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1:総合的・俯瞰的
新聞記事では、「極めて便利なごまかしの言葉」というふうな厳しい評価がありました。
私の、聞いた当初の感覚も、当該記事と同様で、なんとなくイヤな感じがしました。
お茶を濁されたような、けむに巻かれたような、少なくとも好印象ではありませんでした。
ただ、第1の型「会話特定」および第2の型「キーワード組合せ」の利点の説明には、
ズバリドンピシャだと思ったので、使わせていただきました。
これぞまさしく「他山の石」ですね。
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2:他山の石
巨額の選挙買収事件に関連して、某政治家の表現で用いられ、物議をかもしました。
それはさておき、私の学習のスタンスには、合致しています。
「こじつけられるものは、何でも何にでもこじつける」というスタンスなので。
たとえば、国家賠償法2条関連では、人工公物と自然公物の違い(評価の厳しさ)を、
プロ野球選手にたとえて(イメージして)理解しました。
行政行為の附款なども、親子関係にたとえて理解しました。
このような苦し紛れの学習法は、運や才能に恵まれていて順風満帆な方の視点では、
「サルがやること」や「くだらん選択」にしか見えないでしょう。
もちろん、邪道であることは、最初から百も承知です。
「遠回りだとわかっていても、その道を進むべきなときもある」とか、
歯が浮くような言い方でお茶を濁すつもりはありません。
なにしろ私は、サルと五十歩百歩のバカ者なので、理解するためには、
邪道や遠回りに走らざるを得ない(正攻法の学習だけでは足りない)のです。
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3:元気があれば何でもできる
ほぼ同感です。なぜなら、現実におおむね合致しているからです。
元気があれば、「みんなができること」は、だいたいできるはずです。
みんなができないことは、できなくても困りませんが、
みんなができることができないと、怒られたり笑われたりします。
みんなができることを、ひととおりできれば、とりあえず、困ることはないでしょう。
とにかく、困らなければ、それで十分だと思います。
かつて、「元気があるからいい」という発言が物議をかもしたことがありましたが、
ある意味では、一理はあったのかもしれません。
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4:頑張れば何でもできる(石に立つ矢・精神一到何事か成らざらん)
もちろん、やる気や努力の大切さは否定しませんが、
それだけではどうにもなりませんし、ある程度の運や才能が当然の前提だと思います。
あまりにも才能が少なすぎる人(私のような)には、当てはまらないでしょう。
それから、「とにかく、できるようになりさえすれば、それでいい」という、
単純な話ではないのが、現実の残虐なところです。
たとえば、運動オンチのAが、縄跳びや跳び箱を、
みんなは10回や5段跳べるのに、自分は6回や3段しか跳べないとします。
Aでも、半年くらい熱心に頑張れば、10回や5段跳べるようになるかもしれません。
しかし、そうなった時には、みんなは、20回や7段跳べるようになっていたりします。
Aは、結局(いずれにせよ)、みんなに追いつけず、負け続けることになります。
私のようなダメな人にとっては、きれいごとや気休めにすぎません。
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5:生きてるだけで丸もうけ
「生きてる」の解釈次第です。「生きてる」の範囲の広さが、賛否の分水嶺ですね。
もし、文字どおり「生きている」という意味だとしたら、
病人や難民や奴隷なども、命がある以上「丸もうけ」ということになってしまいます。
もし本当に「丸もうけ」なら、支援なんか不要でしょう。
この解釈では、さすがに、共感できません。
一方、「元気に生きている」や「平和に生きている」や「普通に生きている」
という意味(縮小解釈)だとしたら、共感できます。
栄誉や名声なんか、なくてもべつに困りませんし、お金は、ないのはもちろん困りますが、
お金のことで悩まずにすむ程度にあれば(巨万の富でなくても)十分です。
とにかく、苦しさがなければ、それで御の字だと思います。
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6:若い時の苦労は買ってでもしろ
まあ、あえて全面否定はしません。
「買ってでもする価値がある苦労」も、ないわけではないでしょう。
とはいえ、必ずしも、若い時のすべての苦労に該当するわけではないと思います。
宝石でも車でも土地でも、クオリティーや価格は、ピンからキリまであります。
魚でも、5mのサメもいれば、50cmのカツオも、5cmの金魚もいます。
夢や目標に近づくための苦労(勉強や練習)はともかく、
一方的に降りかかる苦労(病気・災害・戦争など)には、当てはまらないと思います。
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7:天は乗り越えられない試練は与えない(天は乗り越えられる試練しか与えない)
本人が自ら、そう思って頑張るのは、もちろんOKです(それは否定しません)。
しかし、もし本当にそのとおりなら、戦争や災害などが発生しても、
犠牲になる人や不幸になる人なんて、ほとんどいないはずです。
苦しい時に言われても、必ずしもピンとこないでしょう。
実際に幾多の試練を乗り越えてきた人から言われるのなら、まだ重みがありますが、
単に運や才能に恵まれて順風満帆なだけの人から言われても、
きれいごとや精神論にしか聞こえず、格差や不服を感じたり、ムカつくだけだと思います。
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8:子どもは親を選んで生まれてくる(生まれてきた)
子ども本人が本心でそう思えるなら、それに越したことはなく、それは否定しません。
しかし、もし本当にそのとおりなら、いわゆる毒親のケースも、
「その親を望んで選んだ以上、子ども本人の責任だ」というふうな、
某復興大臣の発言のような理屈になってしまいます。
ひいては、「保護も刑罰も必要ないだろう」という結論になってしまうでしょう。
親ガチャに当たって順風満帆な人から言われても、
きれいごとや精神論にしか聞こえず、格差や不服を感じてムカつくだけだと思います。
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9:光陰矢のごとし・歳月人を待たず・少年老い易く学成り難し
卒業の時や、大人になってから、感じることでしょう。
子どもや学生が、普段の時に言われても、ピンとこないと思います。
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10:会話はキャッチボール(うまくやれ・ちゃんとやれ)
たしかに会話はキャッチボールだと思いますが、単にそれだけでは、
具体性に欠けて、ほとんどアドバイスにならないと思います。
「うまくやれ」や「ちゃんとやりなさい」などの助言も、同様に、
具体性に欠けて、あまり役に立たないと思います。
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11:あなたのため・おまえのため
恩着せがましくて、歯が浮くだけです。
聞きたくも言いたくもありません。
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