脊振には、二龍が降ったという伝承がある。

二柱は「龍」であった。

饒速日命は高良神=八大竜王

御炊屋姫は、市杵島姫命であり弁財天。

奈良の「八大龍王弁財天」は彼女。

櫛布留岳、それが、神話のクシフル岳。


 

 

☆前の記事

 

二柱は龍神であった。

脊振に降った二龍とは、彼らに繋がる。


高良神=志賀神=綿津見神=八大竜王

 


 

  脊振の二龍    

 

福岡市の南の佐賀との境にある、脊振山(せふりやま)。

奇なるものが振ったと伝承がある。

振った二龍は「饒速日命と御炊屋姫」。

 

この二柱の竜が「降ってきた所」。

それが神話のクシフル岳だ。

 

 

  脊振の神

 

一昔前までは、脊振と言えば脊振山系を指した。

脊振山単体では、上宮嶽、弁天山、廣瀧山と呼ばれていた。

 

脊振の伝承を俯瞰してみると一つに繋がる。

 

 (背振神社 上宮)

 

脊振山の名の由来からいくつか。

(他の由来も下記を元にしたもののはずです)

 

☆1 「脊振神社蔵古書」には、

肥前の国に霊峰あり、国鎮岳と号す。絶頂に霊穴あり。二竜出現して脊を振う時、山動き地震う。故に脊振山と号す
 

☆2 貝原益軒の「筑前風土記」
古、弁財天百済よりここに来り給う時、乗り給ひし馬の脊振りたる故に脊振山と名付けたり

 

 

*3 「脊振山縁起」の乙護法善神

脊振山積翠教寺 修学院 サイト)「脊振山縁起」より要約 (←素敵なイラストつき!)
 

「天竺の王子が他界。

大王がインドのお坊様の龍樹菩薩に頼み探してもらうと、龍馬に乗って脊振山に飛来し御法神となっている彼を見つける。

彼を追って后(弁財天)と共にやって来た大王は、脊振千坊の守護神に。

大王が下宮の「不動明王」となる。
后が上宮の「弁財天」。
王子は中宮の乙護法善神として祀られる」


*実際の下社には宗像三神(市杵島姫命である弁財天)が祀られている。

 

 

☆1 二竜が背を振った。

☆2 弁財天を乗せた馬が背を振った。

☆3 乙護法善神が竜馬に乗って飛来。後に不動明王と弁財天がくる。

 

 

これらは同じことを示唆している。

三柱となっているのは、☆3だけ。


☆3では、

乙護法善神(毘沙門天)、大王(不動明王)、弁財天が天竺から竜馬に乗ってやってきて脊振に振った(降った)

 

脊振に振った竜は「二柱」。

なのに三柱の神?

 

 

< 脊振山系の弁財天と毘沙門天と不動明王 >

 

☆3の伝承が三柱であるのは、仏教の影響を強く受けているからだ。

 

山域は古来から霊山とされ、修験道の聖地として多くの寺が建てられた。
それ故に「彼ら」は、仏教の神(インド神)とされている。

今でも脊振山と、山系の一つの九千部山には彼らが祀られている。

 

*九千部山の神

 

(九千部山山頂の祠)

 

九千部山(くせんぶやま)の山頂の祠には、不動明王と弁財天が祀られている。

二柱が夫婦と、☆3の脊振山縁起にあるからだ。

だが、インド神話では夫婦ではない。

 

不動明王はシヴァ神にあたる。
その妻はたくさん(100人?)。

一方の弁財天の夫はブラフマーだ。

 

しかし、日本神話を通すと繋がる。

不動明王は、日本では大黒天。

大黒天は大国主神と習合してた。
 

彼は饒速日命であった。

弁財天である市杵島姫命は、彼の后であった御炊屋姫。

→☆神*総まとめ

 

不動明王=大黒天=大国主神=饒速日命

弁財天=市杵島姫命=御炊屋姫

 

という構図が成り立つ。

だから修学院の伝承では「不動明王と弁財天」が夫婦とされていた。

インド神話の「夫婦」とされる二人ではないが、日本神話では辻褄が合うということだ。

 

この違いの元は、「元々祀られていた二柱の神」が後にそれぞれ習合されたから。

習合された神の由来は「天竺」。

それ故に、天竺から来たことになっている。

 

 

*脊振山の神

 

一方、脊振山には弁財天と毘沙門天が祀られている。

☆1~☆2の伝承はこれを示す。


山頂の上宮と下宮には、弁財天(市杵島姫命)。

乙護法善神は、少し下った場所にあるタニシ仏。
この神が毘沙門天。

 

(タニシ仏)

 

脊振に振った二竜とはこの二柱であり、彼らへと繋がる。

 

*背を振ったは、背に降ったを暗示している。

 

 

< 高良神と毘沙門天 >

 

この辺りで「毘沙門天」と言えば、高良神。

 

高良神は自ら、「毘沙門天として祀れ」と告げたとされる。

彼は毘沙門天と習合されたのだ。

 

(高良大社 奥宮)

 

(奥宮にある「毘沙門天」の繋がり)
 

(高良山山中  高隆寺跡の案内板)
*高良神は国を鎮める神。
だから脊振は国鎮岳でもあった。
 

 

高良山山頂には、後に毘沙門城が造られ、今でも毘沙門山として通る。

 

(高良山)

 

しかし、毘沙門天の妻は吉祥天。

 

脊振に二柱だけが祀られていると齟齬が生じる。

回避する納得できる理由。

それが、不動明王と弁財天が夫婦であり、毘沙門天がその子供として、脊振に振った神が三柱であると、☆3ではされたのだ。

 

高良大社は物部の祖神・饒速日命を祀る宮。

脊振山系の神、不動明王、毘沙門天は共に饒速日命を示唆していた。

 

 

饒速日命は櫛玉饒速日命。

また石上神宮の布留神。

久士布流多気とは、彼を示す櫛布留岳だ。

 

もう一柱の弁財天。

習合されている日本神話の神は市杵島姫命。

 

 

 

  弁財天と御炊御屋姫と神功皇后

 

弁財天は市杵島姫命。

彼女は、御炊屋姫。

→☆神*総まとめ

 

高良の神が毘沙門天、不動明王に繋がる饒速日命。

その后の御炊屋姫が弁財天。

 

「もともとの二柱」とは、毘沙門天弁財天と習合されたこの者たちであった。

他に誰も繋がらない。

 

 

高良の伝承、高良玉垂宮神秘書には、

高良神(住吉神)の后は神功皇后とある。

 

彼女もまた、「習合」されていた。

 

彼が饒速日命であり、彼女がその后であるので繋がっている。

 

 

脊振山頂の市杵島姫命(弁財天)は、
「神功皇后が三韓征伐の折りに、戦勝を祈願して祀った」とある。

 

しかし彼女は、「祀られている神」自身。

伝承では、祀った者自身が祀られた神となっているのだ。

 

*脊振の弁財天様という伝承からも繋がる。

脊振の弁財天様は脊振のシャクナゲをを欲しがる。

英彦山から持ってこようとするがその手前で落としてしまう。

➡脊振の弁財天様は、英彦山の神と同じ=市杵島姫命


*建日向豊久士比泥別
彼らがここに祀られている。
それ故にこの地が「建日向豊久士比泥別」。
 

 

豊は、豊姫、豊日別。(高良大社の本殿に合祀)
これが御炊屋姫であり、神功皇后。

久士は、櫛玉饒速日命であり、高良神(住吉神、白日別)。

 

久士布流多気の「久士」だ。

 

彼らがこの地に「降った二竜」。

 

彼が乙護法善神であるので、彼女が乙姫。

浦島太郎のそれなのだ。

 

その伝承は神の由緒。

彼らが勧請された時、共に移ったものとなる。

神話の山幸彦もこれを意味している。

 


尚、神が山に降臨するとは、二通りの意味がある。
*実際にその土地に来られた(脊振など)
*後に神として勧請された

その地の一番大きく綺麗な神奈備が神が降臨された山とされる。


  宇迦山

 

神話では、大国主神がスサノオ神に住む場所として告げた言葉に宇迦山が登場する。

 

宇迦能山(うかのやま)の麓の底津岩根(そこついわね)に宮柱を立てて

 

宇迦能山とは、神の名を冠する山。

彼らは宇迦之御霊でもある。

饒速日命と御炊屋姫が、二柱の天照であり、豊受大神=宇迦之御霊。

 

これが「脊振山」になる。

 

 

ゆえに、大国主神が祀られる出雲大社の裏にある「宇迦山」は、久士布流多気の見立てになる。

 

宇迦山の麓には底津岩根がある。

 

つまり、「宇迦山の麓」に住まう神は同神ということ。

以下の神話の神は全て同じなのだ。

 

*大国主神とスサノオ神
(スサノオに住むように告げた宇迦山の麓に大国主神の社がある。→同神を示唆)

*国譲り

*ニニギ命の天孫降臨

  


 

 

 

***

 

日本神話の内でも、仏教が入った時でも、習合され他の名になってしまった彼ら。

 

でも、それは信仰心ゆえのこと。

溶けあっても彼らは彼ら。

 

弁財天は御炊屋姫であり、豊受大神。

毘沙門天は饒速日命であり、天照大神。

様々な名で呼ばれても、彼らの魂は一つ。

 

 

彼らが祀られる脊振、英彦山、宝満山、若杉には、寺や宿坊が数多あった。

1000年以上続く信仰がなければ、今のような「霊山」とはなり得ない。

彼らが祈りを捧げ、大切に守ってきたお山だからこそ、ここが「クシフル岳」。

 

高千穂にはそれがない。

彼らにとって、値しない山ということになる。

 

 

最後に。
山友さんのおかげで乙護法善神と脊振の神が繋がった。

佐賀の修験道に関わりある地を巡って、一日60キロでも踏破する彼女。

凄すぎる~!

御信仰のたまものだと思う。

ありがとう!

 

 

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