続きです。

 

 

 

この地には、他にもあった。

 

「底津岩根」

「橘の小門の阿波岐原」

「岩戸」。

 

天孫降臨の後、”そこに”宮を建てたとされる「底津岩根」。

それが「安徳台」。

 

 

初めて訪れた時、天と地を結ぶ光の柱と、その中に幻の社の千木が見えた。
 
天の太柱を立て千木が見えるところ
 
 
後に神話の、その箇所を見つけた。
そのままの光景だったのだ。
 
那珂川市にある「安徳台」。

またの名を「迹驚(とどろき)の岡」。

神功皇后の伝承地。

 

(「神話の郷 ~幻のお社」)

(「神話の郷 ~高天原と禊の地」)
 

大きな地図で見る
(グーグルマップより)

真上から見た安徳台。
緑で囲まれた部分が安徳台の周辺。
今は畑が広がっている。

 

台地の高さ30m。
標高60m。

 

古代(2000年頃)、まだ海面標高は高く、洪水の心配もあり、高い場所に宮を建てるのが常識だった。

 

成竹山展望台から見た、安徳台。
(展望台は今、入れない)
中央にある島のような土地
 

 
標高60mの地点で、すっぱり切れているよう。(台地なので)
まさに、「岩の根っこ」。
(上のは台地の半分で行って戻ってるので、実際は60mの部分がもっと長い)
 

Googlemapより。
 
安徳台(「1」の場所)の周辺地図。
 
ここが、(神話の)イザナギ神が禊をした地。
その地形と地名を、今も残す。
 
 
< 橘の小門の阿波岐原 >

 (「神話の郷 ~高天原と禊の地」の記事) 
(地元の郷土史研究家の篠原正之氏「邪馬台国位置論」から知った)
 
「1」が安徳台。
「3」辺りの川の左「橘(今は立花木と表記)」
         橘が生えていたかと、篠原氏。

「4」におぎわら橋。
 萩原(はぎわら)と表記して、おぎわらと読む。

「阿波岐原(あわぎはら)」とは、「おぎ」か「はぎ」が生えていた地のこと。
(上記の本から)

荻(おぎ)は、河川敷に生える植物です。
また、そこから派生した「をぐ」には、神または霊魂を招く意で霊魂を呼び醒す意味があった。
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 秋風にたなびく「荻(おぎ)」ススキとの違いをご存知ですか?
 
 「をぐ」という言葉は神または霊魂を招く意で霊魂を呼び醒す意味にも用いられていて、 「をぎ」の名も霊魂に関係した信仰上の意味があるようです。そのそよぎに神の声を聞いたのでしょうか。荻がそよそよと揺れることを「そよ」「そそや」などと擬声語で表しますが、「そよ」「そそや」も神のお告げを示す言葉から由来します。
(上のリンク先から抜粋)
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「阿波岐原(あわぎはら)」は、神話ではイザナギ神が禊をした場所。
そこから多くの神が現れたのだ。
 
 神または霊魂を招く意で霊魂を呼び醒す

「その場所」に相応しい言葉です。
神話の土地にその植物があったから、「おぎ」が神聖であるとされたのではないか?

 

「小門(おど)」

「小門」とは、川を海から遡って、山と山に挟まれる最初の場所のこと。

地図では、「1」の安徳台と、その左の山との間が「小門(岩戸)」になる。

地名は、「5」の辺り。
(「儺の国の星(真鍋氏 著)」に掲載されている写真の「小門(おど)」は、伏見神社の前の一の堰辺り。)

 

もともと「小門」とは、門の内側一帯を指してたのかもしれに。

おどのあわぎはら、は、

「小門の荻(おぎ)が生える原」



「岩戸」
那珂川(中央の川)の左側が、昔の岩戸村。

上の地図の南西方向に、「その12」の、天の岩戸伝説がある山神社がある。

それらの地名が、安徳台の側にあった。

「地形」から名付けられたものは、疑いようがない。

 
この地には「住吉の元宮、現人神社(地図の「2」の場所)」がある。
イザナギ神の禊ぎで生まれた神の、最初の社。
 
ここに、かの神の最初の宮があるから、
「天孫降臨」「底津岩根」「イザナギ神の禊」「天の岩戸」の神話が作られたのでは?
この地を舞台にして。
 
神話の神はすべて彼らに集約される。
まさに「イザナギと言う一柱から生まれた神は全て同神」なのだ。
 
「クシフルタケ」

「筑紫の日向の高千穂」

「韓国に向かう地」

「笠沙の岬まで通じる真の道」

 

「底津岩根」
櫛振(櫛布留)岳・脊振山の麓の底津岩根。(初めの写真の反対側から見た安徳台)
右が地形でいう「岩戸(小門)」
 

「橘の小門の阿波岐原」の地形と地名。

「天の岩戸」
 

すべて揃うのは、この地に「現人神社」があるからだ。

 

住吉神は、「人に姿を現した神」。

神とされた、人。
彼は、ここに実在した。

 

 

ココログの「銀の月 金の星」でこの記事を書いていたのは、2017年。
後に分かった。

住吉神は、高良神であり、饒速日命。

天照国照彦火明櫛玉饒速日命。

彼こそ、天照大神。

 

「イザナギ神の禊」では、天照大神も、住吉の神と同時に現れていた。

また、饒速日命は久留米の高良大社の高良神である。

この地には、高良の神の居住地と伝承がある「猫岳」もあった。

(国の根っこを造ったから、ねこ→根子→猫神ともされる。)*後に。

 

「現人神社」の地に、神話の舞台が揃っているのは、彼が「天照」でもあるからだ。

 

 

地図で中央を流れる「那珂川」。

「儺の川」
ここは、「儺の国」。
 
「儺」には、鬼を払うという意味がある。
鬼がいない清浄な地、「神の国」。
 
魏志倭人伝の「奴の国」はこの地。

 
< 住吉の元宮 >
 
「現人神社」が、元宮である理由を二つ。
 
大阪と博多の二つの大社の場所は、古代、海の底です。
(「饒速日命を求めて ⑨ ~天ノ鳥船の時代 後編
 
上の記事に書きましたが、この時代の奈良盆地には大きな湖があった。
大阪の海面も今より高かった。
以下、標高は下記のサイトを参照しました。
那珂川市の「現人神社」の標高は、24.5m。
 
福岡の古くからある地名の「塩原(しおばる)」。
これは海岸線で塩を作っていたから付いた名です。
 
博多の住吉大社の場所は、標高3.8m。
大阪の住吉大社は、標高6.4m。
 
これら二つの場所は、古代、確実に海の中です。
 
 
 
神話時代の住吉神と、15代応神天皇の母である神功皇后(4世紀とされる)。
 
なぜ、神話では、二人は同じ「時」にいるのか
 
この答えは、ずっと後になってから分かる事だった。
 
住吉神は高良神。
高良玉垂宮神秘書には、彼女は夫婦とある。
 
彼女の墓は「祇園山古墳」。
造営が三世紀中ごろ。
まさに「邪馬台国」の時代なのだ。
 
 
( つづく )