続きです。
(ちょっと、スピ入ってますが、気づくきっかけになったので掲載です)
安徳台で見た、光の柱
天の太柱
<底津岩根>
それは神話の高天原ではないのか。
あの光景が気になり、地元の図書館へ。
そこで郷土研究家の篠原正之氏の本と出合った。
著書「邪馬台国位置論」にはこのようにある。
(以下、上記の本を参考)
*
那珂川にある現人神社は、住吉神社の元宮。
そのお社は、かの神の最初のお宮。
そこが、神話の
「(イザナギが禊をして)住吉三神が生まれた地」だと。
神話の禊の地は、
<筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原>
筑紫は古代、福岡近辺をさす。
日向は、日に向かう明るい場所。
橘は、「立花木(昔は橘)」という地名あり。
*安徳台の側、那珂川を挟んだ西隈にある。
小門とは、川の流れが山と山で狭まった地形。
*那珂川の下流から遡ってきて、最初の「小門」がちょうどその辺り。「小門」という地名でもある。
そして、阿波岐原。
「はぎ」か「おぎ」の生えている原という意味。
*「萩原」と表記して、おぎわら。
<おぎわら橋>という名の橋は今もある。
萩原と書くならば、普通は「はぎわら」と読む。
昔は水辺の近くには大抵、生えていた。
そこは那珂川の岸辺になる。
(これらの地名が、安徳台の西の那珂川に沿って、1キロ以内にあった。
下流の方から、立花木、小門、おぎわら、となる。)
*
「住吉三神の元宮、現人神社」がある土地
それがここにあるから、あのような神話が作られたのではないか。
神功皇后が朝鮮出兵の際、船の舳先に現れ、皇后を助けた神が、「住吉三神」。
神話にはこのように記されている。
「日向国の橘の小門の水底にいて、海草のように若々しく生命に満ちている神、
名は表筒男(うわつつのお)、中筒男(なかつつのお)、底筒男(そこつつのおとこ)(住吉三神)の神」
これは神のおられる宮を表している。
世界中探しても、住吉三神の最初のお宮は那珂川にしかない。
更に全ての神は彼らに集約される。
ここが、本当の神話の地。
*
そこにある安徳台。
神話の「底つ岩根」は、まさに
<山(または木)の上部が切り取られたような台地>
遥かな昔から、古代のシャーマン達が祈りを捧げる神聖な場所。
宇宙へ向けて祈りを捧げてたのではと、説明会で言われていた。
また、現人神社は海の神を祀る証に、鳥居や拝殿が西を向いている。
その参道の先、道なりに南に行くと、安徳台がある。
那珂川には、日吉・日枝の元宮の「日吉神社」もある。
猿田彦の神は、国津神の天照。
(御祭神は天御中主神、大己貴神など。後に饒速日命に繋がった)
岩戸郷という地名と、
岩戸が飛んできたと伝承がある「岩戸」。
何より実際にあの場所に立った時、大地からの強いエネルギーを感じる。
でも、掘り返されたりして欲しくない。
謎は謎のままに。
台地から天へと繋ぐ、光の柱。
これを古代、見た人がいたのなら、きっと思うことだろう。
あれは<天の太柱>だと。
まさにこの禊の地で神功皇后も禊をしていた伝承があった。
後に「高天原」にも繋がっている。