皆さま、おばんです!
昨年3月、JR九州では
20駅が対象という大規模な無人駅化が実施されました。
佐世保線・大町(おおまち)駅です!
大正8年に開所した大町信号所を
昭和3年に昇格して誕生した駅でした。
平成20年の駅舎改築後も駅員配置駅として頑張っていたのに…
人気(ひとけ)のない駅はやはり淋しいどすな。
改築された駅舎は一見すると
煉瓦が積み上げて造った風です。
なんとな~く煉瓦の隙間から手が入れられそうなので、
予想通り、ガラスで遮られておりました。
いくら九州の駅だって
隙間だらけの駅舎が造られるわけありませんね。
先にも書きました通り、
大町駅は昨年3月に無人駅化されてしまいました。
閉ざされたシャッターが淋しさを増幅させます。
ホームは駅舎からやや隔てた位置にあり
跨線橋で結ばれておりました。
大町駅は島式ホーム1面2線構造。
駅に昇格したのが昭和3年なので
その頃に造られたホームと思われます。
さて、駅舎とホームに隔たりがある理由ですが…
実は大町駅には過去に繁忙していた時代がありまして、
この隔たりこそが、その時代の証でしたの。
大町駅の北方には県内最大の炭鉱である杵島炭鉱があり、
こちらは昭和37年に撮影された大町駅の航空写真で、
構内には石炭を満載した数多くの貨車が写ってますよね。
現在の構内の空き地は
これら貨車が停まっていた側線跡だったのです。
杵島炭鉱の最盛期は昭和20年代半ばで、
当時の人口は大町だけでも23千人を超えていたとか。
写真の緑の矢印の先には黒煙を吐く蒸気機関車の姿が、
時代を物語ってますな。
赤い矢印の先に写るホーム屋根は旅客列車が客車だった時代、
編成後部に連結された荷物車から降ろした荷物を濡らさぬよう
設けられたモノで、
古い駅ではこのように
跨線橋から離れた位置にホーム屋根が設けられておりました。
このホーム屋根、
支柱だけですけど奇跡的1本だけ残されております。
保存目的?いやいや
最盛期は数多くの石炭列車で溢れていた大町駅でしたが、
気になったのは
炭鉱からの専用線が見当たらなかったことです。
これがなければ石炭の積み込みが出来ません。
そこで、写真をくまなくチェックしてみると…
ありました!
写っていたのは炭鉱から駅を結ぶ巨大なベルトコンベアー。
これで石炭の積み込みを行っていたようですね。
しかし
杵島炭鉱はエネルギー転換期を迎える直前の昭和42年に
合理化を理由に閉山、
これら駅施設も姿を消してしまいましたの。
今は整地され、広い構内の面影すら無くなった大町駅。
構内跡地を見渡すとこんなものが…
番号は29611、案内看板によれば大正7年製造だそうで、
昭和49年の廃車まで生涯を九州で過ごしたカマだそうですよ。
後部から見るとご覧のとおり。
ライトや尾灯は無く、
車体も全体的に白化した印象でした。
せっかく屋根付きで保管されているのに…
なんでこんなんなっちゃったのだろう?
一応、中にも入ることも出来ます。
こちら、杵島炭鉱が盛況だった頃に
大町駅や佐世保線内で活躍した機関車かと思いきや、
現役時代は直方機関区→後藤寺機関区に配置されていたそうで、
佐世保線ではなく、
主な運用線区は筑豊本線や田川線だっんですって。
何らかの理由があって保存された蒸機かとは思いますが…
杵島炭鉱が閉山して既に50年近くが経過しましたが、
当時の発電所や一部の炭鉱住宅を
今でも見ることができるそうですよ。
杵島炭鉱には鉱山鉄道もあったようですし…
武雄温泉 に3日間も通い詰めずに、
1日ぐらいはゆっくりと炭鉱跡を眺めておくべきでした。
↑(肥前山口駅方面)
大町駅(平成28年2月1日)
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