神奈川県を代表する山として、丹沢山系の東端に位置する大山があります。
その大山に鎮座されているのが大山阿夫利(おおやまあふり)神社です。大山の別名を雨降山(あふりやま)と言い、「阿夫利」とは「雨降」に由来するそうです。その名のとおり、大山は雨乞い、五穀豊穣を願う山とされています。
大山阿夫利神社の創建は2200年前の崇神天皇の御代だと神社の御由緒にありましたが、もともとは山頂の巨石(磐座)を御神体とするシンプルなものだったと思います。そして、天平年間に山の中腹に雨降山・大山寺が建てられ、神仏習合により江戸時代までは「石尊大権現」と呼ばれていました。
明治に入って廃仏毀釈運動が起こり、大山祇(おおやまづみ)神を主祭神とする「阿夫利神社」として再スタートを切ります。
「大山」という山の名前だから大山祇神を祀ったのか、あるいは大山祇神を祀ったから山の名前が明治以降になって「大山」と呼ばれるようになったのか、よく分かりません。
しかし、いずれにせよ大山祇神を主祭神にしたのは、明治以降の後付けであることは間違いありません。その証拠に、愛媛県の大山祇神社や静岡県の三島大社も大山祇神を祀っていますが、その両社の神紋は「折敷に三文字」であるのに対し、大山阿夫利神社の神紋は「三つ巴」です。
源頼朝が平家打倒の挙兵をした際、神社に太刀を奉納したそうです。これを「納め太刀」と呼び、江戸時代にはこれにあやかって、多くの若者が持参した木太刀を神前に納め、改めて授けられた木太刀を護符として持ち帰ったそうです。また、当時は大山の山頂まで行くことによって、一人前の男性として認められたとのことで、それが登頂のモチベーションになっていたかもしれません。
山の麓にある伊勢原市営駐車場に車をとめて、大山ケーブルカーの駅に向かいました。途中、参道沿いにレトロな商店街があり、お土産を買い求めたり、有名な大山豆腐を賞味することができます。この辺りはなんとなく江戸時代に盛んだった「大山講」を彷彿とさせます。
ケーブルカーを降りると、すぐに下社があります。境内からは江ノ島や三浦半島を望むことができ、まさに「関東総鎮護」に相応しい絶景が広がっています。
大山阿夫利神社は延喜式のもちろん式内社ですが、ランクとしては小社で、また戦前においては県社という位置付けで、それまでの社格はさほど高くなかったという印象ですが、現在は別表神社に指定されていて、これはやはり依然として人気の高い「大山詣り」の所以でしょう。
今回は山の中腹にある下社のみで、山頂の本社までは行きませんでした。
実は5年くらい前にヤビツ峠から大山山頂に登ったことがあります。その時にやっと私も一人前の男になったということでしょうか?