フラット? ニュートラル・モード? 今の俺にオフはない。   【途中まで。】 …くだらん。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
最近、一部のインターネット上では、
じゃあの
が流行っているようだけど
予ねてよりの読者のみなさんはご存知の通り、元祖「じゃぁの」は俺だ。 競り合ってどうする?!) 
もっとも俺の場合は、「じゃぁな。」
という、あくまで、東京弁に近く、江戸産まれで、江戸付近育ちが長かった俺としては
「じゃぁね!」とか「じゃね。」とかも遣うけど、それよりも、
じゃぁな
の方がしっくりくる。日本劣等から外れた孤島の
佐渡ヶ島に住んでてもな。
んまぁ、バンソウコウのアホな挨拶による、その日のページの締め方がどうあろうと、
世間様の知ったことではないかも知れないけど
少なからず、なんらかのアーティストというものは、
何か自分の心の中身を表現したそこに、ケジメ、シメククリ、ラスト・アクション、オトシマエ…
ということが、ある意味では大切なことなんだ。 …おまえはそのようなアーティストのつもりなのか?) 
俺の場合は、文章を書く上で書きながら起承転結のようなものを決めるので
最近は、インクが滑らかに紙の上をすべり踊るような青インクのボールペン(¥380以内)
腕よりも親指と人差し指が痛くなってもライティング・ハイになることは少なくなくなったけど
右手の中指を軸に左手に煙草の煙を昇らせて、片手撃ちでローマ字入力のキーボードと格闘していると
次に改行指定した先には、頭の中身が放出されるまでの速度、時間帯に
それはそれは息もつかぬほどのLIVE感覚がある。
お陰で、この2年間、部屋の中は煙草のヤニだらけで
妻の父親が建てた家の一室の、壁や天井は黄色く煤ヨゴレてしまった。申し訳ない。
書いている内容にしても結局のところ、蛇足も多く、起承転結どころか、それを読み返してみても
自分でも読むのに、ある程度のパワーを要するほど
全身の筋肉に流れる血液の量を司る肝臓が甘い物を欲することになる。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10002850915.html
んで、“ある程度の筋”が出来あがったあとは、読み返して手直しも入れながら
ドラ焼きとかチョコレートを喰ったりしてるわけなんだけど
最近は、俺の中に宿っているモノをある程度の区別をつけて書くことにも慣れてきた。
以前は今よりももっと困難な肉体の状況下で難解なモノを書いていたんだけど
それはもう、人間が読めたシロモノではない。
俺のライティング・スタイルとして俺の中に宿っているモノを大きく分類すると
俺モード和マサ・モードここ最近は封印してあるジジイ・モード(カツオ爺さんの声など )エンジェル・モード(愛と平和?)
という、今は基本的に、この四つのライティング・モードがあるんだけど、
それらを総括して全身のエネルギーを放出させて書いているのが
ライティング・ハイモードだ。 俺の場合はな。)
その姿はもう、あまり人には見せられない。
ときどき、そういう感じで書いているときに、便所くらいは行きたくなるので
何か、ある程度まで書き上げてからリフレッシュする意味でも洗面所で顔を洗うと
見あげて鏡を覗いた日には、それはもう人間の形相ではない。
「俺はコイツに殺されるんじゃないか!?」 666 
瞬間的にそう感じるほど、自分でも恐ろしい。自分のツラなのに。
年末の年越しなどは、妻も子供も一緒に蕎麦を喰っていてもソバには寄りたがらなかった…と思う。恐いので。
要するに、ライティング・ハイモードのときの俺という人間は
最早、この世にはいないわけだ。
この世に生きながらして、あんなことが書けるわけがない。
そのためにおそらく、
この連休中のアメーバブログのランキングのうち、
上位ランク君臨ブログの“ACCESSデータ引っ張り込みプログラム・サービス”(?)が お休みのときは
なぜか、ここ1~2年の年末年始と同じように、俺のブログのランクが急激に上昇…
2007年5/3現在、総合で86位 だった
していても
マトモに読んでいる方々は50人にも満たないかも知れないけど
コメント欄に何か書くヒトは稀な状態。
そう、ライティング・ハイモードの俺は、人間でありながら人間の世界にはいないんだ。
だから、誰も何も言葉がなくなってしまう。
実際、気味わるいしな 。 badlifeLOGOwhite  jijiiwhite  badlifeLOGOwhite  jijiiwhite  badlifeLOGOwhite  jijiiwhite  
 
 
もっとも、俺も一応は寿命のある命を持った人間なので、こういうことが
ずっとこのまま何年もやっていられるかどうかは不明。先のことは解らない。
ただ、どこかで…俺以外の人間も、今の時代に生きていることに安心して
生きていた時間に満足感を得て正常な人間として死ななければならない。
最近の俺のライティング・ハイモードの背景には、そういう筋の通し方がある。人間としてな。
だから、これまで過去に俺の人生に関わった者であっても
俺がこうして様々な問題をとりあげて、そこに自分のすべてを曝け出していることに
誰も何も云ってこれない。
これだけのことを書いてりゃぁ、連中も単に無視はしていない。
すべてのページではないにせよ、必ず自分たちの人生のどの部分かと照らし合わせて読んでいるはずだ。
ただ今はもう、俺の成長を疑い、「完全におかしい」という決めつけで
“カッコつけ”としては、「相手にしないほうがいいよ」と黙ってるつもりでも、気にはしている。
それは、お子様の味方 って奴の、ただ一回の書き込み にも現れている。
連中 は俺を嘲笑えないし、自分と他人の区別がハッキリしてない。
なにかを命がけで取り組んだ経験なんてもんもない。…おそらく、未だにな。
それはハッキリとしている。
そして、今後も自分の醜さに気づけば気づくほど、俺のページが気になる。
なぜなら、俺という人間とは別に、自分達がやるべき、やりとげられなかったこと が何だったのか? 
ということに、どうしても興味があるので、俺の存在が未だに、この世に在ることも不思議のひとつなわけだ。
して、そういうことは、俺の人生に関わった、あるいは
俺が誰かの人生に関わった特定の相手だけの問題ではなくなってきている。
それが“Mind Resolve”だ。俺が中心ではない。
俺が書いている内容は読む人が中心であり、この自然界、この世の主人公。
今はまだ読んでいる人は少なくても、俺は常に、すべての人類 を読者対象に書いているので
今後、俺の中で確立されてゆくことになるであろうライティング・スタイルは
過去と現在と未来に生きて生かされる人間の心の在り方を左右することになる。
…いや、この話が通じる人も少ないな。
 
このまま、この変な充実感を超えて、もう少し経つと俺は、今よりも自分をコントロールしながら
ハイモード・タッチの文章を書くことができるようになる。これは理想的だ。
自分のことを書くにも他人のことを書くにも精神的にラクになる。
(…肉体的な面では…正直いって、どうなるかわからん。ある程度は五体満足に正常な人間の状態をセーブできてもな。)
今までは、書いている時間に空間概念も時間概念もなくなるので
誰かがそばで俺を呼んだときに、その声が遠くの方で聴こえていた状態で、
それはそれは大勢の方々に日常的な迷惑をかけて生きてきた。
想えば、そういうことは小学校4年の頃からやっている。
メシの時間だろうが、SEXをしたい彼女が横にいて何を仕掛けてこようが、
友達が玄関先で大声で俺を呼んでいようとも、一向に聴こえない状態。
決して、どうでもいいわけじゃないんだけど、タイミングの問題。
今の今、瞬間的に頭の中に浮かんだフレーズは、スグに書き残しておかぬことには
二度として、そのヒラメキや、その時の心の中にある問題がResolve(解決)される瞬間は訪れない。
「ああ、あのとき観た夢は、今日の、こういうことにつながっていたんだ」
とか、
「クソ、あれを午前中のうちに書いときゃぁ、今頃はもっと先へ進んでたのになぁ…」
などという、それはそのとき後悔に近いかも知れないけど
自分との闘いにある悔しさ…という簡単なことでもない。
常に何かに挑戦的な俺の姿勢。その安定が崩れた瞬間だ。
そういうことは過去に嫌というほど、何度も味わってきたので…
…というのは、俺個人の問題であっても、この肉体を使う心を通じて
今後の人類に必要な何かを書き残すべきことが常に目的のひとつにあるからな。
 
ということで、他人には単に「思い込みの激しい奴」と思われがちな俺であっても
俺に書くネタが尽きることはない。
五志五臓。五感を働かせて生きている人間の能力が感じとれる事実は
その肉体を持って生きているうちにしか、自分の中から何か表に現すことはできない。
死んでしまってからでは、肉体を持っている期間にやりたいことは何もできない。
ただ、壁にぶちあたることはある。
その壁もいくつかあるんだけど
「なんか、ちがぁねぇか? ちょっとヘンだぞ。」
という世間とのピントのズレを感じられる瞬間が
「ああ、くだんねぇ…」
となってしまう状態と、
「やっぱ違うよ。そこじゃねぇんだよ」
という、自分自身と他人の人生がハッキリとしたときに
世間一般のヒトは行き詰まったり、何か悩み苦しんだそこから先へ前へ進めなくなっても
俺の頭の中だけは簡単に、その先の、解決された未来へ進めるのに
それが言葉だけでは どうにもならなくなった瞬間。そういう壁もある。
全世界、全人類、最近の人類、今の時代の人間の世界に対しての壁? 
それはない。あって当然でも、それは壁ではない。
俺は今後も、最近の巷の人間が言葉にはできなかった問題を
丁寧に克明に書き現してゆく。
だから学校裏サイト なんてもんはクズでしかないことも判るし
そのクズを編み出させた人間の嘘、大人の嘘、社会の嘘は
どこがどのように、なんのために嘘だったのかをすべて視えるようにしてしまう。
それが今、俺が本当に書きたいこととはかけ離れているようであってもな。
ただ、ときどき、ああ、くだんねぇ…と思える、それは、
創作意欲が失われるとか、そういった類いの問題でもない。
あくまで日常的なことに対する葛藤でしかないんだけど
たとえば最近は、子供が俺を呼んだとき、妻が何かを話しかけてきたとき、
非常にタイミングがワルイ場合がある。
そのときに俺は、この世に生きているのは自分独りだけではないので
ライティング・ハイモードを通常の日常に生きるニンゲン・モードへ切り替えなけりゃならねぇんだけど
これがまず、コントロール不能に近くなってると
対人的に色々と余計な問題が生じたりもする。
 
んまぁ、カネになんねぇ限りは意味のねぇことかも知れないけど
最近は、なにかを書く前の瞬間、書いてる瞬間、書いていた瞬間ばかりでなく
書いたあとの瞬間、書いたあとの内容の
 
 
 
 
 
 ああ、眠い。
 もう寝るわ。
 
 
 
 
 じゃぁな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   この内容のつづきは本チャンのブログのコメント欄 にて。 2007-05-09 15:57:40 
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10032593153.html#c10049498125
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   追記 2007-05-11 03:31:24 
 
 昨日も今日も午前3時に目が覚めた。
 俺の身体はどうしちまってるのか? 
 
 『Bad Life』のつづき、あるいは、その解説を書いているってことは
 それなりに限られた時間を要する。命を削られる? いや、そうでもない。
 ハンパではないけど、どうも世間常識に合わせて言葉を並べる作業ってもんが
 無駄なエネルギーを消耗させていることに近い。
 
 昨日と今日で、目が覚める前に同じような夢を観た。
 撮影現場にいたときの記憶の残骸なのか何なのか…
 最近はまた、メシどきのNHKニュース以外はテレビも観てないんだけど
 夢の中にはなぜか、誰かのモノマネが上手な木村拓也クンと
 ドラマ『お金がない』の主人公…名前はなんていったっけか? が出てきた。
 女優も一人、顔は知っていても名前が想い浮かばない。
 若手。売れ線。今風。トレンディ? そんなとこだ。
 今後の連中の身に何かあるのか? 
 
 個人的には、どうせなら、ジャック・ニコルソンとか
 U2とかストーンズの誰かが出て来るの夢を観てみたいんだけど
 なかなかそうはいかない。勝手に登場してくる人物の夢は
 何者かが配給している映画やネット配信映像とはちがう。
 んで、その二人が主人公のドラマのつづきみてぇなもんで
 今日、さっき観た夢の中では、そういうことに取り組んでる連中の話だ。
 そういうことというのは、ハリウッドに売り込む自分の作った映画より先に
 何者かの宣伝効果が業界のコネとネマワシによって
 別の映画の配給権にすり替えられちまうというようなシーン設定だった。
 バカズを踏むのは、スマートにビジネスライクで生きてる感じの木村君が演じる役ではない方の、
 マジメに長年の労力、手間ヒマに情熱を注いで
 それまで幾つかの成功を勝ち取り信頼を積みあげてきたらしき若手の…
 まぁそういったところだ。
 世の中にそういう職業があるのか? 
 自分の作りたい映画を構想して、シナリオ屋や製作会社を雇って
 世界へ売り出す話題作の、その売り出すタイミングに命をかけてるような職業…。
 まぁいい。
 そんな人が今の日本人にいようと、いまいと、
 俺の観た夢は そういう夢だった。全編カラーで。
 細かい描写もいろいろあったけど
 ここには書けないようなアダルトな内容もあるので、その点は省く。
 …んまぁ、誰かと誰かが“やってるシーン”だ。
 べつにそんなもんを観たからといって、朝立ちの股間が痛くて目が醒めたわけではない。
 何かを書くことに迫られたように 何者かに起こされただけのこった。
 
 何を書くのか? 
 いま書いているこんなことではない。
 腰が痛い人には
 その腰の筋肉が今、具体的にどうなっているのか。
 人間の身体に起こる頭痛という症状を大きく4つに分類して
 クスリや医者には頼らずに自分でなんとかする その治し方を
 なるたけワカリヤスク懇切丁寧に書くには何と何の材料が必要になるのか。
 花粉症やアレルギー性鼻炎の問題、その治し方を具体的に書くことで
 巷世間、世界中の耳鼻咽喉科に看板を降ろさせるキッカケをつくるには
 どれだけの長さで何を書くと整理整頓が速まるのか。
 まぁ、俺の考えてることなんてのはそんなところだ。
 
 本当はストーンズの話とか映画の感想とか
 そういうことも普通っぽく平和に書きたいんだけど
 どうしても最近はそっちの方へ生きてるエネルギーが傾きがちなんだよな。
 はっきし云って疲れる。脳味噌以上に肝臓を遣うので。
 
 それがまたカネになるならまだしも
 無料だ。ぜんぶタダで提供してる。今んとこは。
 でも奉仕作業ではない。
 あくまで俺の中では自然界の整理整頓。そのひとつの断片に過ぎない。
 あらゆる災害も、人災も、事故も、現代医学が治せない病の蔓延も、社会の病気… 
 人々の心が受け入れようもないような犯罪の勃発も、激化も、
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10006173415.html#c10049704766
 今まだ、この地球上に生息できている人類、人間たち一人一人が
 清算すべき覚悟を決める破壊の季節…。その一部でしかない。
 俺はその一部、いくつかの構造を克明に文章に現すことを目的に
 『Bad Life』を出版した。
 読む人によっては恐ろしいかも知れない。
 何かが起こる何年も前なのに、今日の人間の世の中を書いている。
 
 このまま今の状態は
 見える世界も目に見えない世界も破壊されることを加速させながら
 しばらくはつづく。
 人々はもう生きていることが嫌になるくらいに、
 見たくもないモノを見せられるかもしれない。
 肉体の異常による精神の破壊と
 精神の破壊による肉体の異常。
 これが今はもう、少数派の者だけの問題ではなくなってきてしまった。
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10014462880.html
 どうすりゃぁいいのか? 
 
 
 俺はこのまま、インターネットのゴミに埋もれて
 なにかを書いてりゃぁいいのか? 
 
 誰か教えてくれ。
 頼むぜ。
 
 
 
 
 
 
 
 
   badlifeLOGOwhite