古地図でお散歩★1/2.5万・昭和5年の「仙台東南部」・村田道“起点”名取編【過去記事更新版】
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現在の宮城県道「名取村田線」起点に設置されている『村田道』の石碑
(国道4号旧道「名取市田高」交差点にて本ブログ管理者2015.3.20撮影)
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県道は、JR東北本線(常磐線・仙台空港線)を跨線橋で越えるが、
跨線橋のすぐ北(仙台方面)側にある踏切名称から察するに、
この辺は、かつて沼地だったのだろう。。。
(宮城県名取市田高にて本ブログ管理者2015.3.20撮影)
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かつては、伊達政宗が鷹狩りに来て、沼のほとりで弁当を食ったそうだ。。。
沼が埋め立てられたのは、鉄道(東北本線)が契機か?
それとも、新田開発が契機なのか?・・・は不明だが、
(あくまでも本ブログ管理者の推測だが)
恐らくは(現代における開発にも採り入れられている手法に鑑みて)
“鉄道の為に地元住民の土地を供出させる代わりに、
行政側の資金で圃場整備を行って地元に還元”
みたいな交換取引条件を付けて、
(恐らく代議士や地域の有力者も絡んで)
沿線住民を納得させたのかな?
昔は蒸気機関車の煙が嫌われ、特に養蚕やっていた農家は大反対した・・・
っていう話も他所ではよく聴くし、、、
(宮城県名取市田高にて本ブログ管理者2015.3.20撮影)
宮城県名取市増田「増田公民館前」バス停付近
*旧国道4号線…JR名取駅入口付近/本ブログ管理者2007年4月撮影
(ちょうど下の地図の、このへん、、、旧街道沿い)
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1/2.5万「仙台東南部」・・・昭和5年と、グーグルマップ最新版との比較
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(1)県道「名取村田線」の変遷
現在、東北本線を跨線橋で越えて旧街道筋(旧国道4号)と直交しているが、かつては踏切を通って旧街道に斜交していた。。。
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現在の県道「名取村田線」起点(本ブログ管理者22015.3.20撮影)
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昭和5年の旧版地形図に示されている「村田道」と「奥州街道」分岐点現況
(本ブログ管理者2015.3.20撮影)
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なので、
恐らく本記事冒頭写真の石碑は、
後の時代に県道改修に伴い旧分岐点より現在地へ移設されたのでは?
と、本ブログ管理者は推測する。
(国道4号旧道「名取市田高」交差点にて本ブログ管理者2015.3.20撮影)
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旧分岐点と現分岐点との間・・・旧国道4号線沿いの風景
(宮城県名取市増田にて本ブログ管理者2015.3.20撮影)
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「水準点」を強調して撮ってみる♪
(本記事テーマ「古地図」に因み…本ブログ管理者2015.3.20撮影)
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「名取」駅と「杜せきのした」駅(本ブログ管理者2015.3.19~20撮影)
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名取駅(なとりえき)は、宮城県名取市増田二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・仙台空港鉄道の駅。
JR東日本・仙台空港鉄道の共同使用駅で改札は分離されていない。またJR東日本社員のみ配置で、JR貨物・仙台空港鉄道の社員は配置されていないJR東日本の直営駅(駅長・助役配置・・・管理駅として、南仙台駅と館腰駅を管理)。
JR東日本の東北本線と、仙台空港鉄道の仙台空港線が乗り入れている。なお、仙台空港線は当駅が起点であるが、すべての列車が東北本線に直通して仙台駅まで運転される。仙台空港線は、この東北本線への直通区間を合わせて仙台空港アクセス線の愛称で案内されており、当駅がJR東日本と仙台空港鉄道の管轄区間の境界(分界)駅となっている。
また、東北本線岩沼駅を終点とする常磐線の列車も乗り入れているため、列車運行上は前述2路線を加えた合計3路線4方面の列車が乗り入れている。
2010年乗降客数は20170人/日(2つの会社に跨る直通客含む)で、宮城県内のJRの駅では、仙台駅、あおば通駅に次いで3番目に多い。
東京起点341.4km地点にある駅。
1888年(明治21年)10月11日開業(旧駅名は「増田=ますだ」)。
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杜せきのした駅(もりせきのしたえき)は、宮城県名取市杜せきのした5丁目にある、仙台空港鉄道仙台空港線の駅(仙台空港鉄道の本社併設駅)。
現状は島式ホームを片面だけ使用する1面1線の高架だが、将来は2線に増設できるよう準備工事が既に行われている。
キロ程は(仙台空港線)名取駅起点1.8km、
通称「仙台空港アクセス線」としては仙台駅から12.2km地点。
2013年度平均乗降人員3,135人/日(前年度比114.29%)。
2007年(平成19年)3月18日開業。
大型商業施設のイオンモール名取とペデストリアンデッキで直結しているのが、この駅における最大の特徴。
駅の名称由来は隣接する仙台市の雅称「杜の都」と
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(2)増東軌道・・・“増東電車”
(ぞうとうきどう)は、宮城県名取市付近にかつて存在した軽便鉄道会社およびその軌道路線で、東北本線増田駅(現・名取駅。1963年改称)から、郊外の漁港である閖上(ゆりあげ)に至る、6km弱の軌道線を保有したが、バスとの競合に敗退して早期に廃止された。
会社そのものはバス会社「増東自動車」となり、のち仙台市交通局に統合されたが、1997(平成9)年に当該路線は仙台市営バスから宮城交通の運行に代わり、仙台市営バス閖上出張所(旧・増東自動車の車庫)は廃止。2007(平成19)年10月1日、宮城交通名取営業所の路線はミヤコーバス名取営業所の路線に移管された。
震災後も暫くはミヤコーバス(=宮城交通の子会社)による運行が続いたが、
2013年4月1日より名取市が自主運行するコミュニティバス「なとりん号」に切り替わる(閖上線の運行は桜交通仙台営業所へ委託/「幹線路線」扱い)。
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1926年(大正15年)11月21日 増田 - 閖上開業 (5.9km)
軌間:762mm 全線非電化・単線
所要は全区間で25分程度であったそうだ
駅は増田駅 - 町裏駅 - 下余田駅 - 円満寺駅 - 若宮駅(後に多賀社前駅へ改称) - 高柳駅 - 小塚原駅 - 閖上駅/1937年(昭和12年)時点での一日の運転本数は16往復
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1939年(昭和14年)9月19日 路線廃止
1943年(昭和18年)11月20日 後身である増東自動車が仙台市に買収されて会社解散。車庫は仙台市営バス閖上出張所となる。
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現在、東日本大震災慰霊碑のある場所が、仙台市営バスの車庫跡
(宮城県名取市閖上にて本ブログ管理者2015.3.19撮影)
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(3)国道バイパス開通・市役所移転→市街地拡大・空港鉄道
現在、JR東北本線「名取」駅から分岐している電車は、もちろん“増東軌道(増東電車)”ではない。。。(SAT仙台空港アクセス線「杜せきのした」駅付近にて大型商業施設開業直後の2007年3月本ブログ管理者撮影)
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国道4号「仙台バイパス」は、1959年(昭和34年)度:事業に着手し、1964年(昭和39年)度:岩沼市梶橋 - 名取市内 - 仙台市籠ノ瀬間(10.3km)を4車線で供用開始。
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国道4号バイパス名取市役所付近現況(本ブログ管理者撮影)
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国道4号バイパス「中田歩道橋」( ■本ブログ内関連記事参照
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「イオンモール名取」現況 ■本ブログ内関連記事参照
(宮城県名取市杜せきのした/本ブログ管理者2015.3.19撮影)
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名取市(なとりし)は、宮城県の中央南部の太平洋沿岸に位置する都市。
仙台市の南東に隣接しており、市内には仙台空港がある。
市の西部は陸前丘陵の一部を成す高舘丘陵、
東部は仙台平野(名取平野)。
北に接する仙台市との境に名取川が流れ、河口部に閖上港がある。
また、東北自動車道、国道4号線、東北新幹線、東北本線が縦貫。
市の中心部は愛島丘陵北側の名取駅周辺に広がる。
・平均年齢41.1歳(2005年国勢調査)
・2011年10月1日推計人口71,925人(人口密度736人/km²)
・第1次産業に従事する者:2027人(約6.3%)…2005年国調
・第2次産業に従事する者:7351人(約22.8%)…同
・第3次産業に従事する者:22867人(約70.9%)…同
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1889年(明治22年)の町村制施行で、増田村、東多賀村、下増田村、館腰村、愛島村、高舘村が生まれた。
これらが1955年(昭和30年)の合併で名取町を作ることになる。
人口が多かったのは増田と閖上(東多賀村)で、1888年(明治21年)に東北本線開通と同時に増田駅(現在の名取駅)が置かれた。
港町の閖上は合併時の人口が9325人(増田6519人より多かったらしい)…
町役場は増田町のものを継承。
(3年後に市になったとき増田に市役所を新築)
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仙台市は仙塩地区の合併を悲願としてきたが、多賀城市・塩釜市らの反対により合併を断念し、泉市等を合併して政令指定都市となった。
その後、仙台市は名取市を合併しようとしたが、名取市長選挙で合併反対派の現職候補が勝利し、仙台市は名取市の合併に失敗した。
現在も名取市では仙台への合併賛成派と合併反対派がしのぎをけずっている。
(合併賛成派には近年造成された団地など仙台のベッドタウンに住む住民が多く、合併反対派には古くからの市街地に住む住民や農業地帯の住民が多いと言われるが、必ずしもその分布とはなっていないそうだ・・・)
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「美田園」駅と、駅前の「仮設住宅」
(2013年1月 ■本ブログ内関連記事参照
)
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1/2.5万「仙台東南部」・・・昭和5年と、グーグルマップ最新版との比較
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(4)閖上(ゆりあげ)地区
閖上(当時は東多賀村)は古くから河川水運の要地であり、また漁港として栄えていた(1928年には町制を施行して閖上町となる)。
○---:昔の県道/現行の橋が架かる前は渡船
○:名取川河口(閖上港)の形態変化
○:旧役場位置/現(震災直前)上町集会所
○:旧閖上駅位置/現(震災直前)閖上1丁目バス停付近
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震災1ヵ月後に撮った地図中○付近(本ブログ管理者撮影)
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震災1ヵ月後に撮った地図中○付近(本ブログ管理者撮影)