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 表紙に、企業リーダー学とはあるけれど、書籍の内容は殆どが歴史的な内容の記述である。


【平安京の最澄】
 平安京を開いた桓武天皇サイドの最澄は、聖武天皇・孝謙天皇サイドの道鏡に代表される平城京を地盤とする奈良仏教諸宗派と厳しく対立した。 (p.57)

 最澄が行った「高雄山寺(現在の神護寺)大講演会」は、桓武天皇の肝いりで行われていた政治的な意味合いもあるのではないか。


【最澄が「法華経」を発見するまで】
 唐招提寺を開いた鑑真和上。鑑真が中国から携えてきた膨大な仏典の中にあった「法華経」は、後世仏教のバイブルとまで言われるようになった経典であるにもかかわらず、なぜか、最澄がその意味を発見するまで東大寺の書院の奥深くしまわれたまま、眠っていたのだという。 (p.79)



【「天、人の欲を感じて、泊船に便あり」】
 最澄の乗った第2船は、乗員27名、波の中に漂うこと54日、東シナ海を漂流して9月1日、明州の鄭県、現在の寧波という港に着いた。揚子江の河口の上海より少し南方にあり、幸いなことに最澄が目指した天台山に最も近い港であった。比叡山の公式文書である、『叡山大師伝』には、「天、人の欲を感じて、泊船に便あり」、つまり、天はちゃんと最澄の心を知っていたのだ、と書き記している。 (p.168)

 最澄、その名前の意味するところは、「最も澄みきった心の人」。名に違わぬ人物であればこそ、確かにありえた天祐なのだろう。


【最澄のオールラウンド仏教】
 最澄は、中国でオールラウンドの仏教を学んだ。「円密禅戒」である。
「円」 道邃や行満から授けられた「天台宗の教え」
「密」 順暁アジャリから授けられた「密教」
「禅」 天台山禅林寺の翛然から授けられた「達磨禅」
「戒」 道邃から授けられた梵網経の「大乗戒」「菩薩戒」 
 比叡山の天台宗には禅宗も密教も含んでいるのは、このためである。天台宗を一つの宗派と考えるよりは、仏教の総合大学と考えたほうが分かりやすい。故に、比叡山から、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、禅宗の栄西や道元、法華宗(日蓮宗)の日蓮らが輩出したのであり、これらの逸材は、総合大学を卒業した単科大学の創始者であるとも語りうるのである。 (P.197)



【最澄と空海】
 真言宗高野山金剛峰寺の開祖・空海と、天台宗比叡山延暦寺の開祖・最澄。この2人は、歴史家や宗教家によってしばしば比較考察される。
 日本国家に対する貢献度で評価するならば、個人としては空海。宗門下に連なる人材まで含めると最澄である。空海の仏教(密教)は本人が体得する仏教であり、最澄のそれは書物を通じて学び伝えることのできる宗教であった。後継者育成の難易はこの点からも考えやすい。

   《参照》  『神仙界に行く三つの方法』 深見東州 たちばな出版
            【最澄と空海】



【天台精神】
 「傑出した修行者のみが悟りうる」 とする奈良仏教に対して、「努力したならば誰でも悟りうる」 と考えた最澄。民主主義的な仏教の創始者であるともいえる。この考えが後々 「一乗思想」 といわれるようになり、「才能の優劣に関わりなき悟りの平等」 という考え方が、広く日本の民衆に受け入れられていったのである。

 毎朝、法華経を読誦していたという経団連の土光さんは、「努力が報いられる社会」 を念頭に、土曜も日曜もなく、行政改革の骨子作りに励んでいたという。そんな生前の土光さんに、行政改革不成立をつきつけ、その後、小泉改革はなされたけれどグローバリズム向けの改革になってしまったようだ。
 それでも、「天台の精神は死せず」 であることを請う。

 

<了>
 

《追記:2006/12/28》
【密教と天台の関係】
 私は大学生時代を含めて数年間京都に通って、空海の系譜である真言密教を学んでいたことがある。その頃、密教関係の本を読んでいたとき、天台智ギの思想がしばしば言及されていたことを覚えている。天台智ギは中国仏教の大成者であり、最澄の属する仏教である。この関連について、当時の私は明確な疑問として感じてはいなかったけれど、系譜が違うのに・・・とは思っていた。先ごろ、天台僧侶として得度の資格をもつ神道家が話しているのを聞いて、今更ながらこの関係が明確になったのである。
 竜樹・竜智・善無畏・金剛智・一行・不空・恵果・空海。密教の法灯を伝承した8師である。空海は、密教の第八祖であるが、第五祖の一行は、天台智ギに一念三千の思想を学んでいたのだという。大日経であれ金剛経であれ、この一念三千の思想が元になっているのであり、その元を辿るならば唯識であると。つまり空海の真言密教も最澄の天台密教も “あざなえる縄の如し” の関係ということである。