代官所・郡役所跡近くの行列は、納得できるか?・・・仙台「原町」あたりを散歩する♪
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御代官所・宮城郡役所跡
藩政時代から、この場所は「宮城郡国分南目御代官所」が置かれ、明治になって「第2大区事務取扱所」となった。
1902年(明治35年)に郡制と共に建物は新築され、1926年(大正15年)の郡制廃止まで宮城郡の郡役所として使用された。
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昭和になって、建物は仙台市に移管され、戦後は授産所となったが、現在は明治末期の宮城郡役所の玄関前を撮した写真に写っている樹齢300年と言われる、この松の木と現地説明板があるのみである。
(仙台市宮城野区原町1丁目1にて本ブログ管理者2018.12.30撮影)
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旧代官所敷地は周囲より1段高くなっている
駐車場の真ん中の立派な松の木が残る。
周囲は住宅地になり、ビルが視界をさえぎっているが、昭和の初め頃までは、北は、眼下に清水沼が見え、遠くに現在のJR東北本線を走る蒸気機関車が見え、南は、宮城野の原野、西は、榴ヶ岡の釈迦堂まで見えたらしい。。。
(仙台市宮城野区原町1丁目1にて本ブログ管理者2018.12.30撮影)
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現在は民間の駐車場になっているようだ
入口は、
旧街道沿いの自転車屋さんが目印♪
(仙台市宮城野区原町1丁目1にて本ブログ管理者2018.12.30撮影)
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旧版地形図を見ると
現在の消防署が昔の役場跡かな?
消防車は、
この区間がバイパス化された
現在の国道45号線側から出入りする。
(仙台市宮城野区原町1-3-54/本ブログ管理者2018.12.30撮影)
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1/2万「原町」・・・明治38年と、
ゼンリン住宅地図(2010年)の比較。
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ラーメン スミス
ノーマルな『味噌らーめん』をはじめ、『ニボ味噌らーめん』、『からいしびれる味噌らーめん』と味噌のバラエティーが豊富。
JR宮城野原駅から556mの旧街道沿いに2014年1月18日開業から僅か5年で、仙台屈指の行列店として名を馳せる。
営業時間 11:00~15:00 18:00~22:00。
※スープ無くなり次第終了
定休日は水曜日。
店内席数は18席(カウンター4、テーブル6、小上がり8)。
駐車場は店の前に3台分のみ。
(仙台市宮城野区原町1-3-21/本ブログ管理者2018.12.30撮影)
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ニボ味噌ラーメン(750円)
先ずはスープを1口。。。
なるほど、、、確かに旨い。
味は東京の有名店と互角に張り合うレベル。
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しかしながら、仙台(しかも「下町」的な場所)という土地柄は、近隣への行列配慮という意識が無いのか、逆に無駄な行列作って「有名店」として見せたいという意識があるのではないか?という疑念さえ湧いてくる。
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恐らくオーダーおよび金銭授受ミス防止の観点で、いわゆる「ロット制」に近いシステムを採り入れているのだろうか?。。。小雪舞う極寒の店外でどれだけ並んでいても、ある程度まとまって(最低でも5席以上)空かないと、店内の待ちスペースさえも入れてくれない。
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なので、グーグルのクチコミ見ても、多くの「美味しかった」という意見の中、「オペレーションが悪い」「接客悪く、もう来ない」といった否定的意見も散見される。
(仙台市宮城野区原町1-3-21/本ブログ管理者2018.12.30撮影)
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白髪ネギ、生姜で「飽き」防止!
ただ「濃い」だけのラーメンではない。
後味もサッパリする極旨の逸品。
この工夫が繁盛店の秘訣か?
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激寒の中で旨い1杯を食わしてくれた
ラーメンスミスさんに感謝!
(仙台市宮城野区原町1-3-21/本ブログ管理者2018.12.30撮影)
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原町御米蔵跡
藩政時代、現在の陸上自衛隊仙台駐屯地の場所にあった「苦竹御蔵(■本ブログ内関連記事参照)」から牛車を使って陸上輸送がされた年貢米や塩は、現在の宮城県第4合同庁舎の建っている「原町御米蔵」に運ばれたのだそうだ。
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「原町御米蔵の図」は、郷土誌「仙台藩を支えた米の道」より引用したものであるが、「御修覆帳」によれば、「原町御米蔵」の規模は東側82間(約150m)、南側38間(約69m)で、生垣に囲まれ、北は原ノ町街道側(現在の45号線側)の表門を挟んで桟瓦塀と土塀より成る広大な長方形をしていたらしい。
表門内東脇に御蔵守の居家、離れて2間半(4.5m)に5間(9m)の御蔵(当蔵)、東北隅に2間半と6間の御蔵(廻之蔵)があり、この2つの御蔵は、後で建ててられた物らしく付箋しあり安永5年6月とある。
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更に東側生垣に沿って3間に5間の御塩蔵、後に2間半と6間に変わった間を置いて御米蔵3間に20間、内部仕切1ツ、3間に30間、内部仕切2ツの2棟があり、いずれも惣板敷きで、屋根は小萱葺き。
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表門内西脇に会所、お役人の詰所、
縁側の前方に竹垣を巡らしている。
西側生垣に沿って御米蔵3間に25間、内部仕切2ツ、3間に30間、内部仕切2ツの2棟あり、南側の1棟は3間に24間、内部仕切1ツで何れも惣板敷で、屋根は小萱葺き。
中央に俵仕切蔵3間に30間、小萱葺きの3棟である。
南西隅に御米蔵守の居家があり、2間半、梁長5間四方。
井戸2カ所、便所1カ所が存在したようだ。
扶持人は、偶数月に仙台藩から支給される米を受け取りに来ていたということが古文書等から見出すことができる。
(仙台市宮城野区鉄砲町1/本ブログ管理者2018.12.30撮影)
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ここは、、、
石巻街道の旧道と現道が交差する地点。
(仙台市宮城野区鉄砲町にて本ブログ管理者2018.12.31撮影)