【岩尾池の一本杉 関連】
Instagramで見た木に一目惚れ。
どうやらこの木は、最澄さんが地面に箸をさしたのが大きく育ったという伝説があるみたい。
そして、近くには最澄さんが開いたという山やお寺も。
やっと行ってこられました。
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前日に「明日 電車で滋賀に遊びに行くけど、彼殿も行くかい?」と声をかけたら、彼殿も同行することに。
車になりました。
忍者の「伊賀と甲賀」で有名な、甲賀の地です。
にんにん。
対向車が来たら苦戦しそうな ちょっと狭い道路です。
でもこの日は平日で、スギ花粉の季節のスギ林ということもあってか、人はほんのチラホラでした。
この辺りではキャンプもできるようで、タープを張って満喫している人も。
駐車ができそうな少し広いところに車を停めました。
池の西側の道を歩いていると見えてきます。
若い杉林を通っていきます。
若い杉は、手入れがしてあるのか、まっすぐに伸びています。
見えてきた!
一本杉は、松みたいに横にも広がっていますな。
樹齢1000年(伝承)の貫禄。
屋久島の杉や、鳥海山のブナ「あがりこ大王」を思い出します。
ゲームの『聖剣伝説』のマナの聖域のようです。
日本風のいでたちの マナの女神やフェアリーが いるかもしれない。
「俺は占いも霊能も信じないけど、ここは気持ちよくて霊験あらたかそう。誘ってもらえてよかった」と 彼殿も気に入った様子。
しばらく気持ちよくゆっくりして、次の人がやってきたのが見えたので離れました。
車で少し移動して、岩尾山 息障寺 (いわおざん そくしょうじ)へ。
運動不足でも歩ける短いコースです。
看板の文章
“市指定文化財 磨崖地蔵菩薩坐像
岩尾山 息障寺(そくしょうじ)は天台宗に属し池原延暦寺(いけがはらえんりゃくじ)とも言われ、伝教大師最澄の開基と伝える。
山中いたるところに巨石があり、古代の磐坐信仰(いわくらしんこう)の名残りをとどめ 山岳宗教の聖地として栄えた。
鐘楼近くの岩に、舟型光背を彫りくぼめ、中に像高三十二センチの磨崖石仏がある。
蓮花坐の上に結跏(けっか)し、法界定印を結ぶ地蔵菩薩とされる。
像の左下には「至徳二丑乙十一月廿四日沙弥道尊」と刻名がある。
至徳(しとく)二年(一三八五)は南北朝時代の北朝の元号で注目される。
市指定文化財 磨崖不動明王立像
石段を登り詰めたところに屏風状の巨石があり、この岩に 火炎を背に負い、右手に利剣を持ち、左手に羂索(けんじゃく)を握った像高五メートルにも及ぶ 不動明王立像が線刻されている。
作風から推して室町時代初期の造立と考えられる。
息障寺を「岩尾の不動」と称するのはこの像からでたものある。
平成十三年三月 甲賀市教育委員会”
階段から登り始めます。
けっこう急ですが、手すりがあって助かります。
大きな岩がたくさんです。
昔、大岩で忍者がトレーニングしていたとか。
お地蔵さんもたくさん。
不動明王やお地蔵さんが彫られた巨岩も見ましたが、写真を撮り忘れました(爆)
展望ポイントからは、池がよく見えます。
桜も咲いていました。
岩尾山山頂。
ハードな山ではないです。
途中で道に迷ったけれど、30分くらいで山頂につけました。
山頂は木がたくさんで あまり景色は見えません。
山頂でごはん。
遠出をするときは おにぎりとゆで卵を持っていくのが恒例になりました。
登山道のすぐ横が崖になっているところもあり、めちゃんこ危ないので気をつけながら下山。
帰りに岐阜の麺闘志でラーメンを食べました。
私はまぜそばです。
彼殿には、電車代に用意していたお金を 車&ガソリン代ということで渡して、一日付き合ってもらったお礼に「ラーメン(トッピング全乗せ)」をおごりました。
めちゃくちゃおいしかったです。
YAMAPにも投稿してあるので、よかったらどうぞ。
余談:
「甲賀」は、「こうが」だと思っていました。
「こうか」なのだそうです。
「こうが」は「伊賀(いが)」の読み方につられて「こうが」と読んだ、その誤読のまま広がったのではないか
と考えられているみたい。
紆余曲折の末、2004年に、古来からの呼び方である「こうか」にしたのだそうです。
道路の青い看板(案内標識)に「甲賀 Koka」と書いてあるのでびっくりして調べたのでした。
齢37にして、初めて知りましたよ!
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相原あすかのドラゴンヘッド本
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