子どもへの心配は終わりにしましょう。
心配の中身を確認してやめましょう。
ってことを昨日書きました。
自分の心配の中身も見た。
心配をやめたいと思っている。
心配をやめていいと自分に許可もしてみた。
でも
なんだかスッキリしなくて
心配がやめられない。
もしかしたら
心配することが愛だと思っているパターン
かもしれません。
そう思っている人にとって、当たり前すぎるから気がつきにくいのですが
心配は心配で、愛ではありません。
心配のエネルギーは、マイナスで、重くて、相手を元気にしたり、喜ばせたりできません。
こういうのを「価値観」っていうんです。
何に価値があると思っているか、の考え方です。
心配が愛だと思っていたら、やめられません。
そういう人は、誰かに心配されると嬉しくなって、心配されないとガッカリすると思います。自分が喜ぶことをやろうとするのが人ですから。
そうすると、心配しない人のことを非難したりします。
心配が愛の証に見えるので、心配されないと愛されていないような気持ちになったりします。心配でご飯も食べられないなんてことになると、めちゃめちゃ愛を感じます。
自分が繋げているから連動しているだけで、そもそも、心配は心配です。
ということで
自分が心配をやめられない族で、やたらいろんな人を心配しちゃう族の自覚がある人は、自分の心の中を見てみて下さい。
そして
「心配が愛だと思ってきたなー」
「心配は愛じゃないんだって」
そんなふうに自分に声をかけてみて下さい。
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この、声をかける部分、めちゃくちゃ大事なので省略しないでくださいね。
これをかけた後で
「自分はどうしたい?」と質問してみて。
これからも
心配体質で生きるのもありです。
もちろん悪いことではありませんからね。昔からいる、人情派の人のいいおばちゃん的な存在。
心配と愛をくっつけないことにするのもありです。
二つを切り離すと、心配が愛の証ではなくなります。
心配されていないと、愛されていない、という繋がりもなくなります。
心配は心配。
大抵、情報が得られれば解消します。
自分の未来を、好きなように選択します。