荏原神社(東京都) | yampoo 御朱印集めの旅 

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御朱印を集める旅を始めました。

東京都品川区北品川の目黒川沿いに鎮座されている荏原神社にお参りしました。

現在の品川区、大田区、世田谷区、目黒区あたりは武蔵国荏原郡と昔は呼ばれていました。この「荏原」という地名を冠した神社ということになるのですが、同じ武蔵国で「多摩」という地名は、東京都以外の人たちにとってもお馴染みな地名であるのに対し、「荏原」という地名はもはや、ほとんど忘れ去れたような印象を受けます。僅かに品川区のひとつの町名として残っているだけで、あとは大田区に本社のある「荏原製作所」を思い浮かべるのみです。このように由緒正しい古い地名が失われていくのは寂しいかぎりです。

 

明治になって正式社号を荏原神社として再スタートするわけですが、それ以前は貴船社、天王社、貴布禰大明神あるいは品川大明神などと呼ばれていたようです。

「貴船」と言えば、京都の奥座敷に位置し、観光客に人気の高い「川床料理」で有名です。そこに鎮座されている貴船神社の御祭神は闇龗神(くらおかみのかみ)、高龗神(たかおかのかみ)で、古くから祈雨・止雨として信仰を集めていました。つまり、水をコントロールする神様のことですが、日本全国どこの神社でも同じですけど、「水の神様=龍神」ということになります。

 

荏原神社の創建は古く、709年に大和国の丹生川上神社から高龗神を勧請したのが始まりです。その後、1029年に伊勢神宮より豊受大神、天照大神を勧請、さらには、1274年の八坂神社から午頭天王(須佐男之尊)を勧請しています。したがって、貴船社とか天王社と呼ばれるようになったのだと思います。

海に近いということもあって恵比寿様も祀られています。このようにいろんな神様を祀っていることで、当然ご利益も多岐にわたり「叶わぬ願いはない」というキャッチフレーズによって、現在では都内におけるスピリチュアルなスポットとして人気のようです。

 

御朱印には「品川宿の元総鎮守」とありました。

東海道の品川、日光・奥州街道の千住、甲州街道の内藤新宿、中山道の板橋を江戸の四宿と呼んでいたそうです。そのなかでも、東海道五十三次の最初の宿場町、そして西国方面からの江戸の玄関口としての品川が最も賑わっていたのは想像に難くないです。

当時は品川宿に住んでいる人達や働いている人達にとっての心の拠り所として、そして旅人が旅の安全を祈願する場所として荏原神社は崇拝されていたのだと思います。

 

お参りしたのは四月の下旬でした。今年は桜の開花はかなり遅れたのですが、もう少し早く来ていれば、目黒川沿いの桜を愛でることができたかもしれません。