昔の役所の跡は、今、どうなっているのか?(試作編)
旧生浜町役場
昭和7年に竣工した建物が残存しています。
(千葉市中央区浜野町1290-3/本ブログ管理者2019.8.11撮影)
旧浦安町役場跡
このあたりは役場(その後の市役所)移転に伴い、
護岸工事の際に川幅が拡がったのだろう。
旧役場敷地の半分以上を、
川幅と道路の拡幅に使い、
残余分をミニ緑地公園化したような感がする。
(千葉県浦安市堀江4-1-2/本ブログ管理者2018.9.19撮影)
旧南行徳村役場跡
1889年(明治22年)4月1日 - 東葛飾郡新井村、欠真間村、湊村、押切村、湊新田が合併し、東葛飾郡南行徳村となる。
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旧版地形図は明治36年1:20000「船橋」より引用
(千葉県市川市香取1-17-18/本ブログ管理者2018.9.18撮影)
旧南行徳町役場跡
1937年(昭和12年)4月15日 - 町制施行。
東葛飾郡南行徳町となるが、
南行徳町は
1956年(昭和31年)10月1日に市川市へ編入合併される。
かつて町役場があった場所は、
現在は市立図書館の分館になっている。
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旧版地形図は昭和20年1:25000「船橋」より引用
(千葉県市川市相之川1-2-4/本ブログ管理者2019.1.14撮影)
旧行徳町役場跡
行徳町は
1955年(昭和30年)3月31日に市川市へ編入合併される。
かつて町役場があった場所は、
現在は市の身障者支援福祉施設になっている。
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旧版地形図は明治36年1:20000「船橋」より引用
(千葉県市川市本行徳1-5/本ブログ管理者2018.9.19撮影)
★合併先市町村の支所・出張所(現役の役所)として現在も機能している事例
■本ブログ内関連記事(旧椎名村役場編/千葉市緑区)参照…昭和7年当時の建物現存
■本ブログ内関連記事(旧二宮町役場編/千葉県船橋市)参照…建替え済み
★公園・広場として利用されている事例
★民間商業施設として利用されている事例
★民間駐車場として利用されている事例
★公共駐車場として利用されている事例
★銀行・農協・郵便局・商工会議所等として利用(?)されている事例
■本ブログ内関連記事(旧名取郡役所・旧茂ヶ崎村役場編/仙台市太白区)参照
★学校や保育所等の敷地の一部になっている事例
★大規模再開発により複合施設になった事例
■本ブログ内関連記事(旧浦和町役場編/さいたま市浦和区)参照
★歴史資料館・美術館・図書館等として公開している事例
■本ブログ内関連記事(旧葛飾県・印旛県庁編/千葉県流山市)参照
■本ブログ内関連記事(旧東村山郡役所・天童町役所編/山形県天童市)参照
★公共施設として利用されている事例(上記以外)
■本ブログ内関連記事(旧北足立郡役所編/さいたま市浦和区)参照
■本ブログ内関連記事(旧生実浜野村役場編/千葉市中央区)参照
■本ブログ内関連記事(旧南足立郡役所・千住町役場・足立区役所編/東京都足立区)参照
★もともと、境内敷地の一部を間借りしていた寺社仏閣へ返還
★その他、民有地化された事例(上記以外)
旧吉川町役場跡
吉川町は
1996年(平成8年)に市政施行した現在の埼玉県吉川市。
埼玉県南東部にある人口約7万人の市である。
古くは舟運で栄え、
なまず料理をはじめとする川魚料理で知られる。
中世以前から稲作地帯であり、
この地域は二郷半領とよばれていた。
江戸時代に入ると天領になり、大消費地・江戸に非常に近い生産地で中川の水運にも恵まれ、ますます稲作が盛んになった。
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かつて町役場があった場所は、
現在は市の防災倉庫になっている。
町役場が
かつて河岸町であった旧中心市街地の中にある
この場所から移転したのは1968年(昭和43年)だが、
JR武蔵野線の開通や吉川団地の整備や土地区画整理事業の進展などで大幅に人口が増加し、行政需要が拡大したため、事務室が4か所に分散し、不便なのと、昨年3月の東日本大震災で本庁舎が被災し耐震性に不安を抱えていたため、災害時の司令塔としての役割を担うために、2018年5月に再び新市街地で市域の地理的中心でもある「きよみ野」地区へ移転した。
「吉川きよみ野」は、1988年度(昭和63年度)からUR都市機構(旧都市基盤整備公団)により開発され、「人にやさしい街づくり」をコンセプトとして誕生した総面積約62haの街である。
敷地面積は1万5000㎡で取得費は約20億500万円。
建築規模は延床面積約8200㎡で、
建設費は約で35億円余りであった。
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旧版地形図は昭和42年改測・44年発行1:25000「越谷」より引用
(埼玉県吉川市大字平沼169-2/本ブログ管理者2018.9.20撮影)
旧南足立郡役所跡・旧千住町役場跡
その後の足立区役所として利用されたが、
区役所移転後は
『あだち産業芸術プラザ』称して、
「東京芸術センター」と「あだち産業センター」が、
2者一体的に整備された。
元々は
江戸時代の問屋場(宿場を管理する役所)
が置かれた場所であった。
(東京都足立区千住1-4-1/本ブログ管理者2018.9.23撮影)
旧水元村役場跡
水元村(みずもとむら)とは、東京府南葛飾郡にかつて存在した村で、1932年(昭和7年)10月1日に南葛飾郡全域が当時の東京市に編入され、現在は東京都葛飾区の東北部に位置する1地域となっている。
かつての村役場跡には町会(自治会・町内会)の
集会所が建てられ、入口に石碑が残る。
(東京都葛飾区東水元4-13-24/本ブログ管理者2018.9.24撮影)
旧中野町役場跡
明治22年(1889年)に中野、本郷、本郷新田、雑色の各村が合併、東多摩郡中野村が成立、のち豊多摩郡中野村、さらに中野町と改称するが、成立当時の役場業務は個人宅で行われていたようだ。
その後、業務の拡張に伴い現在も「寺」として存続している宝仙寺境内に役場が設けられ、昭和11年(1936年)に、中野区役所が五叉路近くの中野郵便局のところに新築移転するまで、当地が中野町(昭和7年に野方村と共に当時の東京市に編入合併され中野区)の行政の中心となっていた。
現在の中野区役所は、昭和43年9月竣工で、築48年が経過し施設や設備の老朽化が著しく、新庁舎整備を進める計画。
なお、新しい区役所は、現在の体育館敷地とその隣接地に整備(現在の中野体育館は、平和の森公園内に移転整備する予定)。
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旧版地形図は明治42年1:20000「中野」より引用
(東京都中野区中央2-33-3/本ブログ管理者2018.9.27撮影)
旧豊多摩郡役場跡地
当時の住所は「
現在は「北新宿住宅」という
警視庁の警察官専用の官舎(公務員住宅)が建つ場所。
ちなみに、
現在「新宿区立西新宿中学校」が建つ敷地南端部にも
“旧淀橋町役場”のマークが旧版地形図上に存在する。
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旧版地形図は明治42年1:20000「中野」より引用
(東京都新宿区北新宿1-36-8/本ブログ管理者2018.9.27撮影)
旧早稲田村役場跡
1956年(昭和31年)9月30日に
東和村、彦成村、早稲田村が合併し三郷村が成立。
昭和39年に町制、昭和47年に市制施行し現在に至る。
旧高津町役場(模型)
高津町は昭和12年に川崎市へ編入合併され、
跡地は「大山街道ふるさと館」になっている。
旧松井村役場跡
昭和18年に当時の所沢町へ編入合併され、
跡地は所沢市立松井小学校になっています。
道路元標も残っていました。
旧倉敷町役場跡
(地図中「B」地点)
現観光案内所「倉敷館」
※外川淳「城下町門前町宿場町がわかる本」日本実業出版社2016年、p.266
旧二宮町役場跡
建物は新たに建て替えられていますが、現在でも同じ敷地内にて「市役所出張所」として利用されています(昭和28年に船橋市へ編入)。