先日、僕が以前書いた野球に関する記事が少しトラブルを起こしました。
観点は色々あるけれど、いわゆる”間違い”の指摘。
ツイートやブログの”批判記事”という形でその指摘を受けることになったのです。
多くの方がリツイートし、多くの方が批判をしました。
確かに、物理学という枠組みは方程式を成立させるためにものすごく条件や定義を明確にしてある種のスティフさを作らなければ成立せず、その点について僕の表現・解釈・理解はかなり不十分であり、”間違いだ”という指摘もごもっともだと感じ。。
物理学という学問の性質への理解も不十分だったと思います。
これらの点についてほんとに反省しています。
ご指摘の内容については改めて勉強し直します。
*記事は、運営元に無理をお願いして既にリライトし、公開待ちの状況です。
本来は批判を受け入れて修正、という形で終わらしても良かったのです。
しかし今回のエピソードを、わざわざブログで取り上げた理由は、”批判という行為”の『作法』について書く必要があると感じたからです。
そもそもの原因を作った僕がそういうことをいうのは大いに憚られます。
しかし、、当事者になって初めてわかることはあると思いますし、こういうことは日常的に行われていることだと感じましたので、僕が当事者として違和感を感じた点について僕の考えをシェアしたいと思います。
*あくまでも今回の出来事を受けての僕の個人的な考えなので、そもそも僕のことを気に食わないと感じている方にとってはこの先は時間の無駄です。
僕の意見は大きく分けて2つ。
1)「あれは批判であり、人物に対する否定ではない」は通用しないのが公の場。
「あれは否定ではなかった」というのは言った側の主観であり、言ったあとでどうとでも言えるロジックです。
公の場での発言である以上、言われた側、そしてそれを見た側がどう感じるかが全てです。
「どう言ったかではなく、どう伝わったかが重要」はコミュニケーションの基本です。
いくら後でそのようにうまいことまとめても、言われた側が受けた傷というものは消えません。
それぐらい、与える側と受ける側の解釈はギャップが起こり得ます。
いじめ自殺問題が起こった時、いじめた側が「いじめているつもりではなかった」は言い訳ではなく本当にそう考えていたということすらあります。
政治家による失言も、「撤回します」は、記録からは削除してくださいの意、記憶にはしっかり残るシロモノです。
言われた側が受けた記憶や感情は一方的な「ほんとは〇〇でした」では消せません。
だから我々は、自分が発する”言葉”がどのように受け取られるかはやはりものすごく気を遣う必要があります。

2)批判の作法をしっかり持つべき
作法ですから、価値観によって様々な考え方があると思います。
だからこれもあくまで僕の考え方。
「間違ってるな」と感じた内容に出会った場合、そこから様々な行動が選択できます。
例えば、
身近なところで口頭で表現。
ブログやツイッターなどで表現。
何もしない。
でもこれらはただのアウトプットチャンネル。
重要なのはその時のスタンスです。
僕の場合は「間違ってる」という意見を表現をするときにはものすごく慎重に配慮します。
*個人の発信を取り上げてという形は絶対にやりません。 そういう表現している方をRTしたり「いいね」することも決してありません。
一般論に対してのそういう表現はある程度しますが、間違っているという断定的な表現を用いることは相当注意を要します。
なぜなら、前提条件や解釈次第で「間違っている」は「当てはまる」に変わり得るからです。
そして少なくとも「わかっていない」とは表現しません。
1)の問題に当てはまりますが、「わかっていない」と表現した時点で、その対象は意見ではなく「人物」です。
”批判”したとき、ほんの少しでも発信者の人格を貶めようという感情は持っていなかったか。
RTも含めて。
僕らは何かを批判するとき、常にその点について自省し続けなければなりません。
***
間違っているということを表現したい場合、その根拠と並んで重要なのは、「では何が正しいのか」ということをより明確な論拠をもって提示することです。
それなしでの”批判”は、マウンティングととられてしまうこともありますので、ほんとに注意が必要です。
こういう出来事があると、常に立ち戻るべきこと。
それは「そもそも自分たちが発信する”目的”はなんだろうか」ということ。
僕の場合は、選手の努力が成果に結びつくためのロスを最小限にするためであり、そこに携わるトレーナーの方々に少しでも有効に使ってもらうため。
だから誤っていた、誤った解釈をされると感じたらすぐに修正に動きます。
自分が情報発信をする目的を常に基準線とし、全ての発信をその基準で評価できるようにする必要を改めて強く感じています。
何かを正すつもりでの”批判”のつもりの発信が、実は結果として自分の価値を下げてしまうことも多々あるという点について、我々はものすごく注意しないといけないということです。
議論の基本は、相手へのリスペクト。
それを欠いた状態の”議論っぽい何か”は、他者から見れば議論ではなくただのマウンティング。
結果として外から客観視している第三者からの評価をものすごく下げてしまう。
結果として「トレーナー業界は縄張り争いすごいねw」という冷めた意見をもらうことになる。
これじゃいけません。
いくら感情を刺激されても、今自分が為すべきことは何なのかを冷静に考えるべきです。
***
繰り返しになりますが、そもそもは僕の表現と理解が未熟だったことが大元の原因。
たくさんの方にフォローしていただきながらそのようなことを起こしてしまったことは本当に反省しかありません。
こんな記事書く暇があったら勉強しろと言われると思います。
ごもっともです。
しかし同時に、今回僕が経験したことをきっかけに気づいた根深い問題を放置することもできませんでした。
僕に代わってこの件を深く考えてくださった方々のためにも、普段から信頼してくださっている方々のためにも、少なくとも中野崇は件のエピソードについてこのように考えているということを表現する必要を感じたのです。
引き続き、少しでも役に立てていただける情報を発信するように心がけます。
誤りに気づかれた場合は遠慮なくご指摘ください。
責任をもって必ず適切に修正いたします。

全てはパフォーマンスアップのために。
中野 崇
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