□ 春が来ましたね □□□
四月になり、桜は開花し春っぽくなってきたなぁと思います。
□ 財津和夫さん・TULIPを知る □□□
そして春の歌を思い出す。
TULIP「春がくるくる」(作詞・作曲財津和夫)
アルバム『New Tune』の一曲目。 佳曲。
財津さんつながりで、
松田聖子さん「チェリーブラッサム」(作詞三浦徳子・作曲財津和夫)。
「この曲」がきっかけで、松田聖子さんの曲を気にするようになった。
そして深く財津さんを聴きたくなるようになった曲でもある。
財津さん作品というのは、このときぼくには奇跡のような偶然だった。
それぞれ、別々に「ああ、この曲いいな。好きだな」と思っていた、
「WAKE UP」も「切手のないおくりもの」も「チェリーブラッサム」も、
みんな同じ人が作っていたのかっ!←知ったときは感動だった!!衝撃だった。
“財津和夫”という人は、天才だ!凄い!!何者なんだ!!!
…で、ぼくはTULIPというグループを知った。
過去にさかのぼりつつ、現在・未来を追いかけ続けることとなる。
以下は、超激贔屓目(ちょう・げき・ひいき・め)な個人的曲解です。
財津さんは、“WAKE UP(1979年発表)”という単語を日本歌謡界・芸能界に最初に取り入れた日本人ではないかと思っている。 勝手にです…念のため。
財津さんは他にも、(ぼくが一番好きな)「Someday Somewhere」(同1979年発表)という、韻を踏みかつ対句構成を成している名曲・アルバムを世に出している。
これは後に、小田和正さんの「Sometime Somewhere」、
持田香織さんのEvery Little Thing の「Someday, Someplace」へと、オマージュ?(平たく言えば影響を与える・受ける)・インスパイア?(平たく言えば着想を刺激する・授ける)されているのではないかと、ぼくは一人、我がことのように誇らしく思っている。
まだある。 「たったひとりのオーディエンス」 【1983年発表 ※LIVEでのこの曲の後奏・終奏の幻想的な音の世界がたまらなくいい ※“8・11 PAGODA”前の「All Over Japan 1983 Into 1984」で演奏された「サボテンの花」「青春の影」は40周年のシングル集に収録されている(名演奏!秀逸の極み!!&一部は当時のFMで放送されているが、“完全版”として発売してほしいなぁ。このときの「生まれる星」が聴きたいなぁ】 の、“オーディエンス”という言葉もこの曲で初めて知った。
…ま、もちろん、BEATLESが居なければ財津さんも触発・開花していないのだろうけど。
□ 松田聖子さん □□□
「チェリーブラッサム」を初めて聞いたときに「いい曲だな」とぼくは思ったが、松田聖子さんはインタビューで、「なんで私がこんな暗い曲歌わなければならないの?」というのが、第一印象であったと答えていたのを覚えている。 …く、暗いのか?この曲…。
だからだろうか? 財津さんは次の聖子さんのシングル「夏の扉」で、これならどうだっ!ってくらいアップテンポな素敵な曲を提供している。 ある世代には馴染みがある聖子さんの歌は、口ずさみ易そうでいて実は音域は広く、簡単ではないような気がする。
またぼくは財津さんファンなので、こういう考えを抱いてしまう。
→ デヴューして、ヒット曲・流行歌を出し始めた聖子さん。そして4.5.6枚目までのシングルへ財津さんは楽曲提供し、聖子さんの華々しい初期活動に貢献したと、ぼくは思う。 聖子さんはその後シングルでは、大瀧詠一さん・ユーミン・細野晴臣さん・佐野元春さん・尾崎亜美さん・土橋安騎夫(レベッカ)さん・大江千里さん、アルバムでは、来生たかおさん、ぼくにとってはナント!の、甲斐! 甲斐よしひろさんまでを! …作曲陣として起用している。 これは、単に恵まれていたというだけではなく、聖子さん自身にとてつもない表現力・魅力があったからこその実績だと思うのだ。
ぼくは松田聖子さんのファンと言えるほどではないが、ワンコーラスくらいは歌詞とメロディーが
浮かべられるシングル曲が多々ある。 これは物凄いことではないだろうか? ぼくがではなく、聖子さんが!だ。
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… …松田聖子さんについては、『チェリーブラッサム』より一連の財津和夫作品よりも遥かに好きな楽曲・アルバムがあります…。
そこまで書きたかったのに… 、懐かしさに拍車がかかりまくり、横道それまくりです(汗)。。。
次の記事で書きます!
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☆ご訪問、誠にありがとうございました! 感謝です。