続きです。

 

 

  建日向豊久士比泥別

 

残る一つが、建日向豊久士比泥。

「たてひむかとよくじひねわけ」と読まれているが、「たて ひむか とよ くし ひねわけ」。

 

筑紫島の四つの面の他の三つを記載。

 

(海面上昇シミュレーションシステムより。

自分が推定するAD200年頃の北部九州「筑紫島」)

今の海面標高5mの付近

右はGoogle map
 

「筑紫島の四つの面」の内、白日別が高良大社のある地。
豊日別が彼の后である豊姫であった。

豊日別は豊姫。
高良大社に合祀されている。
高良玉垂宮神秘書では、高良神の后は神功皇后。

后以外を共に祀らないので、彼女が豊姫だ。

 

高良神と神功皇后は、羽白熊鷲を退治していた。

この本拠地が「建日別」である朝倉一帯。


 

では残る一つが、建日向豊久士比泥別なのだ。

 

 

  脊振山=竺紫日向久士布流多気

 

天孫、瓊瓊杵尊が降臨した山を、竺紫日向久士布流多気という。

神話の神はすべて彼らであるので、「降臨した天孫」も彼らの事になる。

 

竺紫日向久士布流多気とは、竺紫島の日向にある久士布流多気なのだ。

竺紫の日向とは、竺紫島の建日向豊久士比泥の日向

 

「古事記」には、それが肥国だとある。

宮崎ではないのだ。

 

その地には脊振山がある。

これが久士布流多気。

 

 

 

脊振には二龍が降ったと伝承がある。

 

神話の「降臨」とはその地におられた、または社を勧請し、土地の神となったことを意味する。
その地の神奈備山に祀られる。

故に、その山に「降った=神が降臨した」となる。

 

二龍の一柱が饒速日命であり、もう一柱は神功皇后(御炊屋姫)。

「くしふる」は、奇振(くしふる)岳。

「くし」は、「奇(くし)」。

人間に不思議な奇跡をもたらすもの、神の力を感じられるものという意。
神秘的な力のある神が振った山。(神が降臨した意味)

 

また、ふるは、布留神を示す。

櫛布留(くしふる)岳。
櫛玉饒速日命の名、そのままだ。

 

(背振山山頂の脊振神社 上宮。 後ろはメロンドーム(自衛隊レーダー)

 

よって豊久士の、豊姫、久士は櫛=櫛玉饒速日命。

 

神話のクシフル岳「韓国に向かう筑竺の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)」は、脊振山のこと。

櫛も布留も饒速日を意味する。

建日向豊久士比泥別と同じ意味になる。

 

 

  脊振の神


脊振の神は、神功皇后が祀ったとされる弁財天。

脊振のお寺には、弁財天と毘沙門天の伝承がある。

(山頂近くに毘沙門天も祀られる)

 

毘沙門天は高良神と習合。
これが物部の神である、饒速日であった。

 

 

弁財天は市杵島姫命。

彼女は饒速日命の后。

高良神の后でる神功皇后だ。

 

よって、毘沙門天は高良神であり、櫛玉饒速命。

弁天は神功皇后であり、市杵島姫命である御炊屋姫。

これが大社に合祀の豊姫。

 

彼らが、久士と豊である。

 

 

< 二柱の龍神 >


彼らはそれぞれ龍神としても祀られている。

 

毘沙門天=乙護法善神=高良神(饒速日命)
弁財天=市杵島姫命=御炊屋姫=乙姫=神功皇后
 

浦島太郎に酷似の伝承は、神の由緒を示唆するもの。

祀られているのは彼らだと、告げているのだ。

 

 

高良神は、綿津見神でもあり、志賀海神社に祀られている。

佐賀の八大龍王社の社は綿津見神。

 

「二龍が背を振う」

この地に祀られているのがその二柱であり、全て彼らに繋がる。

 

 

  竺紫の日向

 

天孫が降臨したという「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気」。

それはこの「建日向豊久士比泥別」にある脊振(山系)。

 

高千穂は、稲穂を高く積んだようにの意。

今の日向という認識の宮崎ではない。

豊日別が今の豊前豊後では無いと同じ。

 

建日向豊久士比泥別は、筑紫島にある四つの面の一つ。

彼らのいた地が筑紫島。

そうでなければ、「身一つで面が四つ」の言葉が説明できない。

それは高良大社辺りから見た当時の様子であり、だからこそ、この地。

 

ならば、天孫降臨の地はそこにある。

 

 

  天孫降臨の地

 

< 儺の国(奴国) >

 

奴国と、魏志倭人伝にある儺の国は、那珂川。

その地には、それを示すものがあった。
(詳細は下記、リンクへ)

 

☆真の道・・・「笠沙の岬まで真の道が通じていて(有真之道通笠紗之御前)」

 

 

☆「底津岩根」は安徳台。(神が住んだという)

☆「橘の小門の阿波岐原」の地形と名前。(イザナギ神の禊の地)

☆「岩戸」の地形と名前。

 

 

☆住吉の元宮である現人神社。
(「現人神社(住吉の元宮) ~福岡県那珂川市~」) 

イザナギの祓いで生まれた神。
それが住吉神である饒速日命。

☆高良神(住吉神)が若い頃にいたという猫城嶺。
(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良神)の生誕地」)ココログの記事

 

☆神功皇后の伝承。
(「裂田神社と裂田溝(さくたのうなで)~」)

神功皇后が、「三韓征伐の時に助力を受けた神」に逢いに来て、その神の神田を造った。
助力を受けた神は、住吉神。
その地は、紛れもなく那珂川。 

二柱の伝承が重なる地であり、神話はこの地を表している。
なの国の「な」は、神の国という意味になる。

 

< 標高5m >
 

博多、大阪の住吉大社の地は標高5m以下。
儺国にある現人神社(住吉の元宮)は、紛れもなく、それよりも昔に存在する。

今の標高5mが彼ら時代の海岸線。
それを示唆するものがあった。

 

 

 

( つづく )

 

 

 
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