「日本最小」の戦いに、船橋の東照宮は勝てるか?
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船橋御殿跡 附 東照宮
現在の東照宮の社殿は
安政4年(1857)に再建され、
昭和2年(1927)に修繕されたものだ。
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もともとこのあたりにあった船橋御殿は、東金周辺に鷹狩りに出掛ける徳川家康のために造られたもので、慶長19年(1614)前後に造営されたと考えられている。
この場所の石碑には
御殿の面積は
約39,600㎡と表記されているのだが、、、
(本記事内後述)
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船橋御殿は家康の子、2代将軍秀忠も宿泊・休憩したが、それ以後、将軍家の東金周辺での鷹狩りは催されず、船橋御殿は廃止された。
同地は貞享年間(1684~88)に船橋大神宮神職の富氏に払い下げられ、それからしばらくし、富氏は御殿跡の中心部に家康を祀る東照宮を建立したと伝えられている。
(千葉県船橋市本町4-29-7/本ブログ管理者2019.2.17撮影)
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日本一小さい東照宮?
住宅街の路地奥にある。
だが、
本当に「日本最小」かは疑問だ。
(千葉県船橋市本町4丁目にて本ブログ管理者2019.2.17撮影)
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実は俺、他所で
もっと小さい「東照宮」があるのを知っている
船橋市役所は「FAKE(偽)ニュース」だ!www
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本町中央公園が旧市役所跡
昭和33年までこの地にあったのだそうだ。
ちなみにこの場所も
「御殿」の敷地だった場所の一部である。
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隣接する「御蔵稲荷」は、当時飢餓に備えて穀物を蓄えておく郷蔵(ごうぐら)を建てた場所の跡であり、この御蔵があったお陰で以後、当地では飢餓を免れたのだそうだ。
村人はその恩に報いるために、神社を祀るようになったと言われ、これを御蔵稲荷と呼ぶようになったらしい。
(千葉県船橋市本町4-31-20/本ブログ管理者2019.2.17撮影)
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こっちの説明版では57,000㎡!
東照宮の石碑よりも1.44倍も大きい。
いったい御殿の広さは、
どちらが本当だったのだろうか??
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ちなみに、よく大きさの尺度比較に用いられる「東京ドーム○個分」の基準面積は46,755㎡で、これが“東京ドーム1個分”の広さであるとされている。
(千葉県船橋市本町4-31-20/本ブログ管理者2019.2.17撮影)
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南側に寺町&陣屋がある都市構造
「船橋宿」は、
五日市村・九日市村・海神村3村の総称であった。
3村は江戸内湾の最奥部に面し、
西から東へ海神村-九日村-五日村と続いた。
(千葉県船橋市本町4-31-20/本ブログ管理者2019.2.17撮影)
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寺町の様子
上掲写真の説明板地図によると
このあたりに陣屋があったはずだが、
遺構は何も見つけられなかった。
(千葉県船橋市本町3丁目にて本ブログ管理者2019.2.17撮影)
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古い商家も残る本町通り沿い
船橋は佐倉道(成田街道)最大の宿場であり、
交通量・旅籠の利用者とも多かったそうだ。
かつては、
この本町通りがメインの街道で、
現在の国道14号(現・千葉街道)は
近代になって造られた「バイパス」道路である。
現代は、さらに「第2バイパス」である京葉道路が海側を通っている。
(千葉県船橋市本町3~4丁目にて本ブログ管理者2019.2.17撮影)
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中高層ビルと、低層町家が共存
JR・東武「船橋」駅と京成「京成船橋」駅の南側を、東西を貫く本町通り商店街沿いにある「ライブ2000」は、1階がスーパーマーケット、上層階がマンションという複合施設。
ここの2階と3階を占めるのが「船橋市中央図書館」であり、市内では最も規模の大きい図書館で、蔵書数は28万冊以上、座席も約300席設けられている。
(千葉県船橋市本町4-38-28/本ブログ管理者2019.2.16撮影)
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大輦 御殿通店 (ダイレン)
1967年創業の地域に密着した中華料理店。
東照宮に入る路地入口から
北西へ90m地点の通称「御殿通り」沿い。
営業時間は昼11:30~14:30(L.O. 14:00)、夜17:00~21:30(L.O. 21:00)で、毎週火曜日は定休日である。
(千葉県船橋市本町4-20-17/本ブログ管理者2019.2.17撮影)
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味と見た目は
栃木のスープ焼きそばに似てるけど、
「スープ入り焼きそば」は炒めた麺にスープを注ぐが、
こっちは茹でた麺にウスターソースとラーメンスープを合わせて、少し煮込む。
揚げたてサクサクなハムカツとの相性が
1度食ったら病みつきになりそう♪
店内はカウンター5席、テーブル2卓8席しかないので、休日の昼時は空くまで外で待たされる場合もあり、相席強制を覚悟しよう!
*ハムカツ付きソースラーメン(900円)
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ソースラーメンは、かつて某チェーン店の期間限定企画で、一度は食ったことがあるのだが、「本場モノ」は初めてである。
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西向地蔵
ここは旧船橋宿の入り口で、かつては罪人の仕置場(処刑場)と言われているおり、地蔵尊像、阿弥陀仏如来像、聖観音像が全て西側に向いていることから地元では西向き地蔵と呼んでいるのだそうだ。
(千葉県船橋市本町2丁目23にて本ブログ管理者2019.2.17撮影)
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宿場町の西端に処刑所がある都市構造と言えば、東京の品川宿や、福島県会津若松の事例を思い出すのだが、、、