今日の東京は快晴です。
青い空が気持ちいいですね。
今日はお寺で結婚式があって、多くの方でにぎわいました
今日の御講師は、昨日に引き続き、
東京都台東区浄雲寺の荒木尚太師です。
※青字が荒木師の言葉の要約です。
<あの世ってあるんですか>
仏教には仏様が救ってくれる「他力」と
自分で修行して覚りを開く「自力」があります。
自力と言えば「六波羅蜜(ろくはらみつ)」が有名ですが、
「自力」で覚りに行くには六波羅蜜の6つの修行をしなくてはいけません。
一つ目は、布施(ふせ)です。
施すと言うことですが、亡くなった瀬戸内寂聴さんが、
よく「笑顔のおもてなし」と仰ってましたが、
何も布施と言うのは「お金」だけじゃなくて、態度や心配りの施しです。
二つ目は、「持戒」です。
戒律を守ると言うことです。
殺生しないとか、ありますよね。
三つ目は、忍辱(にんにく)」です。
我慢をして、耐え忍ぶということです。
まさにこの世は我慢の世界ですよね。
四つ目は、精進です。
努力を続けていく事です。
五つ目は、禅定(ぜんじょう)です。
精神を統一し、心静かに、一切の波がないということです。
六つ目は、智慧です。
仏教の究極の目的である「智慧」を頂いていく事です。
さて、この6つですが、
皆さんが悟りの世界にいくにはこの6つを達成しないといけません。
ちなみにこの6つに「執着」してもいけないことになっています。
例えば、自分は「我慢しなくちゃ、我慢しなくちゃ」とこだわるのもダメなのです。
皆さん、「自力」であの世に行けそうですか?
今年の8月です。
私は京都の本山(本願寺)に行く用事があったのですが、
時間があるときに龍谷ミュージアムに行きました。
企画展で「のぞいてみられぇ!“あの世”の美術―岡山・宗教美術の名宝Ⅲ―」
と言うのをやっていました。
そこでは法然上人の企画展と、
熊野観心十界曼荼羅(くまのかんしんじっかいまんだら)が展示されていました。
どんな感じかと言うと、
(画像をお借りしました)
一番上のアーチ型になっているのは人の一生で、
右端に赤ちゃんがいて、次第に成人し、結婚し、子供が出来て、
やがて歳老いていく様子です。
その下には十界が有ります。
十界とは十の世界と言うことで、
上から四つは、一番上が仏、次が菩薩、次が縁覚、次が声聞で、
この四つは「四聖」と言い、真ん中に書いてあります。
仏教の修行で得られる世界です。
そして、真ん中から下の部分、6つの世界は皆さん良くご存じの「六道」です。
一番上が天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄ですね。
天は、享楽の世界ですが、死ぬときはこの上ない苦しみが待つ世界
人は、四苦八苦に悩む世界
修羅は、争いが絶えず、苦しみと怒りが絶えない世界
畜生は、鳥、獣、虫の世界で、本能に沿って生き、苦しみを受けながら死ぬ世界
餓鬼は、絶えず飢えているのにも関わらず食べることができないむさぼりの世界
地獄は、全ての苦しみを一手に引き受ける世界
この六道は、生命が生死を繰り返すと言われてきました。
この世が終って、どこに行くのか。
この絵を見て思ったんですが、
「いいことをしないと、いいところには行けないよ」
「功徳を貯めて、いいところに行こう」
昔からこのように思われてきたんですね。
ある男性のご門徒さんのお話しです。
先日、ご葬儀がありました。
亡くなったのは、その男性の奥様のお父様です。
つまり義理のお父様ですよね。
その男性と少しお話をする機会がありました。
その際、その男性が私にこう言ったのです。
「住職さん、あの世ってあるんですか?」
私は先日の龍谷ミュージアムにあった絵の話をしながら、
「私を含めて誰も亡くなった人から、
あの世があるかないかを聞いたことがないので、
実は私もわからないんですよ」
私は正直に答えました。
さあ、ここから私も考えました。
浄土真宗から見れば、
今この世に生きていることが、
「天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄」の六道の中にいることだと思います。
今日のニュースを見ていたら、韓国で150人以上の方が亡くなったそうですね。
ハロウィンで楽しい日。
まさに有頂天になる気分ですよね。
ですが、その日のうちに怪我をしたり亡くなっていく。
まさに地獄ですよね。
お経にお浄土のことが書いてあるから、
であれば「お浄土は有ります」でしょうか・・・。
残念ながら、
死んだことがない私達には、
見たことがない私達には、
「あの世のことはわからない」のだと思います。
私が18歳の時に、私の父は48歳で亡くなりました。
私にとって、「あの世と言うお浄土」は、あったら嬉しいのです。
私にとって、「あの世と言うお浄土」は、なけりゃ、困るんです。
また、会える世界が無いとダメなのです。
功徳も大して積めない私達だからこそ、
「自力」では到底悟りにたどり着けない私達だからこそ、
阿弥陀様はお悟りの世界である「お浄土」を用意してくれたのです。
有難いことだと思います。
ある大学の仏教の講義中、学生が質問をしたそうです。
「先生、お浄土ってほんとにあるんですか?」
そうしたら、仏教学の権威である教授はこう言ったそうです。
「キミ・・・、もしお浄土がなかったら、私は死んだ家内に会えないじゃないか」
死んだら「無」になる。
そう、思っているうちは、
自分も自分の最愛の人も、
いのち終わった後は「無」ということになります。
死んだら「ゴミ」になる。
そう、思っているうちは、
自分も自分の最愛の人も、
いのち終わった後は「ゴミ」ということになります。
いや、そうじゃない。
生まれ変わりがあって、
お浄土があって、
亡き人とも再び会う世界があるのだと、聞いていく方が
「心豊か」に今を生きていける気がするんですよね。
あの世ってあるのでしょうか?
「地獄なら、ない方がいい。
お浄土なら、あったほうがいい」
「嫌なあいつに会うなら、ない方がいい。
好きなあの人に会うなら、あったほうがいい」
凡夫の考えることは、果てしなく煩悩まみれではあるけれど、
仏説阿弥陀経というお経に実はお浄土のことが書いてあります。
さて、今生きている人は、誰も見たことも往ったこともないあの世です。
では、あの世は一体、あるのか、ないのか・・・。
私は思うんですが、
信じるか、信じないか
あるのか、ないのか
ではなく、
あの世の中で、お浄土と言うところだけは、
ないと困るのです。
なければいけないのです。
皆さんもそうは思いませんか?
荒木さんも
大学教授も
私も
あなたも
ないと、先に往ったあの人に会えないではないですか。
自分が先に往った後、
あとから続くあの人にも会えなくなるではないですか。
だから、あの世はないと困るのです。
そのことをもっと聞くために、
これからも仏教を聞いてほしいと思うのです。
今日もようこそのお参りでした