今日の東京は気温が低いうえに、雨が降っていて肌寒い気候です。
さて、今日も職場の近くの、お寺の掲示板からですよ。
入り口から、ちょっとお庭が見えます。
「こんなにやってあげたのに」
相手もそう思ってる
あ~、
分かりますよね。
やってあげたのに、お礼も言わないとか、
やってあげたのに、何もしてくれないとか、
やってあげたのに、逆に恩を仇で返すような言動をされたりね。
振り返れば、「こんなにやってあげてるのに」と
親、子、兄弟、友人、職場の同僚など、
他者に対して思ったことが何回かはないでしょうか。
自分の思いは、なかなか他人には伝わらないものです。
まあ、こうした「上目線」もいけないとは思いますが、
でも、相手もまた、自分のことをそう思っているってことですよね。
まさに、お互いに気が付かないくせに、
私たちの人間関係や自分中心のモノの見方は、
本当に「お互い様」で厄介なものなのかもしれません。
他人のために何かしてあげることを、
仏教では一般的に「布施(ふせ)」といいます。
『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』の中で
理想的な布施(施し)が説かれています。
要約すると、
乞うものを見て与えるのは施しであるが、
最上の施しとはいえない。
心を開いて、自ら進んで他人に施すのが
最上の施しである。
また、ときどき施すのも最上の施しではない。
常に施すのが最上の施しである。
施して後で悔いたり、
施してほこりがましく思うのは、
最上の施しではない。
施して喜び、施した自分と施しを受けた人と施したもの、
この三つをともに忘れるのが最上の施しである。
禅宗ではこんな話が有名です。
数多くの寺院や仏塔を立てるなど、
中国の仏教界のために大きく貢献した
蕭衍(しょうえん)という梁の初代皇帝(武帝)がいました。
蕭衍が、「これによって自分には、どんな功徳があるだろうか?」と、
達磨(だるま)大師に質問したところ、
達磨大師は「無功徳(むくどく)」と、ひと言答えたそうです。
この「無功徳」とは、文字通り「何の功徳もありません」ということで、
これは「見返りを求めることを強く戒めたエピソード」として広く知られています。
自ら進んで常に布施を実践しつつ、
「施した自分」と「施した他人」と「施したもの」の3つすべてを忘れていく。
そのためには、最初から他人に全く見返りを求めない気持ちが大事なんですね。
さて、今日は更にこれを聞き開いていきましょう。
尾畠 春夫(おばた はるお)さんという方がいますよね。
スーパーボランティアとして、迷子のお子さんを救助して一躍時の人となりました。
尾畠さんの座右の銘がこの言葉なんだそうです。
それは、
かけた情けは水に流せ
受けた恩は石に刻め
刻石流水
(こくせきりゅうすい)
という言葉があります。
「受けた恩義はどんな小さくても心の石に刻み、
施したことは水に流す」ことを言います。
人から受けた恩は、その人に返すのみならず、より多くのひとに施すこと。
そして自分が施したことは、その瞬間に忘れる事。
もともとは、仏教経典にあった
『懸情流水 受恩刻石(情を懸けしは、水に流し、恩を受けしは、石に刻むべし)』
から来ている言葉です。
尾畠春夫さんは1939年、大分に生まれます。
終戦時は6歳くらいでしょうか。
戦後は食べるものが無く泥水を飲んだり、
人の捨てたものを拾って食べたりしたそうです。
小学校5年生で母親を亡くし、家は貧しかったため農家に奉公に出されます。
中学の3年間は、4ヶ月しか学校に行けないほどに働いたそうです。
中学卒業後は鮮魚店の見習いとなり、別府・下関・神戸を転々と10年修行し、
20歳代後半で自身の店を持ったそうです。
お店は繁盛したそうですが、
幼少期から含めればやっぱりご苦労は多かったことでしょう。
そうした人生の体験から感じた座右の銘は、
鮮魚店をやめたあとのボランティア活動に現れていると思います。
私達は、ついつい「かけた情け」をしっかり石に刻んでしまうのですが、
できればその都度その都度
施しをしたらその場で水に流していく。
施しをしたらその場で捨てていくのですね。
逆に情けを掛けてもらったら、心に刻んでいく。
お釈迦様の仰ったことを、
言い換えれば
「刻石流水」
かけた情けは水に流せ
受けた恩は石に刻め
短く言えば、
石に刻め、水に流せ
そのように聞き開いた、お寺の掲示板でした
今日もようこそのお参りでした (画像お借りしました、実にいいお顔です
)