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 朱新仲の「人生五計説」に即して、「生計」 「家計」 「身計」 「老計」 「死計」 の順で記述されている。じつは、「死計」 が出来ていないと 「人生五計説」 は成立しない。タイトルがそのことを示していた。


【 「士」 なのか 「民」 なのか】
 『孟子』 の 「梁恵王章句・上」 を吉田松陰は松下村塾の弟子たちに徹底的に仕込んだといわれている。彼の名著 『講孟箚記』 に、「此の一句にて士道を悟るべし」 と出てくる。
 吉田松陰も孟子に従って 「士」 と 「民」 とを分けている。「恒産なくして、恒心ある者」 が士である。しかし、民のほうはそうはいかない、「恒産なくして、恒心なし」。つまり、地位や財産が安定していないと、なにを仕出かすかわからないのが民である。 (p.111)

 現在の日本に、「私は士である」 と言い切れる人々は何人くらいいるのであろう。現在の日本の40%は、パートタイマーとさして変わらぬ切り離しご随意な契約社員であるという。「恒産」 状態を維持している人々は減っている。仮に、この様な人々が宗教団体にでも入って 「士」 の道を学んで感銘を受けたとしても、その後に、恒産なき状態に立ち至った時、「士」 の道を歩み続けることができるであろうか。


【 『葉隠』 の 「常住死身」 】
 軍国主義の時代の中で、『葉隠』 の 「常住死身」 は、「いつでも国家のために死ねる用意をしておけ」 というふうに解釈されていた。私たちは、皇国史観の教授や配属将校からそのような解釈を何度も聞かされながら、「毎朝毎夕、改めては死に死に」 とは自己否定を連続させることによって、生の凝結度を高めることではないかと、低い声で話し合っていた。『葉隠』 の説く 「常住死身」 という死計は、じつは生の充実、ということなのである。 (p.198)



【希薄になった 「死計」 】
 上述の文章に続いて、戦後の日本人に 「死計」 が希薄になったわけを、著者は以下のように考察している。
 「生活の社会化」 が進み、どこの家庭もその家庭ならではの「家風」を喪失し、戦後の日本人にとって、「人と違ったことをしないこと」 が徳目であり、「自己を立てない」 ようになった。このような連続系の中にあっては、自己の存在についての認識が希薄になるのは当たり前である。 (p.199)
 戦前の家庭すべてに行き渡るほどの発行部数を記録したといわれる 『西国立志伝』。叔父さんたちが読み回したであろうその本が私の実家にはある。当時はまだ日常生活の中に武士道が色濃く残存していたからであろう、武士道が 「死計」 を与え、それ故に 「立志伝(論)」 へと連続していたのではないかと思える。現在のような柔な 「生きがい論」 などが出る幕はなかったのであろう。
 そして、戦後生まれの私たちが最後に思いつく 「生きがい論(生きる理由)」 は、せいぜい 「必要とされるか、されないか」 なのである。今しがた観てきた 『旅の贈りもの』 という日本映画の主題もこれであった。
 まさに、草柳さんが書いている通りなのであろう。「志(士の心)」 が消えて、「民の心」 になってしまっているのである。
 やはり、今の日本に必要なのは、「士道」 を生き筋の中に復活させることなのであろう。
 硬派な見解にたどり着いた自分を何となくカッコイイと思ったりもするのだけれど、知行合一の難しさを、軟弱な私は誰よりもよく知っている。たどり着いただけではカッコイイとはいえないところが痛い。

 

<了>

 

  草柳大蔵著の読書記録

     『絶筆 日本人への遺言』

     『「日本らしさ」の新段階』

     『継続は力なり』

     『あなたの「死にがい」は何ですか?』

     『これが私のお経です』