皆さま、こんにちは!
先々週、四国を旅した際に徳島線の駅巡りを楽しみました。
徳島線は木造駅舎が数多く残る路線でして、
駅舎好きなら興奮冷めやらぬこと間違いなしです。
どことな~く、近代的なエントランスを持つを持つ阿波川島駅も…
明治時代の駅舎に出くわすと、さすがに鼻息も荒くなっちゃいますよね。
嬉しくて、駅舎のメンテナンスに訪れていた
JRの四国の社員さんに話しかけちゃいましたもん。
ファンの戯言に付き合ってくれた社員さん、本当にありがとうございました。
道内にも駅開業時から残る駅舎が数多くありますけど、
だとすると、これも明治時代の駅舎なのではないかしら?
留萌本線・秩父別(ちっぷべつ)駅です!
明治43年の留萌本線開通とともに開業した駅でした。
駅ファンのバイブル「北海道690駅(昭和58年刊)」によれば、
秩父別駅は昭和46年に改築されたとのこと。
駅舎の古さ加減から、「改築」は「建て替え」ではなくて
明らかに土台が違いますしね。
それにしても、丸で出入り口のような形状のこの出っ張り、
何に利用されていたのでしょう?
こんな造りの駅は他にもあったような気がするし…思い出せない!
秩父別駅、開業当時は筑紫駅を名乗っていたそうですが、
秩父別は明治の中頃に400戸の屯田兵入植によって開けた村だそうで、
現在の駅名が村名が由来しているそうですよ。
こちら、秩父別駅の駅舎内です。
JRに移行した辺りから無人駅になった秩父別駅ですが、
いつも思うのですが、こういうモノってどなたが差し入れてくれるのでしょう?
JRの社員さん?ご近所の駅利用者?
駅ノートは鉄道ファンのしわざです。
これもひょっとして、昭和46年に改築された箇所?
その代わり…と言っちゃなんですが、
ここだけの話しですけど、駅舎内よりも数段 カ☆イ☆テ☆キ だったわ。
秩父別駅は町役場や学校からも近く、
利用者数的には留萌本線内で上位に入る駅だそうで、
トイレの改善は必然だったんでしょうね。
最近は和式トイレでは用が足せない人も増えましたし、
だからといって、峠下駅 のようにドア全開で用は足せませんし…
秩父別駅は単式ホームが1本だけの棒線構造でした。
秩父別駅に古い木造駅舎が残った理由のひとつに、
国鉄末期まで行われていた列車交換の際の
閉塞扱い要員さんがいらしたことが上げられます。
貨物列車の運行が取り止めとなった昭和57年のダイヤ改正時点で
閉塞扱いが中止になった駅の多くが、
貨車が待合室のダルマ駅になっちゃいましたからね。
上り線ホームと更には待避線(中線)まであったようですけど、
この草むらの中に今でも残っているんでしょうかね?
ひょっとして、廃止された上り線ホームの駅名標を剥がして移した?
この駅名標の煩さは
南武線・浜川崎駅 を超えて日本一のような気がしました。
☆追 記☆
留萌駅に秩父別駅の古い写真が飾られておりました。
昭和30年代に撮影されたものでしたよ。
訪問駅リスト(JR線)
留萌本線
↑(深川駅方面)
北一已駅(平成27年6月4日)
秩父別駅(平成27年6月4日)