アルジュナは戦いを前に、クリシュナに次の様に言い、戦うことに躊躇するのであった。

クリシュナよ私は勝利も領土も幸福も欲しくはない、血縁の人々や恩を受けた先生たちと戦って殺し合う事を、なぜしなければならないのですか?


その言葉に対してクリシュナはクタハ「なぜそんな言葉を・・」とおっしゃった、そして。

アルジュナよ、女々しいことを考えるな。それは君にまったく不似合いだ、仇をこらしめ罰する者よ、卑小な心を捨てて、さあ立ち上がれ<ギーター2章
3節>

戦士としてクシャトリア階級に生まれたアルジュナが、もし戦闘を拒絶したならば、それは名前だけのクシャトリアである。

人の生き方を指導する立場にあるブラフマナが、不徳の行いをしたならば、そのブラフマナは名のみのブラフマナである。

人は生まれによりて、賤民たるにあらず、生まれによりてバラモンたるものではない
人は行為によりて賤民となり、行為によりてバラモンとなるのである。

これは釈尊の言葉であるが、釈尊の教えにおいても、人の行為こそがその人たるものである、との行動主義が説かれています。

戦闘を拒否するようなアルジュナは、クシャトリアの父親にとっては何の値打もない、不詳の恥さらしの息子となるのだ。

そんなことになって欲しくないと、クリシュナは思うのであった。

クリシュナとアルジュナは無二の親友であり、それ故にクリシュナ自から、アルジュナの戦車の御者役を買ってまで出陣している。


こうした事情のことでもあり、もしここでアルジュナが戦闘を拒否したならば、それまでのアルジュナの名声は完全に地に堕ちてしまう。

これほど名声をもったクシャトリアにとっての屈辱はないであろうと、そんな態度は君らしくない、とクリシュナは言うのである。

アルジュナは、尊敬する軍術の先生や親類縁者を殺したくない、という寛大な気持ちから戦闘放棄をするのだと主張するが、そんな寛大さや高潔さは
クシャトリアとして生きる根本的意義を知らない愚かなる思いである、とクリシュナは思っている。

クリシュナが自から戦車の御者役を買って出ていると言うことは、この戦い自体お互いが、武人として正々堂々と力を尽くして戦えば良いと、是認して
いることを意味しているのです。

それ故アルジュナは、この機に及んで非暴力主義を唱えるべきではない、と言うことになる。

あるがままの詩<P143~144>

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これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。
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私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ