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 吉本お笑い芸人の著者。ミリオンセラーとなった書籍だから、その大筋といくつかのエピソードはテレビで聴いて知っていたけれど読んでみた。連日のホームレスもの。

 

 

【解散】
 中学2年1学期の終業式の日、家に帰ると 「差し押さえ」 のテープが張られた家具が並んでいた。
 「ご覧の通り、まことに残念ではございますが、家のほうには入れなくなりました。厳しいとは思いますが、これからは各々頑張って生きてください。・・・・・・・・解散!!」
 か・い・さ・ん? あの遠足のときに使われる解散? ということは、家に帰ればいいのか? たった今その家に入れないと言われたとこなのに? まったく理解できなかった。 (p.7)
 お父さんの、この突然の解散宣言によって、子供3人のホームレス生活が始まった。このお父さんって、素っ頓狂な人らしい。著者は、決して 「あきれたオヤジ」 とは書いていないどころか、逆に肯定的に書いてさえいるけれど、読んだ方はそう思わざるを得ない。
 兄姉弟の3人で共同生活と思いきや、末っ子の著者は、なぜか一人で生活することを主張し、それを貫いている。妙な勇敢さである。こうしてめでたくホームレス生活者として公園デビューをはたしたのである。

 

 

【まきふん公園】
 一風変わった滑り台があった。この一風変わった滑り台に由来する。
 市としては、巻貝をモチーフに中をくり抜いて、遊べるようにした滑り台を作りたかったのだと思うが、剥げた茶色という見た目も助けて、まきまきウンコにしか見えなかった。(p.11)
 本のカバーを外したら、天辺に著者が立っているその写真が写っていた。現在は青色になっているけれど、けっこうデカイ。それにしても “まきふん” は上品すぎる。呼称決定にお母様方が口を挟んだのではないだろうか。子供だけの感覚からしたら、ダイレクトに “ねじりウンコ” とか ”まきまきウンコ” である。
 ねじりウンコ公園。こんなん聞かされた人はドキッとすることだろう。
 「まきふん公園」 で過ごさねばならないような悲惨な状況であることは十分分かるのだけれど、このウンコ滑り台の中で寝ていた数日間の様子には笑ってしまう記述の方が圧倒的に多い。

 

 

【親友のよしや】
 たむきん(著者のあだ名)は親友のよしやに出会って、家で御飯を食べさせてもらい、そこで一緒に生活させてもらうことになった。よしや君のお父さんお母さんって素敵だ。
 他にも大勢の親切な人々の助力を得て、やがて兄姉弟の3人は小さな一軒家で共に生活できるようになった。

 

 

【味の向こう側】
 お兄ちゃんの提案でもっとお米を噛めば、満腹中枢が刺激されて、少ない量でも満腹感が得られるのではないかということになった。
 腹が減っているので、がむしゃらにかっ食らいたいのを我慢して噛む。噛む田村兄、噛む田村姉、噛む田村弟。
 最初は噛もうと思っていてもつい飲みこんでしまって失敗したが、だんだん慣れてくると飲み込まずに、やたらと噛めるようになってくる。おそらく一口のお米を5分以上は噛んでいた。
 ・・・中略・・・。
 もはやお米達はもともとは自分達がそれぞれの粒であったことなど完全に忘れ、ドロッとした液体になっている。
 それでも飲み込まずに強い意志を持って噛み続ける・・・噛み続ける・・・噛み続ける・・・。
 ・・・中略・・・。
 すると、無表情だったお姉ちゃんの顔が、フワッと明るくなった。
 まるでモナリザのような、安らかな美しい微笑が浮かんだ。
 そしてお姉ちゃんは大きな声で、
 「今、一瞬味がした!」 と叫んだ。
 ・・・中略・・・。
 「味の向こう側」 に辿り着くことができたのは、誰よりも農家の人よりもお米の可能性を信じたお姉ちゃんのウルトラCだった。 (p.144-147)
 この奇跡の瞬間に出会えるまで、お米を噛み続けて、やってみようか。  

 

 

【母に今伝えたいこと】
 お父さんから解散宣言が出される数年前、著者が10歳の時に、家族はお母さんを亡くしている。末っ子でぞんぶんに甘えてきた著者は、文中のいたる所でお母さんのことを書いている。そして最後でも5ページを費やして 「母に今伝えたいこと」 という章を記述している。著者は、おそらくこの部分を一番書きたかったのではないだろうか。
 誰一人として決して悪意に取ろうとしない著者の優しい性格の根っ子は、きっとお母さんの心につながっているのだろう。ついでに、少しばかりの寂しさも・・・・・。でも頑張れるじゃん。 
 
 
<了>