今日の東京は午前中が晴れで、午後からは曇り空
の一日でした。
銀座と築地が近いせいか、外国の方の姿も多かったですよ
今日の御講師は、茨城県ひたちなか市、清心寺の増田廣樹(ますだひろき)師です。
切れ味鋭い説法で、私の大好きな御講師さんです。
45歳だそうです。
※青字が増田師の言葉の要約です。
<ご縁>
この中で、ご自分の意思で生まれてきた方はいますか?
いませんよね。
気がついたらこの世にいたんですよね。
皆さん、
数えられる「縁」しか、
見える「縁」しか、
わからないと思うのですが、
私には父と母がいて・・・、いや、みなさんも必ずいらっしゃるのですが、
そのお父さんとお母さんには、また、お父さん、お母さんがいて、
10代先祖をさかのぼると、血のつながったご先祖は1024人になるんです。
私という存在は、「当然」のごとく、今、ここにいますが、
1024人のうちの一人が欠けても、
この私と言う存在はいなかったんですよ。
私、昔、父と母の出会いを聞いたことがあるんですよ。
父は学生の頃、デパートの靴売り場のアルバイトをしていたんだそうです。
ある日、母が街を歩いていたら、靴のヒールの調子が悪くなって、
このまま歩いて目的地には行けないと、たまたま靴屋を探していたら、
デパートがあって、靴売り場に行ったら、そこにいたのが父だったそうです。
もし、父が、デパートの靴売り場のアルバイトを選ばなければ・・・、
もし、父が、その日のアルバイトが休みの日だったら・・・、
もし、母の、靴の調子が悪くなかったら・・・、
もし、母が、デパートの近くを、その日その時間に通ってなければ・・・、
私はこの世にいないんですよ。
そうしたら、今、皆さんとも、出会っていないんです。
そういう意味では、
見えない大きな世界の力が
私の人生に関わっている。
そう、仏教では理解していくのです。
<価値を問う>
もうすぐ、3.11、東日本大震災が起こった日が近づいてきます。
私はちょうど車の運転中で、信号が停電になったり、
大変な経験をして家に戻りました。
幸い、家族はみんな無事でしたが、東北に叔父がいましたので、
叔父に電話をしましたが通じません。
やっと通じたのは、5日くらいした後の事でした。
叔父は言いました。
「今まで価値のあるものを必死に集めてきたが、
今回は何も役に立たなかった。
今、命や人生の意味とは一体何なのかが問われている気がするんだよ」と。
価値と言うと、どのようなものを思い出しますか。
「お金」「地位」「名誉」がありますね。
「家族」と言った方もいました。
お金って、一時的には自分のものになりますが、
コンビニで何かを買えば、もうお金とは、さようならですよね。
叔父さんもお金はあっても、当時はお店自体がやってないのですから
お金は役に立ちませんでした。
会社にお勤めのご門徒さんがいました。
訪ねていくと、いつも大量の年賀状が机の上にありましたが、
会社を辞めた後、一枚も来なくなったそうです。
そのご門徒さんはさみしそうでした。
お子さんも学生のうちは同居していて、
いつまでも一緒に暮らせるような錯覚をしていきますが、
やがて子供も巣立っていき、家族と言う存在も
絶対的な「価値」が
揺らいで変わっていくのです。
大事なものを優先順位を付けていっても、
この「私のいのち」を救う決定的な存在になるかどうか、
よく問うていきたいところです。
<分け隔てなく>
私のところは、男2人と女1人、合計3人の子どもがいます。
長男は勉強が好きなんですが、次男は勉強は得意でなく、優しいタイプです。
私のお寺は山の中にあるのですが、夏はときどきムカデがでます。
ある日のことです。
廊下を歩いていたら、そのムカデがいて、長女の足を刺しました。
長女が「痛い!」と半べそをかくので、私は救急病院に急いで電話をしました。
「心配なら、連れて来て下さい」
病院からの助言もあって、夜間でしたが通院をしました。
病院から帰ってくると、手紙が机の上においてありました。
次男からの手紙でした。
〇〇ちゃん(長女の名前)へ
むかでにさされて いたかったね ないてたね だいじょうぶかな
でも、むかでも かわいそう
妹を気遣う優しさに、思わずほっこりとしたのと、
最後の一行にドキっとしました。
長女の「痛い」という声で、私は思わずムカデを踏んづけていたのです。
そのムカデを思いやる気持ちに、私の方が学ばせてもらいました。
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ある先輩に聞かれたことがあります。
海 と 陸の境目は、どこだと思う?
私は、「波打ち際」ですよね、と答えたのですが、
先輩はこう言いました。
「じゃあ、海の下に陸はないんだね」
先輩の求めていた正解は と です。
私たちは と で区別をしていきます。
好き と 嫌い
遠い と 近い
大きい と 小さい
上 と 下
あなた と 私
分けていくことを
分別(ふんべつ)と言います。
私たちはこれを使い分けて、
日常生活をしてきます。
ところが、
仏様の智慧はこれを分けません。
分けないから、区別、差別がありません。
分けないから、ひとつなんです。
ひとつとは、私とあなたは一緒なのです。
あなたの喜びは私の喜び。
あなたの悲しみは私の悲しみ。
いつでも一つ。
これを無分別(むふんべつ)と言います。
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3.11日の時のお話です。
私のお寺が避難所になったのです。
私のお寺のご門徒さんや近所の方が避難をしてきました。
実は4日前にうちの長男が高熱を出して、
お医者さんから薬をもらってきていて、熱は収まってきていた。
そんな時期でもありました。
お寺では避難をしてきた人の中には、小さな子もいました。
お寺のような広い場所は家庭にはありませんので、
走るには絶好の遊び場でした。
ある男の子です。
走り回っては「水をちょうだい」と言ってきます。
最初は優しくペットボトルの水をついでいましたが、
やがてどんどん減っていきます。
こうなると、病み上がりの我が子にあげたい水が気になってきます。
正直に言えば、その子に貴重な水をあげるのが、もったいなく思えてきました。
その時思ったのです。
「みんな一緒に歩んでいこうね」と、普段から偉そうに言ってはいても、
いざ、自分の心のあり様はどうなのか。
私の子 と よその子 で、区別、差別の心が起きたじゃないか。
「私」を中心に据えて、あさましいことだと恥ずかしくなったことでありました。
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これも3.11のお話です。
広島の福間義朝(ふくまぎちょう)先生の法話から
お聞きしたことをお伝えします。
東日本大震災5日後の3月16日、震災直後の福島第一原発から
25キロ離れた被災地にひとりの警察官が派遣されました。
名前をミンさんと言います
ミンさんは在日ベトナム人の両親を持ち日本生まれ、
苦学して大学院で博士号まで取り、両親の苦労からか、
「人のために働きたい」と日本に帰化して警察官になったのだそうです。
当時、多くの自衛官、警察官が現地に応援に行きましたが、
ミンさんもその一人でした。
その夜、ミンさんは被災者に食料を配る手伝いに学校に向かいました。
学校の体育館では、一列に長い行列ができていました。
列の先頭を見るとカゴが置いてあります。
避難をしてきた方が個々に家から持ってものを、一旦、かごの中において、
一列に並んでみんなが好きなものを取って食べられるようにとの工夫でした。
さて、その列の後方に、寒い体育館の中でTシャツ短パン姿で
配給の最後尾に並ぶ小さな男の子がミンさんの目に留まりました。
長い列の最後に居たので、果たして男の子に夕食が渡るか心配になり、
ミンさんはその子に話しかけたのだそうです。
男の子はミンさんにポツリと話しはじめます。
男の子の歳は、9歳とのことでした。
男の子は体育の授業中に地震と津波に遭い、
仕事をしていた父親が心配して学校に駆けつけてくれたのだそうです。
ですが、
「お父さんが車ごと津波に呑まれるのを校舎の窓から見た。
家が海岸近くなので、お母さんや幼い妹弟も助かっていないと思う」と
男の子は言ったそうです。
寒そうにしている男の子を見て、
ミンさんは自分の着ていた上着を男の子に掛けました。
そして、持ってきていた自分のお弁当を男の子に手渡しました。
そのお弁当を男の子が喜んで食べてくれると思っていましたが、
男の子はそのお弁当を食べずに、食べ物のかごに置きに行ったのだそうです。
そして、男の子はこう言ったそうです。
「ありがとう、でも、お腹がすいているのは、みんな一緒でしょ」
「自分だけの特別」は受け取れないということなんです。
みんなが我慢をしているのを知ってたんです。
自分より、もっと大変そうな人を先にしてほしい。
それを聞いて、ミンさんは思わず涙を流したそうです。
こんな小さい子でも、
こんな境遇でも
分け隔てない心でみんなのことを考えている。
「私」 と 「あなた」の
と で区別をしない。
このお話に、
改めて、学んでいく思いです。
このお話ですが、ミンさんは祖国ベトナムの友人にこの話をして、
それがベトナムでニュースとなって大変な反響を呼んだそうです。
そして、ベトナム国民の方から、たくさんの義援金が殺到したのだそうです。
私は知らなかったです。
こんな素敵なお話。
さて、法話の帰りがけに電車の中で調べていたら、
字幕とBGMだけですが、YouTubeにこのお話がありました。
思わず、涙がこぼれる実話に再び感動を覚えます。
↓
(約8分の画像ですが、ご興味ある方はご覧ください。BGMの音が出ます)
さて、今日の法話の中で、増田師が素敵な言葉をご紹介して下さりました。
今日はこれでブログを終わりにしましょう。
仏教詩人の榎本栄一さんの詩です。
未熟には たのしみがある
まだ 日月に照らされ
これから 熟するという
たのしみがある
だからこそ、
今日も頭(こうべ)を垂れて、私は法を聞くのです
今日もようこそのお参りでした