今日の東京都心は、雲り
の多い1日でした。
朝晩すっかり冷え込むことが多くなりましたが、
体調管理には気を付けたいものです。
さて、
今日は第4日曜日ですね。
東京都豊島区誓願寺にお参りに行ってきました![]()
お寺の掲示板です。
お参りのあとは、法話を聞きましょう。
今日のご講師は、東京都豊島区誓願寺の古賀正明師です。
※青字は古賀師の言葉の要約です。
<これからもよろしくね>
昨日でお彼岸は終わりましたが、今日はお彼岸会をします。
浄土真宗では
「こうでなければならない」というこだわりがないからです。
お彼岸、特に中日は「太陽が真西に沈む」と言われます。
その「真西にお浄土がある」と、お経では説かれています。
その真西に向かって、先に往った懐かしい方を偲んでいくんですね。
親鸞聖人はこう言います。
生死の苦海 ほとりなし.
久しく 沈づめる 我らをば.
弥陀弘誓の 船のみぞ
乗せて かならず 渡しける
つまり、
私たちの住む生死の世界は
苦しみばかりの海のように果てがありません。
そうしてこの世の海に
遠い過去より沈んでいる私たちを、
阿弥陀如来の救いの船は、
乗せてかならず彼岸(お浄土)まで、
渡してくださるそうです。
私たちは、
その「救いの船」にもう乗船中で、
この娑婆の縁が尽きたら、
即、同時に
もう彼岸(あっちの岸)、
つまりお浄土に着いているんですって。
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人が亡くなると、
よく聞く「三大言葉」がこれです。
「ご冥福をお祈りします」
「草葉の陰から見守っています」
「お悔やみを申し上げます」
冥福の「冥」は暗いと言う意味ですから、
「暗くて寂しい世界に行ったあなたの幸せを祈ります」と言う事です。
お浄土は、「暗くて寂しい世界」ではありません。
昔は土葬で、地面には草が生えていたから、
「地面の中から、残った人を見てるからね」
お浄土は、「地面にあって、草が生えている」のではありません。
「あれもしたかった、これもできなかった、と悔やむことばかりだから、
「そうした悔やみ事ばかりですよね、という慰め」
お浄土は、「悔やみも悩みも悲しみも苦しみもない世界」です。
私と、私たちの大切な方の行方とその後。
それを今日も考えてみましょう。
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私たちの阿弥陀様は、
ふたつの事を
私たちに贈り物(プレゼント)としてくれたんです。
まずは、
この娑婆の縁が尽きても、
いのちは終わりではなく、
また、六道輪廻には戻らない。
仏さまの世界に仏と成っていく
といいます。
これを往相(おうそう)、
詳しくは「往生浄土(おうそうじょうど)の相」
と言います。
「相」とは、すがたと言う事です。
先ほどの、
生死の苦海 ほとりなし.
久しく 沈づめる 我らをば.
弥陀弘誓の 船のみぞ
乗せて かならず 渡しける
と言う事なんです。
もう、苦しまなくていいよ。
もう、迷わなくていいよ。
もう、悲しまなくていいよ。
だって、
仏と成って
お浄土に往かせてもらうのだから。
そして、
もう一つの贈り物を、
還相(げんそう)、
詳しくは「還来穢国(げんらいえこく)の相」
と言います。
「穢」とは汚れたということ、
汚れた国とはこの娑婆の事です。
お浄土に往った方は、
また再び、
その汚れた国に
必ず還ってくるんですって。
還相のこと、
もう少し、お伝えをしていきましょうか。
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私が関東のある場所に法話で呼ばれて行ったときのことです。
法話が終って、30歳代くらいの女性が、控室に私を訪ねてきました。
まだお若い方でしたので、
「仏教の事を教えて下さいと言うなら、私が教えてあげないとな」
そんな思いも持ちながら、その方のお話を聞くことになりました。
その女性の名前を仮名で、ゆうさんとしましょう。
ゆうさんはお若くして結婚し、りんりゃんという女の子を授かりました。
ところが、夫婦にはご事情が出来たようで、
ゆうさんはシングルマザーとして、
りんちゃんとの生活が始まったそうです。
りんちゃんは、あまり活発ではないし、
すぐに体調を崩す病気がちな子どもでした。
それでも、楽しく二人で過ごしてきたそうですが、
あまりに他の子と比べて弱いので、
3歳になった頃、街のお医者さんに行って詳しく検査をすると、
もっと大きな病院に行った方がいいとのことでした。
そして、大きな病院で、
重大な「心疾患」が明らかになっていきます。
それも、生まれてすぐにわかっていれば、処置のしようがあったが、
3歳になってからでは、生命の維持も危うく、
このまま長生きをさせるなら、
病院で長期の入院生活を要すると言われます。
「なんで、今まで気が付かなかったんだろう」
「なんで、あの時もっとこうしなかったのか」
ゆうさんは自分を責め続けました。
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入院後、
ゆうさんは病院には毎日のようにお見舞いに行きました。
病院の大きな窓からは、たくさんの花が見えたそうです。
とにかく、りんちゃんは「動く」のがしんどいのです。
そんな生活の中でも、
病室の窓から見る花は、四季折々の花が咲いてきれいでした。
早速、ゆうさんは「花の図鑑」を買って、
りんちゃんと二人でみるのが楽しみになりました。
4月は桜の花がきれいでした。
ゆうさんは病院の看護師さんに確認し、
食べていいものを確認してから「お弁当」を作ってきて、
病室で親子で食べました。
りんちゃんは言いました。
「おかあさん、ありがとう!」
しかし、
りんちゃんのこの娑婆の縁が尽きる時がきました。
その日は桜の花びらが散り始めていました。
5歳の誕生日の、ちょっと前の出来事でした。
それ以来、
ゆうさんは桜の花が見るのが嫌いになったそうです。
そして、七回忌があった時の事です。
浄土真宗のお坊さんが
「還相」の話しをしてくれたそうです。
え?
また、還ってくるんですか、あの子が!
その話を聞いて以来、
今度は桜が恋しくなったそうです。
「あの桜の花を見てると
いのちが続いているって、
思わせてくれるんです」
「あの子は
悩み、苦しみのない
仏さまとなって、
私の傍に還ってきてくれるんです」
そのお話を聞かせて頂いて、
私は恥ずかしくなりました。
「この私が仏さまの事を教えてあげよう」
じゃなかったのです。
私より、
阿弥陀様と出遇っていた
ゆうさんでありました。
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最近もニュースでありましたが、
今、孤独死で無縁仏となった方が、
8000人くらい、いらっしゃるそうです。
先日、私のところに連絡がありました。
「70歳の男性が高齢者施設で亡くなったが、身よりがない。
せめてお経だけはあげてあげてくれ」と。
私が指定された会場に行くと、
棺はありますが、施設の方も来ていないため、
葬儀関係者の方しかその場にはいなかったのです。
葬儀関係者がいいます。
「お経をあげて下さい。私たちは外で待っています」
会場は、その男性と私だけです。
こんな経験がありませんので、
私は戸惑いました。
お経を読んだ後も、
法話はありません。
聞いてくれる方もいませんから・・・。
その後、
この体験をある先輩僧侶に言ったんです。
「こんなことがありまして、
この場合はどんな心持ちでいたらよかったんでしょう?」
そうしたら、その先輩僧侶はこう言ったんです。
「有難い体験をさせてもらったね」
「無縁仏って言うよね。
無縁と言っても、
誰とも縁が無くて
いのち終えたんじゃないんだよ」
「仏さまは、
ひとりひとりを大切にして下さるじゃないか」
「その方は、今、仏さまとなって
仏の国であるお浄土からこの穢国に戻ってきて、
出会っていく、その相手が君だったんだよ」
そうだったんですね。
仏さまは
この娑婆に戻ってきて、
「自分の為に経を読んでくれる」
この私のところにやってきて
私を育てようとしてくれていたんですね。
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最後に、
私の親友の話しです。
私は35歳まで福岡にいましたので、
親友と呼べる存在も福岡にいます。
昨日の話しなんですが、
その親友から電話があったんです。
「母親が亡くなったんだ」
そうか・・・。
何しろ、私が中学生くらいの時からよく知っていて、
その方が亡くなったんですから
私もご葬儀に本当は行きたいところなんです。
でも、こういうのは急な話ですし、
今日はお寺の法話会がありましたから、
簡単には行けません。
そのため、
私は彼に手紙を書くことんしたんです。
こんな内容です。
「お母さんは人生で、
苦しいこともたくさんあったでしょう。
でも、
楽しいこともたくさんあったと思うのです。
それが「人生」というものではあるけれど、
最後は
<お疲れさまでした>と
伝えてあげて下さい」
「きっと、
親子でたくさんの思い出を作ったことでしょう。
高校生のときにお父さんが亡くなった後、
お母さんはきっと、
死に物狂いで頑張って、君を育て上げ、
立派に社会に送りだしてくれました。
君が結婚をしたときも、
影ながらの嬉し涙があったことでしょう。
最後は、
<今までありがとう>と
伝えてあげて下さい」
「お母さんのこの娑婆の縁が尽きて、
君はきっと寂しい気持ち一杯の今だろうけれど、
お母さんはすぐにこの穢国に還ってきて、
ずっとずっと君の傍にいて、
いつでも
どこでも
ここにいて
君の事を見守ってくれるでしょう。
最後は、
<これからもよろしくね>と
伝えてあげて下さい」
👧 👧 👧 👧 👧 👧 👧 👧
この娑婆の縁が尽きた方が
再びこの穢国に還ってきて
今、自分と一緒にいてくれる。
さて、そのハタラキ。
ほんとうにあると思いますか?
今は朝晩と涼しくなり、
夜は虫が鳴き、
キンモクセイも香ってきました。
皆さんは「秋」ってみたことがありますか?
ないですよね。
じゃあ、秋はないんですか?
ありますよね。
それは、
気温、虫の声、キンモクセイの香り・・・。
そういうものが「秋」の「ハタラキ」によって、
物事が動き、変わり、
それを私が感じている
ってことですよね。
そうです。
見えなくたって、
あるじゃないですか。
感じるじゃないですか。
優しい人っていますよね。
その方の「優しさ」を見たことがありますか?
見えますか?
見えないのではないでしょうか。
でもその「ハタラキ」があるから、
優しさを感じるんですよね。
そうです。
見えなくたって
あるじゃないですか。
感じるじゃないですか。
亡き方はどうですか?
今、ハタラキとなって、
私やあなたのいのちになって、
ここにいるんです。
感じて
頂けますでしょうか。
今日は彼岸会です。
素敵な出会いを
感じて下さいね。
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ここからは、
bonbu-kokiが書いていきます。
往相と還相
この仏法の言葉には、
結構、
私は惚れこんでおります(笑)
亡き方は死んで終わりの命ではない。
仏と成らせて頂いてお浄土に参らせて頂く。
そこでは、先に往った懐かしい方と再会を果たしていく。
ところが、それで話は終わらない。
仏と成った方は、
また、この娑婆に還って
有縁の方の傍に、
たくさんの困っている方の傍に、
いつでも、
どこでも
今ここに
一緒にいてくれる。
まさにそれが
仏のハタラキ。
そう聞いていきます。
ありがたいと思います。
今日もお育て頂きました。
今日もようこそのお参りでした![]()














































































