インドで聖なる河と言われるガンジス河ですが、そこでは昔から多くの人々が、身を清めると言う目的で沐浴を行っています。

確かに、汗や垢を落とす意味においては、第一義としての肉体の清めには、なっているはずです。

しかし、一義的な単なる肉体の清めを目的とするなら、どこの川でも良いはずですが、あえて聖なる河と言われるガンジス河には、その意味があるはずです。

それは、ガンジス河はクリシュナの蓮華の御足から流れ出ている河であり、ギーターの教えはクリシュナの口から出た不滅の甘露水だからなのです。

ここで大事なことは、ガンジス河で沐浴するのと、ギーターを学ぶのと、どちらが重要かという比較です。

共にクリシュナから生まれている事においては、至上主の足と口とどちらが尊いかなどとは言えません。

その尊さにおいては同じです。

丁度、人間の足と、頭脳とどちらが大事かというのと同じで、それはどちらも同じくらい大事なものである、と同じ理屈です。

人間が活発に活動するには頭より足の方が価値を発揮しますし、物事を記憶したり計算したり考えたりするには、足はその機能を果たせません。

これと同じように、精神的発展を目的にして心を清めようとするならば、初心者の段階としては聖地を巡り、神々の息吹を感じとる事に魅力を感じます。

この様に、初心者の段階としての聖地の存在は、それなりにやはり意味があります。

しかし、この段階で何時までも留まっていては、魂の清めや浄化にはつながりません。

その次に大事なことは、精神的発展の為の知識の体系や修行の為の方法論が、具体的に子細に教えられている聖典が必要になります。

その段階としての役目が、バガヴァッド・ギーターの存在であると言うものです。

主から托された降臨者のギーターの指導は、聖なるガンジス河の水より勝ります。

ガンジス河の水から悟りを得るには、永く触れることが必要としますが、降臨者の指導を受ければ、立ちどころに汚れを落とし浄化する事が出来ます。

聖なるガンガの水によりて汚を雪ぐには、一朝にしてならず。主から命を受けた降臨者によりて濁りを濯ぐは、一刻も要さず<シュリーマド・バーガヴァタム 1章15節>

バガヴァッド・ギーター「あるがままの詩」 序説<P91~92>

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これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、自主自立、独立自尊を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ