やぁっ!渋谷…谷底の“町”から、若者が集う「大都会」へ、、、(*Ver.17.02過去記事更新)
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スペイン坂
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副都心線渋谷駅・渋谷ちかみち~プライム前
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道玄坂
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大正8年の1:50000地形図より、、、
宮益坂~道玄坂を中心に、恵比寿の現「駒沢通り」沿い、
そして渋谷川に沿って
渋谷東口~恵比寿間の現「明治通り」沿いの谷筋に
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道玄坂上にある「俺流塩ラーメン」
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渋谷西口の都市計画道路図
道玄坂や宮益坂、旧山手通りは幅員22m
首都高速3号線は幅員16.5m
明治通りは幅員30m
玉川通りは幅員50mで設計されているようだ。
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宮益坂
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宮益坂上で古書を購入
青山学院大学や国連大学などが近くにあるので、
この付近の青山通りは小規模ながら
古書店街になっているようだ。。。
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渋谷駅前2015.1.26
現代においても
渋谷の街は“谷底”に駅が設置され、
“谷底”に人が集まる構造、、、
(渋谷駅ハチ公口スクランブル交差点前にて本ブログ管理者2015.1.26撮影)
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ハチ公前の電車モニュメント
(本ブログ管理者2006~2007年頃撮影)
以前、本ブログ管理者は、、、
2007年3月15日まで限定公開されていた
yahooの地図コンテンツ「古地図で東京めぐり」
で遊んでいた。
明治時代の地図を選択し、
都バスの渋谷車庫付近(広尾・國學院大学周辺)に地図の中心点を合わせたところ、
氷川神社の近くにある、
「渋谷町役場」という表記に目が留まった。
(上掲地図/上)
そうかぁ、、、
(そうだよなぁ~)
今の「3大副都心(池袋・新宿・渋谷)」なんて、
昔は「東京“市外”」だもんなぁ・・・
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今日、「渋谷区役所」と言えばNHKの前!
・・・
なので、
旧町役場の跡を「現代版」の地図を選択して、
重ね合わせてみたら、
地域住民のための生活支援施設として
(もちろん、建物は更新されて)
今でも「公共施設」として残っていました。
(上掲地図/下)
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2015年1月末現在、区役所の出張所業務は廃止統合され、区立の保育所と集会所(区民会館)のみが現存しています。。。
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竹久 夢二居住地跡
(たけひさ ゆめじ、1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の画家・詩人で、本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。
数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。
当時の多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる存在だった。
(東急百貨店本店~東急ハンズ間にて本ブログ管理者2017.2.4撮影)
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白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
西武池袋線にて、、、
東横線の電車は、今、、、
渋谷を越えて埼玉の奥地(?)まで踏み込んで行く。。。
(西武池袋線「飯能」駅にて本ブログ管理者2013.11.16撮影)
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東武東上線にて、、、
逆に、従来は池袋で止まっていた埼玉「2大私鉄」の電車が、
地下駅になった渋谷の東横線ホームを介して、
遠く横浜まで直通していく。。。
(東武東上線「朝霞台」駅にて本ブログ管理者2013.3.16撮影)