今なお続く 神奈備様式の [金鑽神社]
拝殿(左) & 中門(右)
中門奥には 本殿なく 御室山(神体山)を拝む
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日本列島の国家形成は
渡来人なくして 語れない
ひょっとして
その渡来人の末裔は≒多くの現代日本人か
と近年 古代DNA研究が 語る
そういった 遠く古代の記録が 存在しない頃から
渡来人の面々は 日本列島に移住
&
彼らは いかにして
神社に 関わってきたのだろうかと…
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武蔵国においても 顕著な渡来人の足跡は 残されている
ご存じ 高麗郡 & 新羅郡など
[渡来人と神社]
好奇の心が チョイ動き出した
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まずは 前回ブログにあった「製鉄神」と
つながるような神社について
武蔵国(埼玉県)の 参詣神社から勝手にセレクション
それらを 振り返って チョイ探ってみることに
・・・(^ω^)・( ω^)・(^ω^)・・・
1)「金鑽(かなさな)神社」 埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮 751
神橋&第3鳥居 (2020/12撮影) 金鑚神社 奥宮
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* 創始(伝):
景行天皇41年(111)に日本武尊が東国遠征の折に、倭姫命より授けられた草薙剣とともに携えてきた 火鑽金(火打金)を御霊代として山中に納めて、天照皇太神と素戔嗚尊の二柱の神を祀ったことによる。
★ 社名「かなさな」の語源は 「金砂」にあると考えられているように
採鉱・製鉄集団によって祀られたのが 当社の実際の創祀と見られている。
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* 祭神:
(主祭神)天照大神・素戔嗚尊 (配祀神)日本武尊
* 社格:
式内社(名神大社)、武蔵国二宮、
旧社格は官幣中社で 現在は神社本庁の別表神社。
武蔵国 大2座とは ・・・武蔵一宮氷川神社 ・ 金佐奈神社(金鑚神社)
* 神奈備信仰様式 [山がご神体なので本殿を設けない神社]:
御室山の金鑚神社・三輪山の大神神社・守屋山の諏訪大社本宮
★ 旧官幣社・国幣社で このような神奈備様式は上記3社のみ
● 社名
神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られ、御嶽山からは鉄が産出したという伝承がある。
社名「金鑚(かなさな)」は、古くは「金佐奈」と記載され、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源とも、産出する砂鉄が昆虫のサナギのような塊だったため「金サナギ」が語源とも考えられている。
児玉郡は 埼玉県の平成6年度(1994)の調査報告において 1,380基の古墳が確認されており、この地域を「魏志倭人伝」にある2~3世紀頃の倭人のクニの1つ「華奴蘇奴(かぬそぬ)国」に比定する説がある。
★ 華奴蘇奴(かぬそぬ/かなさな)国は、
『魏志倭人伝』に登場する卑弥呼の女王国が支配した21の国の一つ。場所は諸説あるが、埼玉県神川町の金鑽神社付近、あるいは徳島県美馬市穴吹町付近 など、主に畿内や西日本エリアの有力な比定地が挙げられている。
● 渡来系氏族が居住
金鑚神社周辺の地域には鉱山採掘の技術をもつ氏族が居住しており、主に渡来系の氏族であったとされている。
当神社の北方の台地はかつての大古墳集墳地帯であり、その古墳の形式が古代大陸諸国、主に高句麗や百済で広く行われた形式であり、これらに葬られているのが、朝鮮半島からの渡来人であったという。
*(参考)・・・ブログ230(2020-12-29UP) & ブログ334・335(2021-01-14UP)
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2)「聖(ひじり)神社」 埼玉県秩父市黒谷2191
聖神社・拝殿 (2011/11撮影) 和銅採掘露天堀跡へ
* 由緒:
第43代元明天皇の時代に、武蔵国秩父郡から日本で初めて高純度の自然銅(ニギアカガネ、和銅)が産出し、慶雲5年(708)に郡司を通じて朝廷に献上された。
これを喜んだ朝廷は同日に「和銅」と改元し、多治比真人三宅麻呂を鋳銭司に任命して、和同開珎を鋳造させた。
この和銅の発見地が当神社周辺であると伝わる。
★ 創建: 伝・和銅元年(708)
* 主祭神
金山彦命、国常立尊、大日孁貴尊(天照大神)、神日本磐余彦命(神武天皇)4柱に
元明金命(げんめいかがねのみこと・元明天皇)を合祀する。
★ 境内石碑には『…当社はこの歴史的由緒ある「自然銅を主神」として祀り、
更に金山彦命、元明金命を合祀し…』たとある。
* 和銅採掘露天堀跡 (秩父和銅保勝会)
その「和銅」の歴史に名をとどめるのは、催鋳銭司の多治比真人三宅麻呂、
発見・採掘に深い関わりがあったであろう日下部宿禰老、津島朝臣堅石、
金上无(こんじょうむ)などがいる。
多治比真人三宅麻呂は、国の特別史蹟「多胡碑」に名が刻まれているほどの人物、
金上无は新羅からの渡来人で、和銅献上時無位であったにもかかわらず、
従六位下の老、堅石と並んで一躍従五位下に叙せられたところからみて、その貢献度の高さが抜群であったことが想像できる。
★ 多胡郡新設の背景には、金上无らによる秩父銅の発見委に対する「論功行賞」の意味
が含まれていた、という考え方がある(金達寿)
*(参考)・・・ブログ565(2025-10-18UP)::多胡神社の伝承としてブログ でチョイ触れ
…「羊太夫は→ 金上无(発見者・新羅系渡来人)か?」…
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3)鬼鎮(きじん)神社 埼玉県比企郡嵐山町川島1898
金棒お守り(左) & 社殿前には奉納された金棒 (2013/1撮影)
* 祭神:
衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)
八衢比古命(やちまたひこのみこと) 八衢比売命(やちまたひめのみこと)
* 旧称: 鬼神社・鬼神明神社・川島神社
* 創建: 寿永元年(1182)
★ 全国で鬼を祀る数少ない神社のひとつ➡「鬼に金棒」は鉄にリンク大ではないか
短絡的には 「産鉄の民→鬼」 へと歴史がつくり出されたような気がする
★ 「鬼鎮神社と鉄の関係」について伝承が… [鬼鎮様]という昔話があった
鍛冶屋の・・・ 若い男が なぜ[鬼]になったのか? or 見えたのか?
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>「広野八宮神社」が 鬼鎮神社の起源 だと (嵐山町教育委員会談)<
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❖ 広野八宮(やみや)神社 埼玉県比企郡嵐山町広野927
* 創建年代等: 不詳
* 祭神: 建速須佐之男命・大己責命・稲田姫命
* 由緒:
「八宮明神社」の額の掛かった鳥居がある。
鳥居からの参道は緩い坂になっており、その東側には、元は「泉覚院と呼ばれる
修験」で 八宮神社の祭祀に深くかかわってきた宮本家がある。
当社の由緒は『比企郡神社誌』に「本社は清和天皇の貞観10年(868)本郡小川町下里の八宮神社を総社とし近郷七ケ所に分霊を祀るといふ。
また『風土記稿』には「八宮社 村の鎮守なり、泉覚院持」
「泉覚院 本山修験、男衾郡板井村長命寺配下、本尊不動を安ず」と載る。
★ 同家の邸内には[鬼神神社が祀られているが、この鬼神神社は、
同町川島にある 鬼神神社の奥宮 であるといわれ、・・・・とある.
[鬼神神社の奥宮]の 社殿 & 扁額
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鬼神神社の奥宮 = 宮本家 = 泉覚院 = [修験]・・・
・・・連想すると・・・
修験 ➡ 修験者 ➡ 山伏 ➡ 山岳信仰 ➡ 鉱山 ➡ 産鉄 ➡ 秩父 ➡ 秩父氏 ➡ 畠山氏
重忠公史跡公園 ➡ 男衾郡 ➡ ・・・聖神社 ・・・渡来人 ・・・慈光寺
*** 《追メモ》 ***
さすがに 鉄にリンクした鬼鎮神社
奉納された狛犬も ブロンズ製であった
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が、台座の文字(奉納者)が なんとも気になっていた
刻銘文字(永野御嶽教会 / 日向北辰講社)
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ブロンズ製狛犬 昭和52年(1977)奉納
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チョイ調べしてみると 昭和戦後の[鬼鎮神社]の立つ位置は ここだったのであろうか…
ご参考までに (下記 神道大教HPより抜粋転載)
神道大教全国神社教会・・・教派神道(明治期)
明治14年に神道総裁に一品有栖川宮幟仁親王殿下がご就任
拝殿内の社号額 & 菊花紋 & 額面?
一、古学的神道の部(3)御嶽教 …
栃木県の足利の人、下山応助が御嶽大神の熱烈なる信仰者で御嶽山鎮祭由緒などを調べ平山省斎、鴻雪爪などの助けをかりて明治六年立教を教部省に願い許され、同十五年神道事務局を出て、独立教派として公許された。
(主祭神) 国常立尊、大己貴命、少彦名命の三神を奉斎主神とする。
御嶽永野日向北辰講社[群馬県] 御嶽永野中教会[栃木県]
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★ 修験道を起源としているが、仏教色は薄く祭祀も神道に準じている。
★ 妙見信仰が日本へ伝わったのは7世紀(飛鳥時代)のことで、高句麗・百済出身の
渡来人に よってもたらされたものと考えられる。
★ 妙見信仰といえば 「秩父神社」に妙見菩薩が合祀され、神仏分離まで「妙見宮」として
知られるようになった。明治以降は妙見菩薩が天之御中主神に改められている。
*(参考)・・・ブログ415(2022-01-18UP) & ブログ416(2021-01-22UP)
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さて
セレクションした参詣神社は まだまだあるが
コンパクトな纏めが 不得手ゆえ
個々の神社考は このあたりで納めておきたい
ということで
ここからはチョイ **神社考(記)・後記** としたい
詳細は ご勘弁願うとして
埼玉県のBIG神社も 過去のチョイ齧り印象から推して
渡来人とのリンクは あまねく必然であっただろうと 振り返る
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❖ 武蔵一宮 「氷川神社」 然り
2013/2撮影
❖ 知知夫国の総鎮守 「秩父神社」 然り
2010/9撮影
❖ 関東最古の大社 「鷲宮神社」 然り
2013/12撮影
高麗神社リンクで参詣した
「白ひげ神社シリーズ)において
埼玉県内38社参詣を コンプリート
多くのエリアで 渡来系の残照を感じた
脚折白鬚神社 埼玉県鶴ヶ島市 (2023/1撮影)
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白ひげ神社38社の
参詣神社整理表(ブログ480掲載)から 見えてきた
着眼すべきワードは
「祭神」 & 「修験」 であった
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「祭神」についての記載では
白鬚明神は 翁神信仰にある「渡来神」 との位置づけがあった
加えて 《修験》なる
神仏習合によるところからの足跡を
どう理解すべきか
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渡来系神社の発展歴史における 貴重な&複雑な存在感も感じた。
なんと 「高麗神社」も修験の道へ であった
いわゆる 多くの渡来系神社も
時代とともに 神仏習合なる政策の中で
いろいろ混淆していったのであろう
と その妄想は尽きない
妄想の 次なるテーマを
「神道」なるワードを通して 神社を考えてみることに
チョイ気になってきたところは
《神道は 日本列島古来のものだったのだろうか?》
という 不思議の解決への 好奇である
過去 「神仏習合&神仏分離」なる概要を チョイ齧りした記憶からして
古来「神道」なるものは
日本人の自然崇拝(縄文の頃から)の心から 生まれてきた
という日本人らしさを 誇らしく感じた時期を 思い浮かべる
いわゆる 「古神道」の根本かと
が 「渡来人」の存在を意識して
古神道を見つめ直し&考えてみると
古代日本列島で 自然崇拝を求めてきた人々は……?
と思いをめぐらす
どうだったのだろうか・・・と。
繰り返しになるが
神社(神道)の由緒・歴史には 思いを巡らせてきたが
その主体たる人々(今でいう氏子中)までには
余り思いをめぐらせてこなかった
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古代の氏子中は
いかなる歴史人達であったのだろうか…?
記録のない時代への 思いが募る 昨今である
妄想は どこまでも 続きそうだ
(^ω^)### FIN ###(^ω^)








































