一の神宝」がついに降ろされた。(p.153)
 「神人合一の神宝」とはどのようなものなのかが第四章に記述されている。我空さんに降ろされた「御魂返しの神宝」の3点セットが p.168 以降に書かれているけれど、我空徳生さんは宗教団体や組織のようなものを作っていないらしいから、それらを体験したいなら、ワールドメイト(前身はコスモメイト)という団体を率いている深見東州(以前は深見青山)先生の所でいろんなエッセンスが学べるだろう。
  《参照》 『地球維新 天声会議 宇宙の黙示録』監修・中今悠天(明窓出版)《後編》
        【小泉大志命先生が会われた3人】
        【小泉大志命先生が深見先生に言ったこと】

 

 

【「神人合一の道」】
 人に願いと祈りがあるように、神にも願いと祈りがあるという。人が、神と人との差を取るサトリを成就させることが、神の願いだという。人が神の子となるのが「神人合一」だ。人が神人合一することを目的に、人を創造したとある。
 この言葉をもって、真光に「神人合一の道」が降ろされたのだ。
 真光が担った型出しの御用は光風会に受け継がれたが、「神人合一の道」の役割は、徳田愛子氏と安藤妍雪氏が担われた。
 真光の岡田光玉氏が没したまさにその時間、徳田氏の夢枕に光玉氏が現れ、「あとは託したぞ」と経綸の引継ぎが行われたのであった。(p.201)
 徳田愛子=橘カオル=植松愛子先生の著作が、読書記録内に一つある。
    《参照》   『妙のことたま』植松愛子・選(たちばな出版)
 ついでに、 深見東州先生の読書記録 はテンコモリある。

 

 

【「玄牝の門」】
 徳田氏の教えは、生活に根差したもので、シンプルだ。(p.202)
 もしかすると橘氏が見た、無の世界の光とは、やがて訪れるであろう、現実界(水の田)と霊界(火の田)が合体した五次元世界だったのかもしれない。未来を垣間見せてもらったのだ。
 また、家の入口には、玄関がある。なぜここを玄関というのだろうか。
 中国の老子に「玄牝の門」というのが出てくる。玄牝とは、谷神が住まうところ、すなわち奥深い母性が存するであり、天地の根源であるという。つまり、無の家のなかのことだ。つまり、玄牝の門は、玄牝と現界の境にある門のことを意味する。
 その玄牝の門が玄関なのだ。人は家に帰ると、玄関の前で、「ただいま」と言って、中に入る。つまり、玄関すなわち玄牝の門をくぐり、天地の根源の神のところへ帰るには、「ただいま」が必要なのだ。徳田氏はこれを「ただ今に生きること」と教えた。(p.204-205)
  《参照》  『自分の神さま作ろうよ』無能唱元(日新報道)
           【玄】
  《参照》  『禅、シンプル片づけ術』枡野俊明(河出書房新社)

           【「玄関」で「ただいま」】

 

 

【神代文字】
 安藤妍雪氏は、昭和天皇とのご縁で、「神代文字」を現代に復活させる五大産(御用)を担われた。東京および日玉(飛騨)の国高山で 「書の霊智塾」 を主宰されている。高山では「位山アートギャラリー」(☎0577・53・3366)を開いて常時作品を展示している。
 神代文字とは、古代から降ろされていた文字のことで、長い間隠されていた。日本の文字は、平安時代に中国から入った漢字から生まれたことになっているが、これもわけあってそう伝えられていただけだ。
 神代文字は公には認められなかった。もし、それを認めると、日本が世界の文明の元であることが証明されてしまうことになる。それでは、いまの支配体制にとっては都合が悪いのだ。
 神代文字には、それを降ろした神々のパワーが凝縮されている。その文字を修練することで、魂が清められる。(p.207-208)
  《参照》  『失われたメシアの神殿「ピラミッド」の謎』飛鳥昭雄・三神たける(学研)《前編》
         【漢字の元】

 

 

【「闇の支配層」は爬虫類人】
 第5章には、宇宙情報なども「元つ神」をフォローしていたという内容が記述されている。過去の読書記録に書き出してきた内容だけれど、大抵の人が眉唾と思うに違いないことを、再度書き出しておこう。
 一般の人類は、見てのとおり霊長類だが、支配層と呼ばれる人たちは、爬虫類の身体が元になっていると考えられるのだ。しかも、トカゲ族、蛇族、ワニ族、龍族などいくつかの種類に分けられる。
 中丸薫氏によれば、王族などの支配層は、戦に敗れ、追われて他国に逃げても、その国でも支配層でいられるという。それは、支配層にはこうした身体的特徴があり、一目で、それとわかるからではないだろうか。だからこそ、彼らは、血のつながりを重要視し、日本の天皇家も万世一系にこだわったと思われる。(p.255)
 現在の世界の「闇の支配者」であるイルミナティの正体はレプティリアンである。
  《参照》  『日本人はドラゴニアン《YAP(-)遺伝子》直系! だから、〔超削減〕させられる』高山長房《中》
           【イルミナティの儀式】
  《参照》  『日本に仕掛けられた最後のバブル』ベンジャミン・フルフォード(青春出版社)《後編》
           【スカルノ大統領の血統】

 

 

【玉置神社】
 玉置神社に火水宇気霊を奏上しに行ったときの話を思い出していただきたい。玉置神社に素盞鳴尊がお祀りされていないのは、宇気霊を奏上する人たちそれぞれがスサナルノミコトだからであった。玉置神社でのことは、型示しだ。
 スサナルとは、「主座成る」という意味に解釈できる。
 つまり、この度のアセンションでは、私たち日本人がスサナルノミコトとなって、ミロクの世を創るのだ。(p.278)
 玉置神社 は、知る人ぞ知るパワースポットらしいけれど、一般の神社に置かれている鏡も、いわば自霊拝のため。神道は古来から、「神は身のうちにあり」と教えている。
  《参照》  『神々の聖地』 山田雅晴 (たま出版)
        【三種の神器は人の心の有り様を表わす】

 

 

【神山から、九頭龍のお姿となって】
 我空さんは、かつて、「菊理姫様が現実界でおはたらきになるとき、箱根の神山から、九頭龍のお姿となって現れる」とおっしゃったことがある。
 この九頭龍神は、箱根芦ノ湖の湖畔の九頭龍神社に祀られている。(p.286)
 「加賀白山から箱根の神山へ、菊理姫様が九頭龍となって顕れる」なんて言うと、カチンコチンの現実界石頭さんなら「わけわからん」とかって言いそうだけれど、神道系に方にとっては普通に理解できること。

 

<了>