副住職&若坊守の奮闘日記【第二章】〜住職&坊守編〜

副住職&若坊守の奮闘日記【第二章】〜住職&坊守編〜

浄土真宗本願寺派のお寺の副住職&若坊守がお寺の日常をつづって参りましたが、一昨年より急遽、住職&坊守の立場となりました。
より奮闘する日々を、気ままにつづって参ります。

明けましておめでとうございます。


昨夜は、小雨が降る中での除夜会、元旦会でした。


打って変わって今朝は、見事な晴れ模様。


気持ちの良い元日です。




今年最初のブログは、


年頭法話を。



 淨福寺は、浄土真宗本願寺派という宗派に属しており、「浄土真宗」という教えを拠りどころとしています。

 この「浄土真宗」という教えを私たちにお伝えくださったお方のことを、宗祖(しゅうそ)という言い方をします。平安時代の終わりにお生まれになり、90年のご生涯を歩まれました、親鸞(しんらん)という方を宗祖と仰いでいます。敬意をこめて、門徒の私たちは “親鸞聖人” と言い慣わしてきました。


 昨年2023年は、宗祖親鸞聖人がご誕生されて、850年の記念の年に当たり、本山である龍谷山本願寺(西本願寺)において、記念の法要が勤まりました。

 親鸞聖人が生涯の拠りどころにされた教えを、「浄土真宗」と言いますが、この言葉は親鸞聖人においては、宗派や教団を指すものではなく、『大無量寿経』(『仏説無量寿経』)というお経を指しての言葉でした。お経とは、仏教を開かれたお釈迦様のお説法・お言葉が文字に起こされたものです。

 親鸞聖人には、大変尊敬されたお師匠がおられました。岡山県ご出身の法然聖人(ほうねんしょうにん)というお方です。浄土宗の宗祖である法然聖人を通されて『大無量寿経』のお心を聞かれた親鸞聖人は、生涯この法然聖人のお弟子という立場を貫かれ、『大無量寿経』のお心を主著である『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)によって示されました。それは、お師匠である法然聖人から聞かれた『大無量寿経』の教えがまことであり、仏教の開祖 お釈迦様がお説きになった真実の教えであることを証明するためであったと言われます。

 ですから、浄土宗という教団に対して、「浄土真宗」と仰ったわけではなく、『大無量寿経』に説かれる「阿弥陀仏の浄土の真実の教え」という意味で、「浄土真宗」というお言葉をお使いになっておられます。


 また、親鸞聖人は主著の中で、「正信偈」という偈文を残されました。『大無量寿経』に説かれる南無阿弥陀仏という仏さまのお徳を讃え、そのお心を、国を超え、時代を超えてお伝えくださった、7人の高僧の方々のご功績までお讃えされる内容となっています。

 そこでお師匠の法然聖人については、次のような言葉でご功績を讃えておられます。


真宗教証興片州

(しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう)


 訳しますと、 「この国に往生浄土の真実の教えを開いて明らかにされました」  です。

 この国というのは、日本のことですが、親鸞聖人は片州(へんしゅう)という言葉で表現されています。

 丁寧に訳すと、「世界のかたすみの国」という意味です。

 お師匠のご功績を讃えるところですから、もっと誇示するような表現でも良いような気もしますが、ここに親鸞聖人のお人柄が表れていると思います。

 謙虚であり、他国に対しての敬意、配慮を感じます。これは法然聖人からの影響もあろうと思いますが、生きとし生きるものすべてのいのちを、平等にみられる仏さまの視点を通された、仏教徒としてのお立場も感じます。

 そして、この世にお生まれくださり、「浄土の真宗をこの国に開かれたのは法然聖人であって、私はただそれを継承しているに過ぎない」という親鸞聖人の態度もうかがうことができます。

 最初に申しました宗祖という言葉を使うのは、その教えを仰ぐ後の我々であって、親鸞聖人ご自身、宗祖になろうとか、教団を築いて教祖となろうとか、そのような自分本位のお考えは全くなかったことが伺えます。


 人間の住む世界は、過去から現在に至るまで争いごとが絶えません。同じ過ちを繰り返さないためにも、我々は「へんしゅう」という言葉から学ぶべきことがあるように感じる、年頭です。




本年もどうぞ宜しくお願いします。





 なんまんだぶつ、、、 (住職)