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 2010年に大ヒットして、その年の紅白歌合戦で歌われた曲 『トイレの神様』 (再生回数1500万回を超えている!!!) を作った著者が、それまでの人生模様を綴った書籍。2010年7月初版。

 

【ロビンソン】
 スピッツの曲名ではない。著者のおじいちゃんのこと。
「ねぇお母さん、そういえば・・・中略・・・ホンマのおじいちゃんのこと、あんまり聞いたことなかったなぁー。お母さんのお父さんやろ。どんな人やったん? なんて名前」
「ああ、話したことなかったっけ?・・・・ロビンソンよ」
 は・・・・?
「・・・・ロンビンソン?? なにそれ、どういうこと? おじいちゃん、日本人じゃないの?」
「うん」
「え、えぇ!!!? じゃあお母さんハーフ??? この年になるまでぜんぜん知らんかったわ! ロビンソンっていうことは、何人やろ。アメリカ人?」
「ちゃう」
「じゃあ、イギリス人?」
「ちゃう」
「アメリカン人でもない、イギリス人でもない・・・えーと、じゃあ、オーストラリア人や!」
「ちゃうで」
「えぇ~、ロビンソンってほかにあるか~? じゃあ何人なん?」
「台湾人」
「・・・・。いやいやお母さん、台湾人にロビンソンなんて名前ないで。間違えてんちゃう?」
「あ、ごめんごめん。ロ・ビンソンや」
 ・・・・。
「嘘や~! それ絶対ネタやろ~!」
 つまり、母の父、私の本当のおじいちゃんは「呂敏尊」という名前の台湾人だったそうだ。ということは、母は日本と台湾のハーフ。そして子どもたちはみんなクウォーター・・・。 (p.34)
 一青窈のお父さんが台湾人なのは、日本でも台湾でもよく知られているだろうけれど、著者の場合は1/4のクウォーターだから、そんなに話題にはならず知られていないかも。
 それにしても、関西には、実話なのか面白いネタなのかよくわからないような話が少なくない。著者のお母さんも、関東人から言わせれば、とっとと解散宣言をして 『ホームレス中学生』 を生み出した“たむきん”の父親みたいに、素っ頓狂な感じの方のように思える。いろんな問題を抱えつつ、なかなかユニークな家族だったらしい。

 

 

【おばあちゃんの教え】
 私はおばあちゃんから・・・中略・・・注意されたことはない。・・・中略・・・、黙って見守ってくれていた。それではうまくいかないと思ったときは、おばあちゃんのすることを見て学んでいった。
 けれど、おばあちゃんがたったひとつ言葉にして教えてくれたことがあった。それが、「花菜、トイレには、それはそれはキレイな女神さまがいるんやで」ということ。
 洗濯も料理の掃除も、家事全般なんでも自分から進んでやっていたけど、唯一トイレ掃除だけがなんとなく嫌いだった私(みなさんもそうではないですか?)は、
「へぇ~、そうなん?」
 と、女神様とべっぴんさんになれるという言葉に食いついた。(p.41-42)
 トイレ清掃の重要性を知っていたおばあちゃんは、叡智ある人ということになる。
 企業経営者でトイレ清掃の重要性を知って実践している方々は少なくない。
    《参照》   『日本の個性』 八木秀次 (育鵬社) 《後編》

              【職業に貴賎なく、末端の仕事を尊ぶ日本人】

 

 

【「よしもと新喜劇」と「オアシス」】
『よしもと新喜劇』は、毎週土曜日に放送される関西地方の大人気番組だ。まわりでは観てない子どものほうが少ないほど。(p.45)
 よしもと新喜劇は、「これぞ大阪!」というくらいのコッテコテのお笑い番組で、いつも楽しく観ていたのだけれど、実は、私はこの番組を観て笑うことがなかった。(p.46)
 私はこの番組を楽しむというより、「笑いを勉強する」という気持ちで見ていたようなのだ。 (p.47)
 それまで笑顔があったのに、おじいちゃんが亡くなってから、植村家の雰囲気は一変してしまったという状況下、バラバラになってしまいそうな家族をまとめ上げるという目的のためによしもと新喜劇を観ていたらしい。
 だから、そのために、おばあちゃんに録画をたのんでおいた。でも、おばあちゃんが録画を忘れたとき、おばあちゃんを責めて大声で泣き出してしまったと書かれている。
 そのころ、私は姉のみおぽんから言われた、忘れられない言葉がある。・・・中略・・・。でも、この一言が自分の人生の生き方を決めたのかもしれない、と思う。それは、
「あんあたは、植村家のオアシスや」
という言葉。 (p.49)

 

 

【あわや暴行事件!!!】
 著者がつき合っていたボーイフレンドのこと。
 人から聞いた話では、こんなこともあったそうだ。道を歩いていてすれ違った人と、彼の肩がぶつかった。すると相手がイチャモンをつけてきたために、彼もキレて、大げんかになった。彼が相手の胸ぐらをつかみ、あわや暴行事件・・・と思ったとき、彼がこう言ったそうだ。
「ごめんなちゃいは?」 (p.166-167)
 爆笑。
 さすが大阪! と言うべきか。

 

 

【メゲないところ】
 オーディションで優勝し、レコード会社と契約していたものの、なかなか芽の出なかった頃のこと。
 社長は、何かのインタビューで「植村さんの魅力はどこですか?」と聞かれたとき、「メゲないところ」と言ってくれた。
 確かにそうだ。自分で言うのもナンだけれど、私は本当にメゲない。どんなにつらいことがあってもメゲない。その「メゲない」ことが「あきらめない」に通じて、「あきらめない」ことが「信じる」ことにつながっているのだと思う。
 不安はいつだってあるし、自信だってない。でもきっと、がんばればそうなれるとずっと信じている。
 それはたぶん、家のことがあったからだと思う。(p179)
 著者の家族の人間模様を読みつつ、母親と子供の役割が逆になっているように思えていた。多分、親より子供の方が成熟した魂を持って生まれてきているのである。成熟した魂を持つ子供が中心となって家族を維持しているのである。こういうのは決して珍しいケースではない。
 因みに、チャンちゃんの魂は、飼い犬のシケ桃と同程度の成熟度である。まあ、つまり犬並み。人のことをとやかく言えるレベルではない。

 

 

【「トイレの神様」誕生】
 今回のプロデューサーは寺岡呼人さんだった。
 呼人さんとは、それ以前から何回かお話していて、そのたびに「等身大で面白い子だな」と思ってくれていたという。そこで、アルバムを作るにあたって呼人さんのアイデアというのが、「素の植村花菜がすごく魅力的だから、そのパーソナルな部分をアルバムに出したらいいものができるんじゃない?」というものだった。・・・中略・・・。曲作りにあたって、家庭環境の話、恋愛観などいろいろな話を、呼人さんとたくさん話した。その中のひとつに、私とおばあちゃんの「トイレの神様」のエピソードがあった。・・・中略・・・。すると呼人さんが一言、
「その話、すっごくいい話だね。それを曲にしようよ」 (p.184-185)
 で、楽曲としては異例の10分という長~~い素晴らしい曲が、世に生まれ出ることになった。
 初めてラジオに流れた時の反響は凄かったらしい。
 聞いてくれる人の心に私の歌が届いたことが嬉しかった。私におばあちゃんとの思い出があるように、聞いてくれる人たちにもおばあちゃんとのそれぞれの思い出がある。ひとりひとりが何かを思うきっかけになってくれたのなら、本当にうれしいことだ。(p.196)
「トイレの神様」を書いて気付いたことがある。
 これまでは恋の歌がいちばん多かったけれど、私が書きたかったものは、恋ではなかった。恋愛を(とくに辛い恋を)していないと曲が書けない、と思って悩んだこともある。でも今は、そうは思わない。書きたいものは、人であり、家族であり、絆だ。それがたぶん、「植村花菜」が書けるテーマなのだ。
 だって私は、家族のために、家族がひとつになるために歌を歌っているのだから。それなのに家族のことを書かないで、いったい何を書くというのだろう。(p.198)
 著者がこう思う背景には、幼い頃から父親不在という家庭環境であったことその他があったのだろうけれど、母方のおじいちゃんを通じて台湾人のDNAが混ざっていることもあるのかもしてない。
 国が経済的に発展すれは核家族化する傾向が強くなるけれど、その過程で、家族の絆は希薄になってゆく。台湾も日本と同じくらい経済的に発展しているけれど、台湾は日本ほど核家族化という悪弊に苛まれてはいないだろう。3世代4世代がゴチャゴチャになってお喋りに満ちた賑やかな生活をしている状況はいまだに少なくないはずである。
 特に産む性としての女性は、本質的に温かな家族を持つことを欲しているはずである。「トイレの神様」は、そのためにこそ存在しているんじゃないだろうか。少なくとも、トイレの女神様がベッピンさんにしてくれるのは、物語のような理想的な恋愛を成就させるためではないだろう。

 

<了>