おはようございやす。 NHKドラマ『櫂』でヒロインの食いかけた大判焼きを喰った みなみです。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
ああ、やっと熱がさがったみたいですよ。
ひとまず安心
   
   
   kouba2006june
 
      ☝ このひとのこと。
 
 
とにかく、人間の風邪 ちゅうもんは
肺と大腸の関係
腎臓と膀胱の関係 だ。
肉体的には。
  
かんたんに云うと、
肺と大腸に関連する呼吸の問題
肺という臓器の出先機関である鼻に鼻水がたまったり
鼻づまりが酷くなるとか
身体じゅうがむくんだりする のは
腎臓と膀胱の関係につながってくる。
必要以上に水分が多い場合と
血液の循環が全身の筋肉に対して鈍くなるので
筋肉が冷える。
その冷えた状態(寒)が極まると熱に変わる。
冷たい雨が降ってるような寒いとこで傘さして歩いてると
最初は痛いほどに かじかんだ手もテブクロしてない場合な。)
だんだんとポカポカしてくるでしょ。
ああゆうことが、風邪をひきはじめから徐々に全身に起ってくるわけだ。
人間の肉体ちゅうもんは。
んで、子供は男の子とかの場合、肩の筋肉(肺と大腸に関連する)
なるべく冷やしちゃいけないんだけど
そのほか、人間の風邪 ちゅうもんは、まず腰(…両方の足首に関連する)
首の後ろ(第六頚椎が突起しているあたり)の筋肉
(その他、フトモモの両脇で直立して手を添えたときに中指の先があたる場所)
が冷えることで、体内に循環する血液と気の流れが・・・・
まぁ、いいや。
もうこんなことは書くのも めんどくさい
とにかくだなぁ、扁桃腺がどうであろうと
風邪をひいちまった場合は種類にもよるけど
早めに、じゅうぶんな発汗か下痢を促せばいいんだ。
方法は、その人のその時の身体に合ったやり方なら
なんだっていいよ。
お子様の味方くんの「毒血症で検索。」 なんてのは当てにすんな。
あんなのが、巷の治療院を札巡りしてるような
自分の命に無責任な爺さんバアさん許り相手にしてる世の中で
先生!ヅラしてるために、
人類のもつ本来の能力や自由が損なわれたまんまになっちまうんだ。
みなさんも気をつけてね。
どんな健康産業の組織でも
最初に「怪しい」という直感が働いたときは
やっぱり怪しい。 おまえが いちばん あやしい! 
巧く言葉で怪しさを隠しても、ウサン臭さや不穏な影ってのは
必ず、その背景にセコイ・ゼニ儲けがある。
確かに、四百四病の病より貧乏ほど辛いモノはない 今の時代の中で
一にも経済、2にも経済…てことも大事なことだ。
でもねぇ、理屈もヘッタクレもノウガキも、今の時代に合わせた言葉と解釈で
本人(その手の類いへ出向く訪問者)が心から納得できて
瞬時に「救われた」という思いが、その場で肉体に反映されないことには
どんなに優れたモノの売りツケも単なる一時シノギの商売でしかないわけ。
そんな愛情の塊 みてぇな人は、もうこの時代に
少なくとも、この日本の中には一人も…独りも…いないよ。
医療や教育の現場に限らず、宗教においてもな。
いるなら、俺の目の前に現れてみぃや! 
ほれみろ、出てこれねぇじゃん。ザマミロ。 
   
あ~あ、ダメだこりゃ。
また“荒みモード”に入っちまった。
結論。
決して、人が人を救えるものではない。
自分を救えないような奴に
なにを他人を救えるものか! 
なんでもそうですよ。今の時代はもう。
遅かったの。1985年までで終ったの。
そういうカッコつけたこたぁな。
昭和という年号そのもので時代が還暦を迎えたときがチャンスだった。
あれから、政治も経済も宗教も医療も、すべての教育によって破壊され、
もう遣い物にはならなくなった旧い時代の常識とシキタリの中で
今まさに、すべての人間が心身ともに疲れ果てている。
根性の焼き直しも無理。誰が何か本とくに実用書関連を出版しても
結局は自己満足でしかない。…ほとんどの場合がな。
…今これを読んでいる方のことではないですよ。 フォローになってない!
こんな云い方は、わりぃけど、それは今日とか明日に
なんかの本を出版しても同じだよ。そのうち判ってくる。
ただ、大事なのは、巷の流通・腐れシステム に埋もれても
その立派な装丁の『本』を書いた張本人に、どこまで先覚・先見の目があるかは
書いた本人の愛情の問題で
本当に万人に…これからの未来に生きる人間に役に立つ内容ってもんは
ない。…に等しい。
なぜなら…理由はだなぁ、自然界が著しく常に変化した中で
常に、あらゆるモノのすべてが変化している。ので。
かつて20世紀末に、あるババア が、そういうことを端的に
「気は刻一刻と変わっている」と表現してたけど
それも旧い。
そんな言い方では、今の時代はもう誰にも通じないし、 
そう言った本人でさえ、今は精神安定剤を喰らって
魂の成長を止めるに近い状態かも知れないほどだ

もしもそこに、自分自身の中に、今の自分に本当に大切なことを認め 
自分の過去の栄光やプライドには関係なく 
たったひとつのものでも愛情を注げる余裕を肉体と心に兼ね備えているなら 
いくらでも何でも訂正や却下、修正、修復改善・回復は容易なはずだ。
その点、ブログってもんは便利だ。 
なにを喋りすぎても、どんなことを書いても 
自分で自分に素直である限りは 
言い訳もイイワケにならない。 
嘘を書けば書くほど、自分自身が嘘になる。 
…そうやって消えてゆく読者登録やウワベだけのネット交流もあるよな。) 
   
守るモノなんてもんは、自分が何者かの親である以外には 
もう誰にも何もないはずなのに
知識とか財産とか美貌、見栄や体裁の見繕い、世間体、人並みの価値観、流行りモノへの忠誠心…
そんなのばっかり守ろうとする臭い根性が剥き出しで
自分自身の何かを「清らか」とか「神聖だ」とか言えるような奴は一人もいねぇよ。
日本人てのは どうも、黒船来航時代から変ってない。
なんせ、誰かの何かと自分の何かを比較してる限りは
その肉体を動かす魂には、ひとつも成長はないからな。
俺? 「おめぇはどうなん?」て? 
いいんですよ、俺は。自分の日記なんだから、おおいに自分を棚にあげて。
何か言いたいことがあるなら、コメント欄に殴ってくれ。
俺もこの二日間、自分で自分のページのあちらこちらを荒らしまわってみたよ。
他人のつもりで。
んで、気づいた。
虚しさはない。
ただ、嘆きと怒りの荒み具合は、以前とはちがい、
なにかを破壊する一歩手前で踏みとどまって 
「…おお、これじゃいかんな。自分なりに前向きに明るくしねぇとな…
それだけだ。
あとはない。
ないけど、今これを書いてるのは、読者のみなさんに…
おそらく、ここ数日の間、ここを覗かれた一部の人…人類60億人弱(?)の一部の方には
いろいろと ご心配をかけたり 
メシもノドに通らぬほど何かを傷つけた…かも知れない。いや、これはないな。
もしも何か傷ついた人がいたとしても
それをやってるのは俺じゃない。
どんなに残酷・残忍・残虐な言葉や言動を目の当たりにしても 
人はまた、その人なりに今日を生きてる。
その人の勝手だ。
前に進めるか踏みとどまるかは自分次第。
「疲れた」「バテ気味です」なんて言ってられる余裕があるうちは
そこに愛情なんて誰に対してもないよ。 
   
なんか今日はねぇ、いつになく(?)刺刺しい文章(?)だよな。
いきなし このページ読んじまった人は腹の上で目玉焼き作れるかも知れないな。
大丈夫。鶏卵も加熱すりゃぁ、なにか に感染する心配もない。
でも半熟にしといてね。
その方がスリルがあっていいだろ。
喰う奴も半熟なんだろうからな
   
   
座薬というのは飲みグスリよりも効き目があって
親などが小さい子供のケツの穴(大腸の延長である肛門筋肉)から入れて速、
大腸の大腸壁から体内へ吸収されるんだけど
熱がある場合、いわゆる解熱剤とかいうもんも 
場合によっては、じゅうぶんにクスリの成分が溶けないうちに
ウンコや下痢によって身体の外へ出てしまう場合がある。
また入れりゃぁいいんだけど 
最初に入れたクスリが、どこまでどれくらい溶けて身体に回ったのかは
本人(子供)も親も医者も判らない。その場では。
俺の妻は、そういうことも神経質に気にしながら 
子供が眠くても高熱で眠れないので
一日に遣う座薬の量を昼間だけは我慢させて
夜になって眠る前の数十分~1時間くらい前に遣う。仕方なくな。
んで、本人は決して快適に普通の状態で眠れるわけでもないんだけど
鼻が詰ってるので、口をあけて凄いイビキをかいて寝てる。一応は。
親は、口をあけてる状態では口の中が乾いて
なおさら喉の風邪症状にも善くないと判断して
なにか水分を補給させるようにする。一晩中、つきっきりで。
自分が風呂へ入ることも眠ることも頭にはない。
全然ないわけじゃないけど、まずない。そんなことは。
世間の報道によくありがちな意気地なしの育児とはちがう。
あんな児童虐待だとか育児ノイローゼがどうとかの連中と比べても意味ないけど 
俺の妻は48時間体制で徹底した看病だ。
当たり前だ。自分の子供なんだからな。
俺は、仕事先から10円玉で公衆電話のボタンを押すだけ。
…最近、10年間使っていた東京デジタルフォンが壊れた
で、子供の声を聴く。10円が切れるまで。
あとは、なんにもしてない。
しても、「飴たべるか? チョコレートもあるぞ!」
その程度だ。父親なんてもんは。 今の俺の場合だよ。)
   
その昔、俺がまだ今の一龍【いちろう / 名前。6歳】と同じような時期に
ある日、弟と一緒に母親に連れられ、都内の満員電車に乗っていた。
冬場。今と同じような時期…あるいは春先だったか? 
ひしめきあい、1970年代のオイルショックに踊らされた世間様は 
その後の90年代のバブル崩壊音頭で踊った時期よりも、
みんな必死で真剣に電車の乗客をやってた。
「東京ってとこは、ホントに人がいっぱいだ」
俺も弟も幼いながら、自分たちの上を見あげては、
そういうことしか感じとれない、まだまったくスレてない時期だった。
「子供がいるんだよぉ!」
俺の母親は大声をあげて、
まわりの人間や肩や腰に無造作にさげられた荷物を押していた。
べつにヒトゴミに押されて死ぬわけではないけど
子供を守る親の愛情ってもんは、そういうもんなのかも知れない。
別の日、今度は父親と四人家族で、やはり冬場、
浅草の地下鉄通路を歩いていた記憶がある。
誰の許可なく、通路の壁際には浮浪者がいっぱいで
地上の寒さを地下鉄改札付近の構内で凌いでいたんだろうな。
その中に、拾った弁当を、これまた必死で喰いながらも 
胸を肌蹴て赤ん坊に母乳を与える女性がいた。
「見ないの!」
母親にそう云われても、子供だった俺は、珍しいので
振り返ってまでも見てしまう。
「あの人たち、どうしたの?」
「オウチがないんだよ。世の中には、そういう人もいるんだよ。」
八王子の親戚宅で酔っ払った父親は、
とくに なにを隠すわけでもなく、俺の疑問に応えていた。
どんなに薄汚い風貌であろうと、誰の目を気にすることなく、
今日を生きなければならない。
そのためには腐りかけた物をゴミ箱から漁り、
それが美味いとかマズイには関係なく、それを喰うことで、
自分の体内から、とても清らかな母乳を出す母親の姿。
子供を守る親の愛情ってもんは、そういうもんなのかも知れない。
そして俺は想う。
あの赤ん坊は30数年経った今も、きっと生きていて。
女であろうと男であろうと、今はきっと人間として立派に生きているはずだと。
   
   
   
   
大丈夫でしょ。
つなぎあわさったよね。
   
みなさん、ご心配かけました。
たぶん、俺の子供はもう大丈夫です。
ただ、この二日間、朝5時から夕方まで働いて帰ってきた、
お父さんと一緒に遊びたい模様…。
でも俺は寝る。明日も早いので。
7時半からだけど、今は山田錦という高級酒米を使っての
大切な吟醸の仕込み時期。
杜氏さんも蔵頭も寝ずの仕込みに精を出してる。
俺は年末年始に じゅうぶん休みを頂いたので
休んでらんない。残飯あさってるヒマもない
死ぬわけにもいかない。
生きることに忙しいので。
みんなも生きててね。
暇があるお父さんは、少しでも長く、子供と過ごす限られた時間を大切にね! 
   
俺のつくった凧 は、2週間やすんだままだけど。一度も飛ばずに。
まぁいいさ。
薄汚いキノコ雲が登る同じ空の下 には
凧なんて飛ばせない子供も大勢いる。
みんな、日本という国に生きていられてよかったね。
未来は判んねぇけどな。
   
   
   
   
じゃぁね。
   
   
   
   
   …タイトルの説明は、後日また改めて。な。