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 著者は臨済宗円覚寺派の管長さん。仏教系の著作なんてあんまり読みたいとは思わないけれど、禅宗系統の著者ないし著作ならば手に取ることもある。けれどこの著作は、それほど禅的な内容ではなかった。

 

 

【心の座標軸】
 仏教は “心の用い方を説く宗教” みたいなものだから、著者の場合は、時代に合わせて分かりやすいように、以下のように説いている。
 だいたい怒りや悲しみ、笑いや喜びには、これという基準があるわけではありません。「XとY軸のどこそこまできたら怒る」 とか 「XとY軸のどこそこに達したら笑う」 などという、万人共通の決まりはない。怒りも笑いも、悲観も楽観も、全ては美奈さんの心が決めている。
 笑い上手、喜び上手は、プラスの面積が広くなるように座標軸が設定されているのでしょう。
 逆に、なんでも悲しがったり、すぐに怒ったりする方は、マイナスの面積が広くなるような座標軸になっているのではないでしょうか。
 X軸とY軸を固定して、「私は、私は」 と言わずに、この軸を自由に動かしてみてはどうか。(p.39-40)
 人の心は常にコロコロと座標軸を上下左右に移動している。常に第一象限(X軸Y軸共にプラスの領域)が広い状態を保っている人って達人なのだろう。

 

 

【幸せって何ですか】
 幸せって、何ですか。私は 「分数」 で説明します。分母が欲望で、分子が満足であり、満たされた度合いです。分母の欲望が少ない人は、物が少しあればそれで満たされます。それが 「満足」 ということです。(p.55)
           【「足りない」状態】
 経済が発展している時に、このような仏教的な 
                      ――-
                    /  五  \
  “吾、唯、足るを知る”   | 矢 口 隹 |
                    \  疋  /
                      ――-
の教えはあまり受けないけれど、今日のような停滞気味の御時世には受け入れやすい考え方である。

 

 

【最澄19歳】
 比叡山にお籠りになった最澄は、まず 「願文」 を発表なさいます。そこには、19歳の青春の苦悩が溢れています。
 一番最初の部分に

  悠々たる三界はもっぱら苦にして、安きことなく、
  擾々たる四生はただ患いにして、楽しからざるなり

 この世の中は無常であって、楽しいことなんか何一つない。人間として生きていくということが大変な苦しみである。何にも楽しいことはない。
 この 「観無常」 こそ、悟りの原点です。(p.88)
 こういうのを読むと、 「仏教って暗いよねぇ~~~」 って思ってしまうけれど、19歳でこんなこと考えているなんて、最澄さん、若くても心の中は皺々のオジイチャンだったに違いない。
 仏教やっていると、早い時期からオジイチャンになれる。でもそれによって心の代謝活動も低く安定するから長命にもなれる。

 

 

【自分を見つめる眼の厳しさ】
 この世に生命を戴くことの素晴らしさを、大海と山に譬えられた最澄ですが、ご自分については、

   愚がなかの極愚 狂がなかの極狂
   塵禿の有情 低下の最澄

と言われた。
「自分は、これ以下もないほどの愚か者であり、これ以下もないほどの変人である。埃まみれの人間で、低下の最澄がいまここに居る」
 ご自分をこういうふうに言っておられる。有情というのは 「人間」 ということです。
 この言葉から、自分を見つめる眼の厳しさをうかがうことができる。(p.99)
 自分を厳しく見つめていない今日この頃。
 この文章を読んで、本当に “厳しさ” が抜け落ちてしまっていることに気付く。
 自分に厳しくなれないと “最も澄みわたる人” に近づくことなど到底できないだろう。いや、 “最も澄みわたる人” だったから自分に厳しくなれたのかもしれない。
   《最澄関連》   『「強い日本」のルーツは最澄にあり』 上之郷利昭 佼正出版社
             『未来を拓く君たちへ』 田坂広志 (KUMON)
               【人生の意味・仕事の意味】
             『忘己利他のこころ』 根岸宏衣 (講談社)
               【「忘己利他」のこころ】

 

 

【著者の読書体験】
 私の読書体験を少し話しますと、寺に下宿したとき、そこに吉川英治さんの 『宮本武蔵』 全6巻がありました。私は、この 『宮本武蔵』 から、道を求めるということが、人間形成にいかに大切なことかを学んだ。
 また、寺の書庫には、ヴィクトル・ユゴーの 『レ・ミゼラブル ―― あゝ、無情』 という本もありました。 ・・・(中略)・・・ 。私はここで、ジャンバルジャンの 「無限の愛」 はどこから生まれてくるのだろうかと、しきりに考えました。(p.123)
 「道を求める」 ことの大切さ・・・・。そして 「無限の愛」。

 

 

【昔は小さな寺の和尚でも・・・】
 今と違って、昔は田舎の小さな寺の和尚でもかなり勉強していました。その和尚さんが論語とか、中庸、四書五経などの漢籍を教えながら読ませて、いつも小僧を集めてこう言われた。
「将来、いくら大寺の住職になっても学問がなければ駄目だ、どんなに小寺の住職でも学問があれば恥ずかしくない、大手を振って歩けるぞ」
 と、常にそう説かれた。
 お寺に限らず、学校でも会社でも、どんなに名のある組織に属しても、本人が努力しなければ、その名のある効き目は薄れます。ですが、小さくて名もない組織にあっても、努力し、学べば、その人は自ら輝いていくる。(p.132)

 

 

【昔の寺は学問をするところ】
「昔は寺で葬式はしなかった。寺院は学問をするところであった。法隆寺を見るがいい。檀家などというものはない」
 このあと、まだ続きがあります。
「今の坊主は、みんな死人の骨をしゃぶって生きている、世間から馬鹿にされるのは当たり前だ」 (p.154)
 祖父の弟さんにあたる閑円察さんというお坊さんから、こう言われた友松円諦さんは、本当にそういうお寺を自分で作ってしまったという。
 友松さんは、後に、「いつか、自分の理想の寺を作りたい、村上専精さんのように、世界中の人々をみんな檀家にしたい」 という願いを持って、終戦後、檀家制度のない神田寺という寺をお作りになった。(p.156)
 特定の宗教団体に属する人々も、教祖さんに学問がなければ、 “経営のための葬式仏教” に類するような本質的過ちを犯し続けていることだろう。

 

 

【タイトル解題】
 タイトルの言葉についてポイントの説かれた記述はなかったけれど、著者にとっては当たり前すぎて、言うに及ばないことだからなのであろう。
 「即今只今」 は 「中今」 と言い換えることができるけれど、この思想の基は、禅宗が日本に伝わってくる以前から、この日本にあったものである。
   《参照》   『どこまでも強運』  深見東州  たちばな出版
            【神道の風土】
 
 
<了>