「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」というのは、川端康成の代表作「雪国」の冒頭の部分です。子どもの頃に川端康成がノーベル文学賞を受賞して、この一節は瞬く間に有名になりましたが、実際に小説は読んだことはなかったので、どこのトンネルを指しているのかまでは知りませんでした。
ところが、20代の頃に在来線だったか新幹線だったかは覚えていませんが、初めて新潟に出張で行ったときに、群馬県側からトンネルを抜けて新潟県の湯沢に入った瞬間に景色が劇的に一変したのに大変驚き、川端康成が言うところの国境とは、まさしくここを指しているのだというのを直感しました。
スキーリゾートと温泉で人気のある湯沢を過ぎると、やがて右手に越後三山が現われます。越後駒ヶ岳、中ノ岳、そして八海山です。この八海山の大崎登山口に鎮座されているのが八海山尊(はっかいさんそん)神社です。
八海山の山容は信州の戸隠山、上州の妙義山と似ていて、いくつものピークがギザギザの形をしており、まさしく修験道の山というイメージです。
海岸沿いの山という訳でもなく、何故、八海山という名が付いているのか不思議でした。その由来を調べてみたのですが、仏法の「八戒」のことではないか、あるいは山を横から眺めるとピークが階段状に見えることから「八階」と付けたのでは等々、諸説あるようです。
越後の魚沼が生んだ歴史ヒーローは何と言っても直江兼続です。兼続が主人公となった大河ドラマ「天地人」のオープニング映像の最後の場面で、兼続役の妻夫木聡が急峻な山に立つシーンがあるのですが、それは八海山の山頂です。合成映像ではなくて、本当に妻夫木聡は山頂に立ったそうですが、徒歩ではなくヘリコプターでそこまで行ったらしいです。
八海山は木曽の御嶽山と「兄弟山」という位置付けがされています。木曽の御嶽山は火山の独立峰で、いわば「富士山型」なのですが、火山でもなく独立峰でもない八海山は学術的には「兄弟」とは言えません。
実は、御嶽山の王滝口からの登山道を開発した普寛行者が越後にやって来て、地元大崎村の泰賢行者とともに協力して八海山を開山したという縁で、「兄弟山」ということになったらしいです。
行者というと役行者(えんのぎょうじゃ)が有名ですけど、登山を趣味にしている我々にとっては、苦労して登山道を切り開いてくれた行者さんたちに感謝しなければなりません。
八海山尊神社の祭事としては「火渡祭」、「大寒の滝行」、「夏山登拝」など山岳信仰の流れを汲むものが多くあります。
拝殿に続く石段には「龍鳴」というのがあって、柏手を打つと音が木霊し石段全体で響く現象を体験できます。以前訪れたことのあるメキシコ・マヤ文明の遺跡、ククルカン神殿の反響もこんな感じでした。
正直言いますと、八海山の麓まで行った最大のお目当ては、お酒の「八海山」でした。八海醸造の工場の前に直営店があって、そこでお正月用に「八海山・精米歩合45%純米大吟醸」一升瓶を購入したのですが、果たしてお正月まで待てるかどうか煩悩との戦いが現在続いているところです。
もうすぐ、八海山尊神社のあたりは雪に閉ざされる季節を迎えようとしています。