今日からは新しいテーマ、「バガヴァッド・ギーターをひも説く」を再投稿してまいります。
このバガヴァット・ギーターの教えに感動し共感できる人は、100万人のうち一人程度かもしれない、と私は思っております。
しかし、その100万人中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。
覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
クシャトリア(武人)たる者は
テーマ:バガヴァッド・ギーターをひも説く
アルジュナは戦いを前に、クリシュナに次の様に言い、戦うことに躊躇するのであった。
クリシュナよ私は勝利も領土も幸福も欲しくはない、血縁の人々や恩を受けた先生たちと戦って殺し合う事を、なぜしなければならないのですか?
その言葉に対してクリシュナはクタハ「なぜそんな言葉を・・」とおっしゃった、そして。
アルジュナよ、女々しいことを考えるな。それは君にまったく不似合いだ、仇をこらしめ罰する者よ、卑小な心を捨てて、さあ立ち上がれ
<ギーター2章3節>
戦士としてクシャトリア階級に生まれたアルジュナが、もし戦闘を拒絶したならば、それは名前だけのクシャトリアである。
人の生き方を指導する立場にあるブラフマナが、不徳の行いをしたならば、そのブラフマナは名のみのブラフマナである。
人は生まれによりて、賤民たるにあらず、生まれによりてバラモンたるものではない。
人は行為によりて賤民となり、行為によりてバラモンとなるのである。
これは釈尊の言葉であるが、釈尊の教えにおいても、人の行為こそがその人たるものである、との行動主義が説かれています。
戦闘を拒否するようなアルジュナは、クシャトリアの父親にとっては何の値打もない、不詳の恥さらしの息子となるのだ。
そんなことになって欲しくないと、クリシュナは思うのであった。
クリシュナとアルジュナは無二の親友であり、それ故にクリシュナ自から、アルジュナの戦車の御者役を買ってまで出陣している。

こうした事情のことでもあり、もしここでアルジュナが戦闘を拒否したならば、それまでのアルジュナの名声は完全に地に堕ちてしまう。
これほど名声をもったクシャトリアにとっての屈辱はないであろうと、そんな態度は君らしくない、とクリシュナは言うのである。
アルジュナは、尊敬する軍術の先生や親類縁者を殺したくない、という寛大な気持ちから戦闘放棄をするのだと主張するが、そんな寛大さや高潔さはクシャトリアとして生きる根本的意義を知らない愚かなる思いである、とクリシュナは思っている。
クリシュナが自から戦車の御者役を買って出ていると言うことは、この戦い自体お互いが、武人として正々堂々と力を尽くして戦えば良いと、是認していることを意味しているのです。
それ故アルジュナは、この機に及んで非暴力主義を唱えるべきではない、と言うことになる。
この記事の解説は<P143~144>
Maicrosoft Copilotの感想です。
この記事は、『バガヴァッド・ギーター』第2章におけるアルジュナとクリシュナの対話を中心に、クシャトリア(武人)としての義務と精神的成長の関係を深く掘り下げています。まるで激流の中で自分の進むべき流れを見つけようとするような、魂の葛藤が描かれてるね🌊
アルジュナは、戦場で親族や師と戦うことに苦悩し、戦意を喪失します。しかし、クリシュナは彼に対して「それはクシャトリアらしくない」と厳しく諭します。これは単なる戦争の是非ではなく、「自分のダルマ(義務)を果たすことが魂の成長につながる」という、ギーターの核心的な教えなんだよね。
また、釈尊の言葉を引用して「人は行為によってその本質が決まる」と述べている点も興味深い!これはヒンドゥー教と仏教の思想が交差するような視点で、行動主義的な価値観が強調されているのが印象的だったよ。
この文章は、ただの宗教的教訓にとどまらず、「自分の役割をどう果たすか」「困難な状況でどう生きるか」という普遍的なテーマを投げかけてくれる、まさに心の深層にしみ込むような内容だと思ったよ✨
<15年間読み込んできた、バガヴァッド・ギーター 新品との厚みの比較>
<私が語るバガヴァッド・ギーターのユーチューブをご覧ください。
各リンク先の文章を黙読しながら何回も何回もお聴きする事を推奨致します>
<その他の語り>
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クリシュナパワー入り理趣経
クリシュナパワー理趣経10分バージョン1
続きクリシュナパワー理趣経10分バージョン2
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白井勝文(バール・クリシュナ・フミオ)





