チューリップ赤御礼虹感謝スニーカー

見つけてくれた方、読んでくれた方

ありがとうございました。嬉しいです。

2022/6/4,5@東京国際フォーラム公演

ツアー初日@府中から【セットリスト】

そのものに変更はありませんでした。

演奏曲目のみ手っ取り早く確認したい方は、上記記事あるいは本稿の最後へお越しくださいますようお願いします。大きな画面での閲覧推奨

 

□ ここに来てくれたものの、やっぱり知りたくない方どうしようか迷っている方、残念ではありますがここで閉じてくださいますようお願い致します。参加当日、会場で1曲目のその瞬間、歓喜感激感涙感動2222%保証であります。我慢された甲斐が当日絶対にあります笑い泣き気づき拍手気づき

 

(鹿児島、長野、愛知、福岡、兵庫、東北の皆様)

 

 

□ 予習したい方へは、微小・微力ながら、お役に立てましたら幸いであります。

が、しかし、ところが、それならば、本稿ではなく、上記『全力執筆』編をご確認いただけましたら幸いです。ニヤリ 本稿、作文はヘトヘトパックです。

 

 

本稿は「ぬるい♨」です。日記です。

ともするとTULIP率が?な文章です。

グダグダであります。

迷っている方が脱落離脱しやすくなっています。

 

 

 

 

スニーカー

 

TULIPが好きなので、6月4日()5()、あこがれの東京駅から一つ先、JR有楽町駅、東京国際フォーラムへ行ってきました気づき

 

ちなみに6月5日「魔法の黄色い靴」でチューリップが1972年メジャーデビューしたジャストその日であります。辿り着いたぞ!50年ですお祝い

 

 

僕の人生、実に94%にあたる年月、かれらは音楽活動をして来てくれました。

そして、いまだ現役で全国をまわってくれています拍手

なんと来年初夏までも(判明分)

 

僕の人生にTULIPを本格的に導入したのは、とあるきっかけ後の1981年からです。

そこから数えても40年を越えました爆  笑

 

10代の頃、夢中になって、レコードを買いあさり、聴いてきた歌が、いま

 

今!

 

今!!!

 

こうやって「なま」で聴けるというのは本当にありがたく嬉しい限りです。

「なま」は「生きている」の「生」。

「生命」の「生」。「生活」の「生」。

「人生」の「生」であります。

 

今年、活動を始めたバンドが

2072年、全国ツアーを行っていると考えたら

やっぱり、これは凄いことであります。

TULIPの50周年とは、そういう事です。

だからTULIPの50周年は感慨深いです。

 

1972年デビュー、1989年解散。

1997年再結成。そこから基本5年ごとに周年ツアーを開催してきてくれました。

※その間もたまに。キラキラ

 

今回のツアーでは、いまのところ27曲披露してくれています。

 

財津和夫TULIPに、さほど興味がなかったり、知っていたりの方拍手、好きな方ブー(*´з`) ⇒大好きな方へ、今回のツアー27曲、うち何曲、財津さん以外のリード・ボーカル曲があるか、改めて確認してみました。サーチ

 

ツイン・ボーカル曲も一つ含んで、

13曲(+全員歌唱3曲)でした。

 

TULIPは、そういうバンドです。

歴代メンバー全員が作詞作曲歌唱してきました。

 

そして僕は、昔のレコードもCDもLIVEも

今の編成、今の演奏、今の歌声、今のかたち姿、今のコーラスワーク、

今の会場に足を運んだうえで

今のTULIPが好きです。

 

 

晴れ

 

さて、

 

6月4日()に向かって、首都圏では、雨が落ちてきてゲリラ豪雨に見舞われたり、群馬ではピンポン玉サイズの雹(ヒョウ・🐆)まで降ったりと、天候不順が続いていました。

 

 

そして迎えたコンサート当日。

Tシャツでちょうどいいくらいな陽気になりました。コンサート前【体感温度】項目で心配した通りで、姫野さんに至っては「皆さん暑くないですか?」「皆さんが『暑い』と言ってくれたら室温を下げてくれるんですけどあせる」と、オーディエンスに拍手を求める暑さとなりました(6月4日公演)。

 

§読み飛ばしポイント§

持ち物チェックリストを作って今回は自分なりに忘れ物は防げると安心していました。が、しかし「人身事故」やら「車両点検」やら「かけおちしました」など、電車の遅延情報が、映画を見ていてもTVを見ている時も、ひっきりなしに届いてきます。

 

京浜東北線が、山手線を走行する代替措置を構じ、その界隈がざわついていました。が、首都圏在住でない方には分かり辛いかもしれません。

 

例えるなら、かつて、新日本プロレスの長州力が軍団を率いて全日本プロレスに移籍したようなあきさみよーです。

あるいは比較的最近だと、ハロプロ・オールスターズの武道館公演の1曲目がAKB48の「365日の紙飛行機」だったような、驚きと新鮮さです←史実

§読み飛ばしポイント§堂々完結

 

 

 

栄光の男/サザンオールスターズ 

ひといきつきながら/山本彩 

02. 置いてきた日々

(1977年『WELCOME TO MY HOUSE』)
03. ハーモニー

(1972年『魔法の黄色い靴』/シングルB面)
04. 風のメロディ

(1976年シングル)
05. 博多っ子純情

(1977年『WELCOME TO MY HOUSE』)

06. ここはどこ

(1974年『ぼくがつくった愛のうた』)

会場前方スタンディングとなりました。

尾上さんのギターギターギュンギュンびゅんびゅん炸裂!!

 

07. 思えば遠くへ来たものだ

(1972年『魔法の黄色い靴』)

宮城さん⇒姫野さん⇒上田さん⇒財津さん

⇒最後全員で歌唱。

 

この歌にちなんで、2日目、

姫野さん、緑と黒のサマーセーター着用。

姫野さん「(サマーセーターは)暑いですアセアセ」に

宮城さん財津さん「Tシャツじゃん」と猛クレーム(笑)

 

theTULIP 2023 は 「かけおちのすすめ」を!

※叶わないから書くだけ書いておく

08. エジプトの風(1984年『 I dream)

The エジプト Song of the エジプト Songs

エジプト博にエジプト展覧会関係者に強くオススメする1曲ゆめみる宝石

09. 走れ!ムーン号

(1974年『ぼくがつくった愛のうた』)

サングラス上田さん

[生ギター・コーナー]


10. 仔牛のロー・カウジー

(1974年『ぼくがつくった愛のうた』)

is There の時もあったような気がしますが、歌唱前、演奏前の導入の財津さんの語りセリフが、国際フォーラムではありました。※府中では無かったような気がします(←記憶あいまい)

2日目に至っては「長いよ!」と姫野さんが突っ込むべきか否かの長さにまで進化を遂げていた、ように思いましたかたつむり(笑)

 

 

11. ある昼下がり

(1975年『無限軌道』)

[おすすめスポット]

♪笑うことも泣くことも忘れて いつのまにか大人になった by姫野さん

ポンポンポンポンポンポン キラキラキラキラキラキラby上田さん

 

 

12. 箱入り娘

(1972年『君のために生まれかわろう』)

僕は、ゆっくり・・・視線をゆっくりと

ステージから天井へ。回想。

ひろさんをこのタイミングで追悼しました。

 

ここで第1部終了。

 

 

トイレから帰還した際、不意に思い立ち、自分の座席へ戻る前に迂回してステージ最前列へ歩みました。「魔法の黄色い靴」の時、TULIPが見ている景色を僕も目に焼き付ける。

 

仕事上、思い出すことも蘇り、感慨深くなる。

 

 

 

 

[第2部]


13. We Can Fly(1982年シングル)

 

第1部 6曲目「ここはどこ」よりもスタンディング率が高かったのが嬉しい。タケノコが元気よく、すくすく成長するが如く皆、立ちあがりました馬

この光景は素晴らしかった音符

 

再現が非常に難しい曲です。回を重ね、財津さんの喉に馴染んできた感が生まれ、喜びもひとしおです爆  笑 今ツアーで歌ってくれたのは、僕には奇跡です。74歳です。

 

「さぁ!ここへ おいでよ拍手拍手

新しい拍手拍手 世界へ拍手拍手

 

会場がひとつになった感じが、とっても嬉しいクラッカー

 

14. ブルー・スカイ(1977年シングル)
15. 虹とスニーカーの頃(1979年シングル)

16. TAKE OFF(1974年『TAKE OFF 離陸

地鳴り轟く-ここは-田中さんドラム。

ガラッとリセットしてくれます

財津さん、よくぞ選んでくれました!歌ってくれました!!そして最高最上最良の置き位置だったと大称賛!感謝申しあげます。ありがとーーー拍手波

The 猛りメラメラof the 猛りs であります。

解説:猛りの中でもトップ・オブ・ザ・トップスの猛り。

17. 明日の風(1974年『TAKE OFF 離陸』)

18. 夏色のおもいで(1973年シングル)
19. 悲しきレイン・トレイン

(1975年シングル)
20. ぼくがつくった愛のうた

(1974年『ぼくがつくった愛のうた)

21. 青春の影

オリジナル1974年『TAKE OFF 離陸』からシングル用へ再レコーディング

チューリップをマネジメントした草野昌一が、「ぼくが好きだった曲」と題して墓標に刻まれた30曲のうちの一つで、唯一の邦楽曲でもある。ただ、「草野はこの曲のシングル化に反対していた Wikipedia

 

 

上記3画像

当ブログ 2222picnicさん秘蔵(になりますか?w)

財津さんが、鶴瓶師匠のA-Studioゲスト出演時から。

ー録画ビデオよりー

 

本編の締めは、

鈴蘭から始まり

昭和の終わりも平成も

そして令和も

2023年へまでも、

この曲が翔け続ける!

22. Shooting Star 

(1981年『THE LOVE MAP SHOP)

 

拍手拍手拍手拍手拍手で

 

[アンコール]


23.2222年ピクニック(1982年『2222Picnic』)

 

5日()1階席でした。

かなり少なく見積もっても97%、ぱっと見100%のスタンディングと相成りましたスター爆  笑合格目がハート飛び出すハート泣き笑い恋の矢笑い泣きクラッカー←この時の会場の様子を全力で表現メモ

喜んだのは僕だけではありませんベル

 

24. 銀の指環(1974年シングル)

4日()姫野さん、黄色いスニーカースニーカー

 

25. 私のアイドル

(1974年『ぼくがつくった愛のうた』

/同シングルB面)

二度めのアンコールへ。

26. 心の旅

(1973年シングル)

財津さん「皆さんのおかげで来年2023年、7月1日と2日、またここで歌います!」

(4月8日()大宮ソニックシティ、7月1日()2()東京国際フォーラム)

 

 

そして恩人草野さんのお話。6月6日は草野さんの命日(2005年)。

「草野さんに捧げます」

「皆さんも心の中で大きな声で歌ってください!」

27. 魔法の黄色い靴

(1972年シングル・デビュー曲

/アルバム1作目)

初日の府中では、順番の歌唱でした。

国際フォーラムでは、

初めから全員での歌唱でした。

また笑顔になれましたスニーカー

子供のようになれた2日間でした。

 

 

 

ここまでありがとうございました。

心より感謝申し上げます。