町役場の2軒隣に「芸者置屋」があった?…旧県道「浦和所沢線」沿い散歩(5※過去記事更新版)
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浦和駅西口で降りる
現在の伊勢丹浦和店に繋がるコルソの場所は、かつて闇市の名残が残る駅前商店街だった。
最近まで闇市雰囲気が現存していた「中銀座」も、遂に2020年3月で閉鎖。
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郵便局の位置が、現在も不変(現在の「浦和中郵便局」・・・浦和郵便局の「中央局」機能自体は、昭和53年に現在の武蔵浦和駅前に移転)。
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浦和駅は高架・島式3面6線
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かつては、現在の志木街道(県道40号さいたま東村山線)の、浦和~秋ヶ瀬橋~志木の間が、旧県道「浦和所沢線」の一部だったそうです・・・・・。
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地図=明治13年
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昭和38年の志木駅付近を示した地図を見ると、現在の県道川越新座線の位置に「浦和所沢線」の表記があります。
【参考】国道463号(旧・浦和所沢線区間)路線沿革
大正9年4月1日 指定(埼玉県告示第103号)
起点/北足立郡浦和町
終点/入間郡所沢町
主な経由地/北足立郡土合村・入間郡宗岡村(秋ヶ瀬橋経由)・志木町・大和田町(英橋経由)
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昭和30年4月1日
埼玉県告示第206号 = 浦和所沢線 廃止
埼玉県告示第207号 = 浦和所沢線 認定
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平成5年4月1日
埼玉県告示第498号 = 浦和所沢線 廃止(国道指定に伴う処置)
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昭和50年に浦和所沢線のバイパスが完成。
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旧道は2008年現在、さいたま東村山線・川越新座線・所沢青梅線・練馬所沢線。
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□出典/外部リンク参照
本ブログ内「浦和所沢線」関連記事
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■西所沢~浦和まで旧県道「浦和所沢線」に沿って散歩する♪…(1)
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■西所沢~浦和まで旧県道「浦和所沢線」に沿って散歩する♪…(3)
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■東京・埼玉の都県境を散歩/新所沢のオオグシ加哩堂と所沢街道の都県境
■管理境界標(国道463号線「浦和所沢バイパス」を中心に…)
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浦和センチュリーシティ
ロイヤルパインズホテル浦和(よみうりカルチャー浦和)・うらわ美術館が入居し、浦和のランドマーク的な存在(高さは97m)。
1976年に現在の常盤6丁目(現・さいたま市役所)に移転するまで、浦和市役所が存在した場所の(周辺を含めた)再開発で、松下興産と旧浦和市の共同建築により1999年8月に竣工。
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建物のほとんどが松下興産が出店したロイヤルパインズホテル浦和で占められているが、駐車場とうらわ美術館などは浦和市(さいたま市)が区分所有している(三菱UFJ信託銀行の信託受託物件)。
商店など隣接地の用地買収には、かなりの時間を要したようで、かつての面影は旧中山道向かい側にあり、用地買収の対象外となった「いずみや(泉屋酒店)」が残るのみの状況。
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大正時代の地図を見ると、かつて落語・講談・義太夫(ぎだゆう)・浪花節・手品などが公演された「共楽座(後の浦和劇場)」が、当時の浦和町役場の斜め向かいに存在・・・共楽座の道を挟んで正面には芸者置屋の「石屋」、西隣で町役場との間が煎餅屋がありました。
(本ブログ管理者2020.2.8撮影)
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共楽座の西隣は菓子屋で、1軒置いて西隣に「はつね」という料理屋、さらに西に道を隔てて北足立郡役所がありました(後の浦和市民会館で、現在の「さいたま市民会館うらわ」ですが、老朽化や耐震強度の不足、設備の不具合の多発を理由に、浦和駅西口の南側再開発ビルへ移転の為に2021年3月末の閉館が予定されています)。
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埼玉県庁前にて、、、
(さいたま市浦和区高砂…本ブログ管理者2011.12.11撮影)
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別所沼(べっしょぬま)
埼玉県さいたま市南区別所4丁目にある沼で、沼の周辺は別所沼公園として整備されている。
約100万年前、大宮台地からの侵食した谷から湧き出した水が低地に溜まり、沼になったもので、ヨシや、マコモなどが生い茂っている湿地帯。
1957年(昭和32年)には、沼の南部の別所や鹿手袋周辺の田圃に灌漑用の水路(別所排水路)が引かれた。
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以後、別所沼は水のため池となり、1926年(大正15年)に深川の小島長次郎が私財を投じてこの沼の周囲の土地を買う。
沼を掘って周辺に桜や藤棚などを植え、野球場やプールなどを造り、遊観地・昭和園と名づけられ、大宮の氷川公園に劣らぬ賑わいであったそうだ。。。
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1951年(昭和26年)、旧浦和市が荒れていた昭和園を買い取り、別所沼公園と改称して都市公園としての整備を始めたが、公園の整備が財政を悪化させることとなってしまい、1956年(昭和31年)に埼玉県に寄付された。
2003年(平成15年)にさいたま市の政令指定都市移行を記念して、公園の管理はさいたま市に移管(事実上の返還)された。
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荒川を越える秋ヶ瀬橋
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宗岡小学校前にある旧宗岡村道路元標
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旧「志木町里程元標」と、沿線の商店
(埼玉県志木市本町にて本ブログ管理者2011.12.11撮影)
本ブログ内「志木」「東上線」関連参照記事
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■美しい街並み+河童キャラをテーマにオリジナル商品を創作し、歴史ある街を活性化している埼玉県志木市の事例
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志木駅東口第1種市街地再開発事業
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1.建築計画概要(工事種別/新築)
地名地番/埼玉県志木市本町5丁目~幸町1丁目
地域地区/商業地域、防災地域、高度利用地区
(容積率550%/建蔽率90%)
主要用途/物販店舗
階数/地上8階、地下2階(一部3階)、塔屋2階
構造/SRC造(一部S造)(基礎/直接基礎)
敷地面積/5500㎡(許容最大床面積30250㎡)
建築面積/4780㎡(建蔽率86.9%/容積率550.0%)
延床面積/37810㎡(容積対象面積30250㎡/容積算入比80%)
店舗面積/18900㎡(丸井占有分31811㎡/売場算入比59.4%)
駐車場面積/8600㎡(延床面積比22.7%)(駐車260台、駐輪150台)
最高地上高/41m
軒高/1階6.0m、2階5.5m、3階4.8m、4~7階4.6m、8階5.0m、地階4.0m
昇降機設備/乗用EV3台、人荷用EV1台、荷物用EV2台
2.事業経緯
昭和59年度/事業決定
平成7年度/出店企業を百貨店の㈱丸井に決定
(第1種市街地再開発事業施行条例制定)
平成8年度/事業計画書の縦覧、事業計画案の説明、事業計画の公告
(設計、駅前広場地下整備計画、再開発審査会の設置)
平成9年度/権利変換計画の決定、建物除却・整地、大店法3条申請
(工事着工)
平成10年度/大店法5条申請
平成11年度/工事完了
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3.従前の権利者数(平成8年10月時点=58名)
土地建物所有者/13名
土地所有者/6名
建物所有者/7名
借家人/32名
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4.土地利用変換(公共施設面積比/従前17%→従後65%)
駅前広場/0㎡(0%)→6000㎡(39%)
道路/2662㎡(17%)→4020㎡(26%)
建築敷地/12858㎡(83%)→5500㎡(35%)