皆さま、おはようございます!
今朝も留萌本線の駅からいっちゃいます。
留萌本線・北一已(きたいちやん)駅です!
留萌本線の起点・深川駅から北上すること3,8キロ、
最初に姿を現す駅でした。
学のない自分、正直な話しをしちゃいますけど、
「已」のいう漢字の存在を初めて知りました。
「己」でも「巳」でもなく「已」。
北一已と書いて読みは「きたいちやん」。
サケやマスが産卵する川底を意味するアイヌ語から由来しているそうです。
平成9年までの読みは「きたいちゃん」だったそうですよ。
あらま、かわいいこと。
北一已駅を目指してレンタカーを走らせたのですが、
セットしたナビを見ると、この直線道路のつき当りにあるらしい。
北一已駅の乗降客数6人/日という数字も、妙に納得させられました。
北海道は間違いなく「でっかいどう」だわ。
さてさて、昭和30年に開業した北一已駅ですが、
昭和30年といえば、PC造りの駅舎が普及していた時代のはずです。
北一已駅の駅舎はなぜこんなに古いのでしょ?
…と思いましたら、Wikipediaにその答えをが載ってました。
こちら、平成7年に廃止された深名線の、
宇津内仮乗降場の駅舎を移動させたものなんですって。
「仮乗降場なのに駅舎があったの?」とも思いましたが、
宇津内仮乗降場の起源は昭和16年に開業した宇津内駅で、
昭和24年に仮乗降場になったのち、昭和31年に廃止されてしまったとか。
わずか14年間しか使わなかった駅舎だったために、
同時期に開業した北一已駅の駅舎に充てたそうです。
宇津内仮乗降場と北一已駅、
100キロ近くも離れた場所にあるのに駅舎を移動させたとはすごい!
※画像は北一已駅の空輸シーンのイメージです。
昭和30年に開業した北一已駅の駅舎がやたらと古い理由、
板が打ち付けられておりますが、
有人駅時代(昭和59年以前)の空気がぷんぷん漂っている駅舎内。
駅ノートとちょこんと置かれた駅の写真。
国鉄末期辺りまでは向かい側に待避線がありまして、
列車の行き違いも行われていたようです。
線路は撤去されてしまいましたが、
撤去された上り線ホームは、
現存するホームとは互い違いの位置になる、この方向にあったようです。
画像右側の雑草が生い茂っている辺りに上り線ホームがあったらしい。
上り線ホームはコンクリート板を貼っただけの簡素なものだったようで、
行き違い設備廃止後は、跡形もなく撤去されてしまいました。
最後に…
駅舎とホームの間がやたらと広く開いていたので、
「ここには絶対、ひと昔前までは線路があったはず」
ここに線路があった形跡はなく、
実際のところは、除雪車が吐き出した雪が駅舎に当たらぬように
駅舎を線路から遠ざけただけだったのかもしれません。
土地が狭い本州ではちょっと考えにくいですけど、
なんせここは「でっかいどう」ですから。
それにしても、駅舎の輸送シーンが気になる!
訪問駅リスト(JR線)
留萌本線
↑(深川駅方面)
北一已駅(平成27年6月4日)
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